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病気じゃないけど生きづらさを感じる時

はじめに

こんにちは。あいめいと申します。
最近は自分の気質を細かく知れるようになった世の中ですが、病気に区分されている気質とそうでない気質があることをご存じでしょうか?
例えば、パーソナリティ障害や鬱病、パニック障害といった精神障害と呼ばれるものは疾患として扱われています。

今回書くのは、その精神疾患とは診断されていないけれど、生きづらいなと感じる症状についてです。最近の言葉で言うとHSP繊細さんといったものになると思います。
病気ではないから、人に言っても『ただの性格』で終わってしまったり、生きづらさが理解が得られないのではないかと不安になったりしてしまうのではないかと思います。
病気であっても精神障害と伝えると途端に差別的になる人もまだまだ多いですから、簡単には他人に伝えられないのが現状かなと思っています。

ですので、そんな『病気じゃないけど生きづらい症状』をこのnoteに書いてみました。こちらは私が感じた生きづらさなので、ぜひご自身の気持ちの動きと比べて読んでみていただけたらなと思います。


生きづらさを感じる場面

  • 他人が叱責されていると、自分も怒られているかのような感覚になって緊張したり悲しくなったりする。

  • ミスや失敗があった時、必要以上に自分を責めてしまう。

  • 指摘が叱責に感じられる。

  • ちょっとしたことでもすぐに泣いてしまう。

  • 相手の表情や声色に敏感で、常に顔色を窺ってしまう。

  • 新しい環境が苦手で起こり得るすべてのことが不安になる。

など。

どうして生きづらさが生まれるの?

上記にあげた生きづらさというのは、『感受性』が高いために起きているようです。感受性とは、簡単に言うと人に共感する力です。ですので、ちょっとした出来事が深く感情を揺さぶり、涙もろかったり、他者の感情に気分が左右されたりするのだと思います。
例えば私は、その人のなんてことない一言に傷ついたり、声色が少し変わっただけで呆れさせてしまったと思ったりしたことがあります。

自分を責めてしまうのはなぜ?

完璧主義だから、と書いてあるサイトが多かったのですが、どうして完璧主義になってしまうのでしょうか。
感受性が高いと言うところに視点を置くと、他人の視線や軽蔑の感情が耐えられないと言うことになるのではないかと私は思いました。実際、ミスをしたときに一番気にしたのは、「他の人に迷惑をかけた」「使えない人間だと思われて捨てられるのではないか」ということでした。その気持ちがまわりまわって自分がミスをしたことへの自責の念になるのではないかと私は考えてみました。
もしよかったら読者の皆様も、どうしてHSPや繊細さんと呼ばれる人が完璧主義になってしまうのか考えてその気持ちをコメントしていただけたらなと思います。

環境の変化という刺激にも敏感

初めてのことをするときに、なにもかもが心配になってしまったり、緊張でガチガチになってしまいます。心配する内容としては、服装やずっと先のことや、他の人が悩まないような些細な事等です。さらに初めてのことでもミスをしたくなくて、過度に緊張してしまいます。
細かいところまで考えてしまうのも、『HSP』『繊細さん』にありがちな症状のようです。

生きづらい経験と救ってくれた先生

その人がどんなに優しい言い方をしていたとしても、ちょっとした指摘が叱責に感じられて、とても落ち込んで自分をひどく責めてしまいます。指摘されたときに泣いてしまうと、相手に悪いことをしたと思わせてしまうところも悩みでした。実際に「私が悪いってこと?」と怒られたこともあります。
泣かなければいいのですが、涙をこらえることが難しくて、耐えようとしても余計と感情が高ぶって涙があふれて止まりませんでした。

小学生の時、「あなたのその涙は熱いでしょう?それはね、悔し涙っていうのよ。あなたは泣き虫じゃなくて負けず嫌いなのね。」と養護教諭の先生が言ってくれて救われました。

まとめ

生きづらさは共感する力が高いために生じているようで、決して心が弱いから生じているわけではないと思います。
他者と自分の線引きをして、自分の本当の気持ちとは何なのか、しっかり考え、心地の良い方を選ぶことで、生きづらさを完全になくすことは難しくても、和らげることが出来るのではないかと思います。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
もしよければ感想などコメントしていただけますと励みになります。


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