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はじめての子どもが生まれて、半年専業主夫やってみた #1

去年の10月、はじめての子どもが生まれた。

それぞれ仕事にどっぷりだったので、子どもはいたらいいなと思っていたけれど、計画をしっかりするほどじゃなかった。

周囲では懸命に不妊治療に励んでいる人たちがいた。かれらから身体的、精神的、経済的苦労についてもたくさん聞かされていたから、自分たちがそこで同じようにがんばれる気はしない。

「できたらできたで最高だよね!」
「ほんとそうだねえ」

そんなふうにいいあっていたけれど、具体的な対処をすることはないまま時が過ぎて結婚6年目。このあたりでちゃんと決めておいた方がいいな。そう思い「どうやらぼくたちには子どもができないみたいだけど、ふたりで楽しく暮らしていこう」というポジティブな話し合いを終えて少し経ったころだ。急に妻がすっぱいものを異様に食べたがる、ってい絵に描いたような症状を訴えて、調べてみたら妊娠していることがわかったのだった。

このnoteでは、それから1年の妊娠期間と、生まれてから半年、主夫として家事育児をメインで担当していて気づいたことを書いてみます。



本題の前に、それぞれがどんな人物か簡単に紹介しておきますね。

ぼく
1986年生まれ。大学在学中に雑誌をつくっていた仲間たちと、卒業後会社を立ち上げるも、3年後自身の体調不良で退職。その後、色んな媒体の編集長をしたり、また起業したり、また体調を壊したりとジェットコースターのような仕事人生を送る。現在はフリーランスの編集者としてはたらく。


1986年生まれ。デザイナー。グラフィックレコーディングという議論を可視化する手法を日本で広めた後、働きながら東京藝術大学で修士号を取得。いずれは博士もとりたいらしい。現在はデザイナーと平行し、美術大学の専任講師として働く。正義感が強く、タフで頑固。

おまめちゃん爆誕!

妊娠がわかったときは、まず焦った。やっと子ども持たない決心をして、二人で老後までイケてるDINKsとしてやっていこうね、と決めた直後だったので、ズコーッという感じ。

でも一緒に妊婦健診に通ってエコーを見た時、まるでお豆のような小さい身体の中で、心臓の脈動を目で見たときに、「え、かわいい!」と思った。まだゼリービーンズくらいの大きさの、形もあいまいなものに、かわいい、と感じるのはどういうことなんだろう。そう不思議に思いながら、でもたしかに、圧倒的にかわいいいのだった。そこから一気に実感とうれしさが湧いてきた。それからできるだけ一緒に妊婦健診に行った。毎回大きくなっていくその子を、ひとまずぼくたちは「おまめちゃん」と呼んでいた。

毎回大きくなっていくエコー写真を見ると、まだ生まれていないのに、完全に生命だと理解できるわけで、ぼくは「爆誕!」だと思っていた。誕生はまだしていないけれど、生きているということの不思議さ。

毎日、毎時変わる食べられるものたち

このころ難しかったのは、食事のこと。
ふだんからぼくが料理することが多かったので、自然と調理を担当していたのだけど、つわりがひどく、毎日食べられるものが変わる。お腹に子どもがいるわけだから、いつもよりしっかりと栄養をとってほしい……。と思っても、毎日のように食べられるものが変わるので、どうしていいか分からないのだ。

編集者ですから、困った時は本。
ということで色んなものを読んでみたが、結局は「その日、その時に食べられそうなものを、つくるのではなく買ってくる」「とにかく水分と、カロリーがとれていればまあよし」が正解というところにたどり着くまで、試行錯誤をしていた気がする。よく買っていたのは、カットフルーツで、パイナップルはいつでもあったから助かったが、たまに「今日はスイカしか食べられないかも」という時、スイカがない場合、途方に暮れた。

だんだんとつわりへの対処がわかってきた妻が、あるとき図を描いてくれた。なんでも吐かないためには、食べるものの順番を考慮して、胃の中に食材ごとのレイヤーをつくるのがいいらしい。

当時彼女は「つわり」っていう名前の緩さに怒っていた。本人いわく「次世代地球人招待施設運営プロジェクト本部」っていう厳かなイメージだったらしい。

これがその図。
難易度の高いパズルゲームのようで、それを攻略しつつあるなんてかっこいい! とよろこびながらほめていたのだけれど、図を書き終えたすぐあと、この「つわりパズル」の大幅アプデが実施されたようで、まったく攻略できなくなっていてふびんだった。慣れたころにゲームが変わる、というのはつわり以外にも頻発していて、身体が日々変わっていることを思い知ることになる。

このころ、自分ひとりのために料理をする気があまり起こらなくて、よくできあいのものを買って食べていた。普通のものを自分が食べていること自体が申し訳なくて、食事自体に罪の意識をぼんやり感じるようになり、できるだけ外食をしていた気もする。そうなるとストレスも溜まりやすく、あまり穏やかに過ごせない。

秋口だっただろうか。
あるとき、一緒に駅前を歩いているとマクドナルドの前で「いま、ポテトが食べたいかも!」というので、急いでMサイズのものをふたつ買ってきた。

ベンチのように座れるようになっている植え込みのところで、おそるおそるふたりで食べる。「あ、食べれる。おいしい!」といわれた時の、まるで自分がとっておきの料理を出せた時のような高揚感!ひさしぶりに一緒に、同じタイミングで同じものを食べられて、はじめて感じるような安心感があった。

妊娠はずっと他人事なのか

安定期に入ったころ。新しい悩みがふたつ浮かんだ。
ひとつは、自分にできることが、あまりにも限られているということ

妻はつわりで苦しみながらも、計画的に職場の大学と産休と仕事復帰にまつわる様々なやりとりと、大量の書類の手続きを行っていた。その間、ろく食べられず、気を抜いたらえづいてしまう状態でもちろん出校して講義も行い、さらに個人で企業から引き受けているその他の仕事も平行していたので、これは端から見ているだけでもかなりしんどいことがわかる。

けれど本人による手続きがマストなので、何も助けることができない。いや、それ以上に、変化していくつわりの感覚も、日に日に大きくなりはじめたお腹の重さも、それがどんなふうに日常生活の支障になるのかも、想像してもさっぱりわからない。

ぼく自身にはまったく身体の変化は起こっていないわけで(いや、外食を続けていたので、実際にはちょっと太ったりはしていたな……)、そのこと自体にどこか、置いてけぼりを食らったような気分で過ごしていた。

このあたりで改めてわかったのは、男性はパートナーの妊娠期において、なんら主体性を獲得できない、ということ。これは当然のようでいて、経験しないとわからなかった。というか、絶賛現在も進行中の育児にまつわるあらゆることが、一度体験をしないとなにもわからないのだった。

37歳になっていたぼくらは、若い親たちに比べて相対的に、仕事を通した社会経験を豊富に持っているといえた。実際に仕事なら、これまでやったことのないジャンルや、未体験の作業を伴うものでも、過去の違うバリエーションの経験にひもづけて、それなりの解像度でイメージを育んでのぞむことができる。

そういうケースをふたりとも知っていたから、子育てについても同じよう対処できるのではないか、と思ったのだけど、まったく役に立たない。育児に関しては、実体験から得られる知識や感覚が最重要で、だからたとえば親の助けが必要なのだ、ということを出産後、身をもって知ることになるが、それはまだちょっと先の話。

妻の妊娠をどんなことばで報告すべき?

同じときに、ぼくが最も悩んでいたのがこれだった。
安定期に入ったころ、産休の必要もあるため、妻はSNSで妊娠していること、安定期に入ったこと、これからの仕事の考え方ついて、彼女らしいクールでシンプルなテキストで報告をしていた。

さて、ぼくはどうする?
困った。まず、男性が妻の妊娠をSNSで報告している例を、つまりロールモデルになるようなことばを見たことがなかったのだ。それにまわりには、現在進行形で不妊治療に励んでいる人たちがいる。かれらを前にして、妊娠の当事者でもない夫の立場で報告するなんて、自慢のように聞こえたりしないだろうか。そのリスクを承知でする報告に、自己満足以外のなにが残るんだろう?

じゃあしない方がいいのか。
それも違う気がする。だいたい妻は気を悪くしないか。というか、共通の知り合いは夫婦のうちぼくだけなにもいっていないことに、何かいぶかしんだりしないだろうか。

正解がぜんぜんわからないまま、妻の報告ポストから1ヶ月が経っていた。ここにも当事者なのに、正確な当事者ではないがゆえの、いろんな逡巡があった。

「これは……確実に女の子ですね」


そんな間にもどんどんおなかは大きくなり、もうおまめちゃんなんていえないサイズになった子は、いよいよ性別がわかるようになった。妊婦健診のとき先生が唐突に、天気の話をするかのようなテンションでいった。

「そういえば、性別ってお伝えしてましたっけ?」
「まだです。って、え、いまわかるんですか?」
「そうでしたか。ええ、いま確認できました。知りたいですか?」
妻の顔を見る。
静かににこにこ笑っている。
「……じゃあ、知りたいです」
「これは……確実に女の子ですね」
「……なるほど」

第一声が、沈黙からのなるほど、って自分でもどうかと思う。が、どう反応していいのかわからなかった。どういうわけか、ぼくは理由なんてないまま、勝手に男の子が生まれてくるものだと思っていたようだった。

男の子が生まれたら──キャッチボールをしたり、一緒に釣りをしたり。運動が苦手だったら、一緒にゲームしたり、本を読んだり。色々したいなあ。楽しみだなあ。想像されるのはそんなことばっかりで、だから女の子だと聞いて、それをどんなふうに楽しみに思ったり、うれしいと思ったりするのか、すぐに結びつかず、反応が遅れたのだった。

女の子か──思春期になったら嫌われたりするんだろうなあ。そんなステレオタイプな想像しかできない自分に嫌気がさしながら、けれど病院を出て、家に戻って、しばらく時間が経つと、じわじわ楽しみになってきた。

よくよく考えてみれば、自分のこれまでのぼくの人生はきっと、「男だから」という理由で経験しなくてすんだ苦労がたくさんあったような気がした。両親は、当時としては遅めの結婚で生まれた長男だ。たぶん見えない下駄を履かせてもらっていることだって、あったのだろう。中高一貫の男子校出身だから、ひょっとしたら男性の中でも、性差からくる社会的な困難みたいなものに、世の人よりも鈍感かもしれない。

ここまでの妻の妊娠生活の中だけでも、どうしたって女性の抱える苦労を肩代わりできないし、当事者たり得ないということを、身をもって体験していた。せめてどんなふうにケアやサポートができるのか。その試行錯誤の連続だ。どうしたらいいか、もっと知りたい。

女の子が生まれたら──。
彼女を育てることで、この国や社会が携えてきた、性差からくる歪みみたいなものに、もっと気がつけるかもしれない。それに自分の娘が暮らしていく未来のために、それをどうにか改善できないか、と考えられるかもしれない。そういう自分は、ちょっといい感じに思う。そうなりたい。

それに、この子が無事生まれてさえくれれば、男親であるぼくができることは増えるはずだ。妊娠は出来ないけど、子育てはできる。そこにはもう、性差はあまり関係ないだろう。母乳? ミルクをぼくがあげればいいじゃない。ちゃんと当事者になれるはず。

育児、めちゃくちゃやりたい。
もう置いてけぼりのような気分は、こりごり。

このあたりで、ひとつブレイクスルーがあって、色んな覚悟が定まったようにだった。


途中から書いていて気づいたけど、これはまだ長くなりそうなので、出産以降は別エントリで続きを書きますね。

妻の妊娠時から、自分のサイトでエッセイも書いています。こちらは気づきというより、その時々に感じていたことを率直に。もしよかったらこちらもぜひ!

そもそもアンバランスな人生──はじめて子を持つぼく(たち)のための覚書



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