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読むナビDJ 7:アントニオ・カルロス・ジョビン入門編 - 過去記事アーカイブ

この文章はDrillSpin(現在公開停止中)というウェブサイトの企画連載「読むナビDJ」に書いた原稿(2013年8月8日公開)を転載したものです。掲載される前の生原稿をもとにしているため、実際の記事と少し違っている可能性があることはご了承ください。また、著作権等の問題があるようでしたらご連絡ください。

夏といえば、ボサノヴァを聴きたくなる季節。そしてボサノヴァといえば、なんといってもアントニオ・カルロス・ジョビンでしょう。ボサノヴァというジャンルを確立させた音楽家というだけでなく、世界でもっとも演奏されているソングライターのひとり。誰だって彼のメロディをどこかで聴いているはずです。

ジョビンは1927年にリオ・デ・ジャネイロで生まれ、1994年に死去するまでに数多くの名曲を生み出し、ボサノヴァをはじめとするブラジル音楽を世界レベルに押し上げる役割を果たしました。その偉業は、最近商品化された貴重な映像作品『アントニオ・カルロス・ジョビン 素晴らしきボサノヴァの世界』を見れば納得するはずです。

ここでは、ジョビンの数ある楽曲の中から、定番ともいえる超名曲をセレクト。ボサノヴァのスタンダードを聴きながら、夏の疲れを癒してみてください。

「想いあふれて / Chega De Saudade」

“ボサノヴァ最初の曲”として知られる1959年に作られた名曲です。元々はエリゼッチ・カルドーソのために書いた曲ですが、ジョアン・ジルベルトの才能に惚れ込んだジョビンは、彼のデビュー曲にこの曲を選びました。ジョアンの弾くバチーダという独特のギターのリズムこそが、ボサノヴァ・サウンドの特徴。ここでは、1992年にリオ・デ・ジャネイロでこの2人が共演した奇跡的なコンサートの映像を堪能してください。

「ア・フェリシダーヂ / A Felicidade」

ボサノヴァを世界に知らしめた要素として、1959年の映画『黒いオルフェ』も大きな存在です。外交官でもあった作詞家ヴィニシウス・ヂ・モライスの戯曲『オルフェウ・ダ・コンセイサゥン』の映画化で、カンヌ映画祭でグランプリを受賞しました。ルイス・ボンファが作った「カーニバルの朝」が有名ですが、このジョビンの「ア・フェリシダージ」も映画で重要な役割を担っています。1999年に『オルフェ』としてリメイクされた際も、この曲は効果的に使われていました。

「イパネマの娘 / Garota De Ipanema」

たとえジョビンの名を知らなくても、この曲を聴いたことがない人はいないでしょう。1962年に作られ、翌年にサックス奏者スタン・ゲッツの名盤『ゲッツ/ジルベルト』に収録されたアストラッド・ジルベルトの歌唱によって大ヒット。米国及び世界中でボサノヴァ・ブームを巻き起こします。作詞家ヴィニシウス・ヂ・モライスとジョビンが、行きつけのバーで見た美少女が歩く姿をヒントに作ったという、世界でもっとも演奏されている楽曲のひとつです。

「おいしい水 / Água De Beber」

「イパネマの娘」をはじめ、ジョビンの楽曲にストーリー性を持たせて名曲に仕立て上げた立役者の作詞家ヴィニシウス・ヂ・モライス。この2人のタッグで作った「おいしい水」も、ボサノヴァを代表する名曲です。ヴィニシウスはジョビン以外にも、バーデン・パウエルやトッキーニョとも共作があり、ピエール・バルーなどフランスのミュージシャンにもボサノヴァを伝えました。この映像は、ジョビンとヴィニシウスの貴重な共演ライヴから。

「ワン・ノート・サンバ / Samba De Uma Nota Só ~ デサフィナード / Desafinado」

ジョビンの幼なじみでもあったピアニストのニュウトン・メンドンサと共作した名曲2曲のメドレー。この映像は、ジョアン・ドナートとジョビンが1964年にテレビ番組で共演した貴重なヴァージョンです。ワン・コードなのにとても表情豊かに展開する「ワン・ノート・サンバ」と、“調子っぱずれ”という意味を持ちながらも非常にメロディアスな「デサフィナード」。ニュウトンは残念なことに、ボサノヴァ・ブームを知ることなく1960年に急逝しました。

「波 / Vou Te Contar」

ジョビンの楽曲はジャズ・ミュージシャンに多く取り上げられていますが、彼自身がジャズ/フュージョンの名門レーベルであるCTIからリリースしていたことも理由のひとつ挙げられます。とく1967年の『Wave』は、クリード・テイラーのプロデュースによる洗練されたサウンドが素晴らしく、ジョビンの最高傑作に挙げられることもしばしば。この映像は、1986年に日比谷野外音楽堂で行われた伝説の来日コンサートから。

「コルコヴァード / Corcovado」

ジョビンが世界的に成功したことの証として、米国ショー・ビジネス界のドン、フランク・シナトラとの共演は外せない出来事といえるでしょう。1967年には共作アルバム『Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim』を発表しています。そもそもボサノヴァのミュージシャンたちはシナトラに憧れ、そして影響を受けていたので、このコラボレーションも自然な流れ。映像は「Change Partners」などシナトラの持ち歌を挿入したボサノヴァ・メドレーです。

「三月の雨 / Águas De Março」

ブラジルの国民的歌手といえばエリス・レジーナ。彼女のエモーショナルな歌唱法はボサノヴァに向かないといわれ、実際エリス本人もボサノヴァを毛嫌いしていたともいわれています。ところがこの相反する二人が、ボサノヴァ・ブーム終焉後の1974年に『Elis & Tom』という傑作アルバムを作り、ブラジル音楽ファンを驚かせます。とくに「三月の雨」は笑いながら歌う様子が印象的で、とてもリラックスしたヴァージョンに仕上がっています。


「ジェット機のサンバ / Samba Do Avião」

ジョビンがどれだけ偉大かということを伝えるには、リオ・デ・ジャネイロの空港が1999年に「アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港」と改名されたことがわかりやすいかもしれません。代表曲のひとつである「ジェット機のサンバ」は、飛行機好きだったジョビンが、しばしば空港に通っていたことから生まれた高揚感に満ちた楽曲で、ヴァリグ・ブラジル航空のCMソングとして発表されました。

「ハウ・インセンシティヴ / Insensatez」

ジョビンのメロディの魅力は、どこか切ない哀愁味。ブラジルでいわれるところの“サウダージ”という感覚です。そのサウダージ感に溢れている代表曲が、「ハウ・インセンシティヴ」。この曲はジャズ・ミュージシャンに取り上げられることも多く、ジョビン自身も晩年まで重要なレパートリーとしてよく演奏していました。また、ジョビンの遺作アルバム『Antonio Brasileiro』(1994年)ではスティングが歌っており、憂いのある名ヴァージョンに仕上がっています。


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