見出し画像

究極的に自分を動かすモノ

会社を辞めて起業したこの10年、そして今現在も、強い動機付けのもとで一心不乱に進み続けることがなくなった。

動機付け、モチベーションとも言われるが、人はなぜ、何のために、行動するのだろうか、疑問が湧いた。

よくあるのが、お金のため、成功したい、周りに認められたい、偉くなりたい、ちやほやされたい、見返したい、期待に応えるため、欲しいもののためなどなど。

少し高尚になると、叶えたい夢、理想のため、自己実現、志、使命と感じることのため、世界平和のためといったところか。

感情で言えば、恐れから逃れるため、憎しみや恨みからなど、ネガティブ感情は強力な推進力足り得るし、一方でポジティブな感情も行動を促す動機付けになるだろう。

いずれにしても、誰しも自分の価値観、物差しで自分の周りの世界を観ており、世の中とはこういうもの、これはこう、あの人はああ、自分は何とかだ、といった枠組みに従って人生を生きている。

私自身で言えば、元々ネガティブに物事を捉える傾向があり、今の狂った世の中で正気を保ちさらに幸せを感じて自由に生きていくため、どのように自己の内外の世界を捉えるのが有効か模索してきた。

その結果わかったのは、どのような価値観であっても握りしめると、必ず存在するマイナス面の影響を受け、楽に生きられないことになるということだった。

それで、生きていく中で嫌な思いや感情が湧くたび、その原因となっている価値観を特定し、フラットにすることを行なってきた。たとえば、「人には親切にするのがよい」という価値観はまぁ妥当だとは思うが、強く握りしめると、親切じゃない人を非難して軋轢を生んだり、親切にできなかった自分を責めたりといったマイナス面がある。

そんな感じでやっていると、強い思い込みというのがなくなるので、楽にはなったが、同時に行動を促す強いドライブがかかりにくくなった。

そして、この先どんどんクリアリングしていき、究極的に悟りのような状態になった人は、何が動機付けになるんだろうかと考えた。

それはきっと頭で考えた目的や目標などではあり得ないということ。

そうではなく、今思うのは、命自体が持っている根源的な性質によるのではないかということ。

その性質は、宇宙を構成する普遍的な規律、原則に由来するもので、人によって、神とか愛と普遍意識とかさまざまに呼ばれる。

具体的に、私の認識では、「順行して完結しよう、全うしようとする性質」である。

自然に目を向ければ、樹々が生長し続け、鳥は飛び、魚は泳ぎ、そのものの命を表現するような、そんな現象を起こす素になっているもの。

銀河や恒星、惑星が果てしなく巡り続けるのも同じ力の現れ。

自然はシンプルだが、人間の場合、思考が働くので、少しややこしくなる。

思考も当然全体の一部なので、それさえも悪いもの、否定すべきものではないのはもちろんである。

といって、思考が価値観とセットで生み出す、苦しみや欲しいものに右往左往していては、無限ループから抜け出せない。

大切なのは、命が伝えてくる情報を思考で遮断したり、こねくり回さず、受け取ったら素直に実行する、その繰り返しかもしれない。

そのためにどうするのかを模索しているところです。

そうやって、自分の命を最後まで使い、全うできたらいいなと思う。

最後まで読んでいただき、ありがとう😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?