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女の躰に無機質な殻を見ているような人間を、私は心底軽蔑する。ただしそういう人とそうでない人との分別は極めて困難。

その一方で、分別など端からできないという可能性についても考える。女の躰を見る時、無機質な殻に成り変わるのは女の躰の方かもしれないのだ。

しかし崇高なことに、成り変わったとて、無機質な殻の中には精神が宿る。その精神の存在をいつまでも見ることができないような人間こそ、心底軽蔑するに値する。その人に責任はないけれど。なぜならその目が養われなかっただけで、養おうとする感性すら育たなかっただけで。

これは、連想だけれども、その人は宿りうる精神を見ようとすると、壊れる人なのかもしれない。そこにグレートマザーの元型を見てしまうような人。悲しい人かな。不思議なことに、悲しい人だと思えば、軽蔑の気持ちは薄れていく。最もそれは、私が女の躰に宿る精神という自意識が薄れた上に成り立つことでもあるのだけれど。

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