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2023年4月17日(月) イエローカブの復活

仕事が終わった後、昨日修理に出したカブを取りに行った。近所のバイク屋でビリケンがトレードマークの店だった。店主は水風船みたいな体型をした男で、歳は40代後半といったところ。髪を短く切り上げ、黒いフレームの四角いメガネをかけていた。店主はわたしを見かけるなり、にっこりと笑いかけた。接客用の笑顔だが悪い感じはしなかった。

店主が奥からわたしの黄色いカブを引っ張ってきてくれた。「ブレーキのシャフトが錆び付いていましてね。それでブレーキが踏んでから戻らなかったんですよ」と店主は問題が見つかった箇所を指差しながら丁寧に説明してくれた。「こいつの錆おとしがなかなか手強いやつでしてね、本当は三万円以上代金を頂きたいところなんですけど、きっかり三万円ということにしました」

昨日ざっくり見てもらった段階で、ブレーキシャフトの故障の他に、前後輪のタイヤの交換も必要だとわかったのだ。わたしは店主の言葉に甘えることにして、それ以上値段のことについて訊くことはしなかった。わたし自身金がないし、この修理費用も妻に出してもらったのだ。金がないというのはなんとも侘しいものだろう。今履いている靴だって底がすり減って穴が空いているし、仕事のときも普段のときも服装が一緒だから、くたびれていた。

「そういえばタイヤのチューブが当時のものだったんですよ」と店主は興奮した様子で嬉しそうに語った。

わたしのカブは確か2001年式のスーパーカブ・ストリートだった。中古で買ったのだ。わたしは乗る専門でマシンの知識はほとんどなかったから店主の興奮を共有することはできなかった。わたしの薄い反応をみて、店主はそれ以上話すことはなかった。なんだか申し訳ない気がした。店主がタイヤのチューブの話をしたときにみせた笑顔を見る限り、彼はバイクがものすごく好きなのだということが伝わってきた。わたしは店主のその気持ちを傷つけたくはなかった。

「あとチェーンも締め直しました。泥の固着がひどかったんですが、できる限り落としました」

ここまで来ると、自分の原付にすら申し訳なく思えてきた。前の霊柩車のドライバーの仕事をしていたときは仕事がある日は毎日片道50分くらいかけて原付を走らせていたが、今の弁当配達の仕事に変わってからは原付に乗れるのはツマコが仕事が休みの日だけになった。その分申し訳程度ではあったがメンテナンスをすることもなくなって、自分の原付がここまで傷んでいることに気がつかなった。

一通り説明を受けた後は、きっかり三万円を払って、あまりの恥ずかしさに逃げるようにバイク屋を出た。

走り出した瞬間、原付が息を吹き返したことにすぐに気づいた。修理に出す前と乗り心地が明らかに違っていた。気持ちよかった。

家に帰ってからわたしは店主からもらった店のステッカーを原付に貼り付けた。取れないように何度も指を押しつけた。

今日のトピックはこんなところだ。

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