折り紙と著作権について(裁判所判例集から考える)

Twitterでしばしば話題に上がる折り紙の著作権について、僕も一愛好家として思うところがあるので、少し書き残そうと思います。

今回参考にするのは、裁判所hpの知的財産裁判例集です。

折り紙の著作権については日本折紙学会hpや法律事務所など様々な場で論じられていますので、そちらもご参照いただければ、より一層見解を深められるかと思います。

なお、僕は法律や裁判に関して、全く無知な人間です。検討外れな箇所などありましたた、ご指摘お願い致します。

はじめに〜個人の見解〜

折り紙作品やその展開図、折り図といったものは、その創作者が創作した唯一無二のものであり、音楽や楽譜、又は絵画といったものと同列に数えられるに相応しいものだと考えます。もしもそれらに著作権が認められるならば、折り紙にも著作権が認められて然るべきです。

裁判所の見解

《ご注意》
これはあくまで一個人の読解であり、裁判所の意図を汲み間違えている箇所、また、そもそも読解箇所がすっぽ抜けていたりする場所が散見される可能性もありますので、ぜひご自身で、判例に目を通していただきたいです。

まずこの裁判は、先んじて折り図を自身の著作に掲載していた原告(折り紙作家)と、その作品をTV番組に登場させた上で、作品の折り図をリライトしてhp上に掲載した被告(TV局)の裁判です。
この裁判では、
・折り図に著作権はあるか
・今回の折り図の模倣は、著作物の複製に当たるか
・今回の事件は同一性保持権の侵害に当たるか
の3つが大きく争点となっているようです。

結論から言うと、上記2つの争点は、
・折り図に著作権は認められない
・折り図の模倣は同一性保持権侵害に当たらない
と判断されました。その根拠を見ていきましょう。まずは、著作権の有無についてです。

① 21ページの(ア)を見るに、折り図は点線や矢印などごく一般的な表現を用いて描かれていることから、著作権に守られるに足る性質を持たないとされています。また、22ページ10行目より、折り図の著作権と折り紙作品そのものの著作権は同一とはみなされません。

② 一方で、22ページの(イ)を見るに、TV局の作成した模倣の折り方説明に関しては、元の折り図を改善し、より分かりやすくする為に説明を加えたり写真を添付したりといった工夫をこらしているために、著作権に守られるに足る性質を持つとされています。

次は、著作物の複製についてです。

③ 25ページ(イ)〜26ページ(ウ)より、②で記述されるような特徴がTV局の折り方説明に見られることから、原作折り図とTV局の折り方説明は本質的特徴が異なる。よって、TV局の折り方説明は複製ではなく、全く別のものと区別されるべきであるとしています。

同一性保持権の侵害について

④ ③で述べられたとおり、TV局の折り方説明は折り図とは全く異質であり、区別されるべきものなので、同一性保持権の侵害には当たらないとされています。

⑤ 32ページ アより、そもそも折り図を公表した時点で創作者はその作品が模倣される事を前提としているので、創作者はその時点で著作権を放棄したとみなされる

僕からの、折り紙愛好家としての反論

①' この理由から著作権を認めないならば、楽譜にも当然著作権が認められるべきではありません。楽譜はごく一般的な音楽記号を用いて書かれているからです。しかしながら僕は他人の足を引っ張って権利を主張するのは好まないので、もっと根本的に主張をしましょう。

現実にあり得る芸術はすべて、一般的な手法を用いて創られます。あるいは「言語」という高度に一般化された記号の集合を用いて物語を形作ったり、あるいは「空気の振動」という高度に一般化された物理現象を用いて音楽を形成したり、あるいは「キャンバスに絵の具を乗せる」「絵の具を重ねる」といった高度に一般化された手法を用いてものを描いたりします。この点からみるに、前述で主張された著作権の否定は、著作権という権利そのものの破壊につながると考えます。

②' もしもこれで著作権を得ることができるとするならば、創作家はより良く伝える努力を放棄していると考えていることになります。それは、折り紙創作家への冒涜です。「おりがみはうす ガレージブックシリーズ10 小松英夫作品集」には、作家がどれほど血のにじむような努力をして、よりわかりやすい折り図を描こうとしているか、作家がどれほどのこだわりを持って折り図を描いているかが随所に書かれています。こういった資料を見てもなお、折り図には工夫が認められないと言うのでしょうか。そもそも折り図を描くという行為は、創作者の頭の中にある手順をよりわかりやすく解説する試みであり、どのようにすればより正確に折り方を伝えられるか日夜研究されています。そのような視点から見ても、この判断は不当だと考えます。
さらに言えば、近年有罪判決を受けて話題となった「ファスト映画」にも著作権が認められるものとなってしまいます。

③' 折り図の大きな役割の一つに折り方を伝えることが挙げられます。形式が違えど、書き手が違えど、そのものの役割は同じです。TV局の折り方解説も創作者の折り図も「折り方を伝える」という約割は同じな上に折り方の内容も同じなのに、なぜそれに複製ではないと判断を下したのでしょうか。

④' ③'で述べたとおりです。折り図を改造した上でhp上に掲載したのにも関わらず、なぜ同一性保持権が侵害されていないとしているのでしょうか。

⑤' ①'の繰り返しのようになってしまいますが、それであれば楽譜を書いて販売している作曲家はすべて著作権を放棄していることになるし、「ドラえもん・えかきうた」を公表している時点でドラえもんというキャラクターの著作権も無くなるはずです。
また、折り図の大きな役割の一つに、「折り紙という文化の発展に寄与する」と言うものがあります。「おりがみはうす ガレージブックシリーズ9 神谷哲史作品集」のまえがきでは、「折り図を描くことによって折り紙界に貢献する」という考えが明確に書かれています。この観点から見ても、⑤における判断は、あまりに一面的な判断であると考えます。

おわりに

折り紙と著作権の問題は、極めて複雑です。折り紙愛好家の間でも全く同一の基準が無いほどに。しかし、著作権という権利は創作者に敬意を表して、その作品と創作者その人を尊重することに意味があります。決して軽んじられて良い権利ではありません。今回は「折り紙の著作権について思うこと」という極めて限定的な問題について書きましたが、これはあらゆる創作者の技術や経験に対する軽視や、はたまた道徳的な問題にもつながると考えています。あまり堅苦しくなりすぎるのも発展を妨げるようで少し忌避感があるのですが、こういった軽視を野放しにするのは、明確な激しい嫌悪感を覚えます。おそらくこれは、もっと通用的な、そして重要な議論にもなるべき、恐ろしい問題点の一つなのです。

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