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真にカルチベートされた人間になれ!

3日連続でNote日記を更新しているらしく、ここで辞めたら3日坊主過ぎるので印象深い本についてでも思い返して書こうかな

ふと思い出したのが、太宰治の『正義と微笑』のカルチベートのくだり

ちゃんと丸々読んだのはかなり昔の1回だけで、いくつか印象深い所があったな〜くらいの思い出だけどカルチベートの一節は有名なだけあって4,5年に1度くらいはSNS等で目にして読み直してる

学生の時に「ほ〜ん、確かに確かに」くらいで読んでたのが、社会人になって「マジでそれな(真顔)」ってなって、今久しぶりに読んだらじわじわぁ〜と沁みる。

勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

Osamu Dazai. Seigi to bisho (Japanese Edition) (p.11). Kindle 版.

個人的にはなんだろう、本来「勉強しないといけない!向上していこうぜ!」みたいなのは好きじゃない、だけど

生きてる時間が長くなるほど単語・文章から解釈したり抽象化できる幅が広がるのかな、大人になるほどにしっかり学んできた人たちの人格の素敵さを実感する機会が増えたこともあって、読む度になにか深みを増していく一節だなと。

勉強する理由を説いてる文章でこうも温かく納得させてくれるものは他にないな。

カルチベートという言葉にも改めてとても奥深さを感じる。好奇心を探究していくような意味と価値観をほぐされるようなニュアンス。両方とも素敵だなと思うから.


終わり

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