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散髪に行った日

原付が直ったから散髪に行くことにした。二ヶ月ぶりだ。4才のねじ丸の面倒はツマコに押しつけた。たまにはいいだろう。わたしがひとりの時間を作れるのはツマコの仕事が休みの日だけなのだから。
さて、わたしの前髪はやたらと伸びてきていて、わたしを失明させようと躍起になっているところだ。ロクなものしか見ていないからといってわたしはまだまだ視力を手放す気はない。たとえ毎日が上っ面を取り繕ったような嘘くさい世界であっても、ときにはハッとするようなことを目撃することだってあるのだ。たぶん。
45分ぐらいかけていつも利用する美容院に向かった。わたしのスーパーカブはいい調子だった。50ccだから後ろからどんどん車に追い越されたが、それはまったく気にならなかった。外はいい天気で気持ちがよかった。
カット自体はさほど時間がかからなかった。30分もかからなかったのではないだろうか。美容師のS氏はわたしが20代の頃から切ってもらっている。わたしがまだ体育会系のサディストの高校教師にたっぷりと虐待されていた記憶に苦しんでいた頃ぐらいから切ってもらっている。そう考えると、美容師と客の関係とはいえ10年以上続いていることになる。その年月に驚かずにはいられない。わたしたちは当たり障りない会話から、少し個人的な話をすることもあった。例えば彼は二十歳になる娘がいて、彼女は美大に進むために日夜狂ったように絵を描き続けていて、二浪することが決まった。美大にはとんでもない学費がかかるとS氏は嘆き、口では娘のやりたいことを応援すると言っているが、本音では立教大学に推薦で入学し(娘はそれぐらいの成績は収めているらしい)公務員にでもなってほしいと思っていることが会話の節々で感じることできる。
よしきた、昔からある命題だ。夢か、現実か。今となってはどちらの気持ちもわたしには理解できる。つい先日、父が我が家にやってきたときこんなことを言った。
「お前も就職した方がツマコさんも安心するんじゃないか?」
「そうかもしれないね。でもおれは今のままでもけっこう満足してるんだ。確かにもうちょっと金はほしいけどね」
「いつまでもバイトと続けていくことがか?」
「そうだよ」
そいつは親父が安心したい人生で、おれの人生じゃない、とは言わなかった。親父にはおれがなぜ雑用係みたいな仕事で満足しているか決して理解できないだろう。わたしにだって理解できないのだ。ただわかっていることは、大学か皿洗いかふたつの選択肢を与えられたとき、迷わず皿洗いを選ぶことができるぐらいわたしは幸運だったということだ。不滅の作家の魂は誰にも見向きもされない仕事をしている人にこそ宿ると信じているからだ。ただ問題はわたし小説を書かずに女性のお尻の絵ばかり描いているということだ。
さて、S氏の娘の話に戻そう。夢か、現実か。もしわたしが彼女に直接アドバイスできるとしたら、漫画家のつくしあきひと先生の言葉を引用しよう。
「どっちも地獄なら、楽しめる地獄を選ぶべきだ」
幸い、彼女に迷いはないらしく、ただ純粋に絵を描いていたいだけらしい。けっこうなことじゃないか。どうせもう深みにはまってしまっているんだから。

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