5/11 無知の知への恐怖

まずい、無為過ぎる。いい加減何か生産性のある事をしよう。
ちなみに今歯を抜いた傷が完全に塞がってないので
「何かを食いに行く」みたいな事は出来ない。

前々から「取ってみようかな」と思ってた資格があるので勉強に取り組んでみようと思う。

簿記。

1mmも面白みのないド手堅い資格。
オモコロライターなら甲賀流忍者検定でも取ってこいやと思われるかもしれないが、こういう所で徹底的に実利を取りに行くのが俺。

簿記を候補に選んだのは「有名だから」というのもあるが、他の有名な英検とか行政書士とか言わないのはもともとやってた業務の経験値が多少は活かせそうだから。

前の会社では事務的な作業をしており、帳簿をつけていた訳ではないがそれに類する関連業務をしていた。
丸一日……ではないが、勤務時間中の大半は数字とにらめっこしながらExcelやら電卓を叩いていたのだから、全くの0からスタートするよりはゴールへの到達も近い……はず。
そんな感じで前々から目をつけてはいたが、結局勉強する機会がなかった(もっとも部署異動がなければいつかは勉強する事になってはいた)から手を付けていなかった簿記に、いよいよこのタイミングで挑もうという訳。

世間的に「資格」として活きてくるのは2級からというが、ひとまずはその下、基礎的な内容の3級から行こうと思う。


テキストも買った。

……買ったけど、まだ開いていない。

心が怠けきってるのも理由だけど、開くのが怖いから、というのが大きい。

教科書を開いて、そこに書いてある内容が、全く理解できなかったらどうしよう。
そういう恐怖が手の動きを鈍らせる。

「まだやってない」と「出来ない」は、他人から見た価値は等しくても当人にとっては大きな違いがある。
やってないというのは可能性を内包している。「やったら出来るかもしれない」「センスがあるかもしれない」という未来と「全く向いてない」未来が均等とは言わないまでも不鮮明に混在している。

何もしていない人こそ「俺はやれば出来る」と思い込めるように、何もしてないからこそ可能性を信じられる。
でも、ひとたびテキストを開いてしまえば、ひとたび取り組んでしまえば、
「俺はこれが出来ない」という現実が確かなものとして俺の前に立ちふさがってしまうかもしれない。

俺はそれが怖い。
「勉強が出来ない俺」を知ってしまうのが怖い。
「簿記が出来るかもしれない俺」のままでいたい。

……とはいえ、イラストと違って本当に1mmも向いてないという事はなくて、最低でも「時間はかかるかもしれないけど理解は出来る」分野のハズなのでとりあえずやってみる。

……明日から。


【本日の裏メニュー】
「ビルクリーニング技能士一級」という資格


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