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蓮子のしている〝ひもの研究〟とは

にゃーん(挨拶)。そひかです。

別の記事を書いていたら、趣旨から外れて話が膨らんでしまったので、個別にまとめることにしました。前置きは以上です。始めます。

「夢違科学世紀」にて、蓮子はメリーに「ひもの研究」の調子を尋ねるシーンがあります。みなさんはこの「ひも」が何を意味するか、どこまで深く考えたり、調べたりしたことがあるでしょうか。

私はあります。それは「ヒモ」になるための研究です。蓮子のような理論物理学者にとって、最適な研究環境が「ヒモ」であることは周知の事実です。物理学者を100人集めて尋ねれば100人が頷くでしょう。ヒモ、それは世界中のポスドクが喉から手が出るほど欲しがる究極のポストです。しかし、今日はそういう話をしに来たのではありません。

神主はこの「ひもの研究」をどういう意味で使っているのか、もっと直球に、蓮子のしている〝ひもの研究〟とは何か、についてもう少し真面目に話そうと思います。

眠くなる物理の話

物理学では、宇宙には四つの基本的な力(相互作用)があると考えます。電磁気力、弱い力、強い力、重力です。初めの二つを説明するのがワインバーグ・サラム理論、強い力を説明するのがQCD(量子色力学)、重力を説明するのが一般相対性理論です。ワインバーグ・サラム理論は電磁気力と弱い力を1つの枠組みで説明する点で「電弱統一理論」と呼ばれます。こうした「力の統一」を残りの力にも押し拡げていこうという潮流は現代まで続いており、例えば電磁気力、弱い力に加え強い力も統一的に説明しようとするGUT(大統一理論)などが考案されています。そんな統一の道のりの最後の難関とされているのが「重力とほかの力との統一」です。これが難関とされている原因は、重力とほかの力の根本的な違いに在ります。

ワインバーグ・サラム理論とQCDを並べたものが「標準模型」と呼ばれる現代においてある程度確立した理論なのですが、強い力、弱い力、電磁気力を説明するこの標準理論は全て「量子力学(場の量子論)」の言葉で書かれています。一方一般相対性理論は量子力学の言葉を使っていません。物理の用語で「量子論」の対義語は「古典論」なので、このことを「一般相対性理論は古典論だ」と表現します。二者の間で理論に使う大前提が異なっているため、全ての力を統一しようものなら、どちらか(あるいは、両方)の理論を根本から作り直す必要があるのです。

この問題解決にはいくつかのアプローチがあり、例えば「一般相対論が古典論なのが悪い」と考えて、重力を量子論的に記述する試み「重力の量子化」があります。このアプローチを取っているものに「超弦理論」や「ループ重力理論」「単体分割理論」などがあります。そもそも重力が基本的な力ではないとすれば統一する必要も無いだろうというアグレッシブな発想で、重力という力を解体するための「エントロピック重力理論」なる変わり種が考案されたりしています。最近では量子エンタングルメントなるものを元に「重力は場の量子論から創発する」という考えが流行っています。とにかく、力の統一は途方もない道のりで、現在も未解決の課題なのです。

が……

「大空魔術」にて、蓮子とメリーが生きる時代にこの「統一」が成されていたことが明かされました。

お忘れかもしれませんが、これは秘封の話です

ブックレットにある「重力が他の力に統一された」という言い方から、力の統一は「重力の量子化」のアプローチで成功したと伺えます。さらに、「超弦理論」は弦をひもと表現して超ひも理論と呼ばれることもあるため、メリーの言っていた「ひも理論」とはこのことだと考えるのが妥当です。以上から、蓮子の研究対象は「超弦理論」であると結論できます。蓮子が専攻している「超統一物理学」というのは、既に四つの力がひもによって「統一」された科学世紀おいて、「統一」の「さらにその先を見据えた」研究を行うという意味で名付けられた分野名なのではないかと私は考えています。


秘封倶楽部と超弦理論

実は、超弦理論関連の用語は秘封倶楽部シリーズで何度か用いられています。

例えば「大空魔術」の蓮子のセリフ「もう物理学はとっくに最小の世界に辿り着いて……」における「最小の世界」とは、おそらく超弦理論の扱う弦のことです。「原子、核子、クォーク……」という物質の最小単位の探索は、クォークを始めとする「素粒子」の更なる内部構造である「弦」で打ち止めになり、そしてその弦で自然界の全ての力を説明できてしまった、というのが秘封倶楽部の生きる時代というわけです。

「燕石博物誌」にも多く登場します。蓮子が言った「グラビトン(重力子)」は未発見の素粒子ですが、重力を量子化する際に仮定されるものなので、当然超弦理論の対象です。超弦理論ではグラビトンが輪っかのように閉じた弦の最低励起モードに対応します。

「ブレーン」も超弦理論の用語です。超弦理論は始めこそイメージ通り一次元の「ひも」を唯一の最小単位として扱っていましたが、開弦の端が生えている場所としての仮想的な面が理論に自然に現れるため、ひも以外にも様々な次元の対象が考えられていきました。(※超弦理論は9次元空間(+1次元時間)を予言するので、4次元、5次元……の対象を考えるのは自然なことです)。中身の詰まったp次元の立体を「string(弦)」と呼ぶのは無理があるため、学者はこれらを総じて「brane」と呼ぶことにしています。物理用語としての「brane」はより日常的な意味で「膜」を表す「membrane(メンブレーン)」から来ているので、その連想でこの二つを混用することもあります。

ただ、蓮子は「ブレーン」を以上で説明した「brane」(1980年代頃の用法)よりも少し後の時代に議論された現象論的な意味で使っており、その用法は「ブレーン宇宙論」に基づいていると考えられます。ブレーン宇宙論は超弦理論やM理論(超弦理論に複数あるモデルを結びつける理論)が扱う高次元空間を、実際に我々が感じる4次元の時空の説明に落とし込むための一つの宇宙のモデル(現象論モデル)です。

ブレーン宇宙論では、我々の4次元時空の宇宙がより高次元の世界の中に浮かぶ膜のようなものであると考えます。この膜を「ブレーンワールド」と呼び、これを単に「ブレーン」と呼んでしまうこともあります。燕石博物誌の記述にある「ブレーン」「メンブレーン」「ブレーンワールド」は全てこの意味で使われています。「禁忌の膜壁」やそのサブタイトルにある「membrane」もおそらくそうでしょう。

我々の宇宙のブレーンが存在するなら、隣にはきっと別の宇宙のブレーンがあるのかもしれない。そう考える物理学者も居ます(※)。そうした「別のブレーン」では別の物理法則が成り立っているかもしれません。蓮子は、そこに妖怪のようなものがきっと住んでいて、こちらのブレーンに妖怪が現れたり、逆にあちらのブレーンにメリーが渡ったりしているのではないか、と空想を捗らせたのでしょう。


(※: 余談だが、シン・ウルトラマンではブレーン宇宙論の一種である5次元ランドール・サンドラム模型を援用し、ウルトラマンの住む「光の世界」が我々の住むブレーンとは別のブレーンにあるとしていた。)


おまけ: フェムトあるいは須臾。須臾とは(ry

先程、重力を量子化する方法として超弦理論以外に「単体分割理論」「ループ重力理論」があることを述べました。単体分割理論では時空の最小単位を仮定し、それを繋ぎ合わせて時空を作ります。ループ重力理論では、ループという物理的対象を基本的な量として時空を構成します。いずれも「時空には最小単位がある」と考える点で共通しているわけですが、こう考える大きな動機の一つが「発散の回避」です。

場の量子論の計算にはいつも無限大という数字が付き纏い、物理学者の頭を悩ませています。この無限大の発散を回避しようと、物理学者はしばしば数学者がキレ散らかしそうな式変形を無理矢理行なったりします(繰り込みの操作)。そうした作業の正当性は結局のところ実際の物理の現象を説明できるかどうかにかかっていますが、実際、標準模型の範囲ではかなり高い精度で理論と実験が一致しています。 

場の理論に現れるこの無限大(のうちの一つ)の起源は、粒子と粒子が無限に近づくとエネルギーが無限に大きくなってしまうことにあります(紫外発散)。電磁気力、弱い力、強い力の場の量子論ではこの発散を「繰り込み」によって上手く手懐けることができます。しかし、同じ手法で重力の量子化を素直に行おうとすると、繰り込みでは取り除けない無限大が現れます(繰り込み不能)。重力の量子化の最初の難関はここにあります。この問題を粒子が点ではなく大きさを持った紐であると考えることで回避したのが超弦理論であり、そもそも時空には最小単位があるとすることで無限に小さいという量を回避したのが単体分割理論やループ重力理論なのです。

さて、東方Projectのファンのみなさん。「時空の最小単位」と聞いたとき、あるセリフが思い浮かびませんでしたか?

そう、東方儚月抄に登場した綿月豊姫のセリフです(長いので割愛)。このセリフ内で彼女は「時間の最小単位」に言及しており、これを「須臾」と呼んでいました。須臾は短い時間を表す言葉であると同時に、小さい量10^(-15)を現す接尾辞にもなるので、これと同じく10^(-15)を現す国際的な接尾辞である「フェムト」はその言い換えとして使われています。

我々には時間が連続に見えるが、実際は最小単位として須臾が存在しており時間は離散的であるというのが彼女の説明でした。この発想は単体分割理論やループ重力理論の仮定にとても似ています。

加えて「フェムトファイバー」もまた「極小のひも」を例にとって説明されており、弦理論の弦を念頭に置いているのかもしれません。

東方Projectの世界において月に存在する月の都は飛び抜けた科学力を持っていることが窺えるので、もしかしたら月では既に統一理論が完成しているのかもしれませんね。

おわりです。

蓮子がしているひもの研究とは、超弦理論のことである。そして超弦理論のテーマは秘封倶楽部シリーズを通して現れている、というお話でした。

これを書くにあたって、私の愛読書「大栗先生の超弦理論入門」を参考にしましたので、お礼の意味も含めて宣伝しておきます。「空間は幻想である」みたいなパワーワードが結構あって秘封好きなら楽しめると思います。

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【2024年4月追記】

更新された筆者の理解に従って本記事を改訂するにあたり以下の文献も参照にしました。

[1]J. Polchinski, “String theory”, 2007, Cambridge Monographs on Mathematical Physics. Cambridge University Press.

[2]L. Randall and R. Sundrum, Phys. Rev. Lett. 83 (1999) 3370 [arXiv:hep-ph/9905221v1].


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