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わたしとサッカー(幼少期編)

いつもNoteを読んでいただき、
ありがとうございます!

2024シーズン開幕に向けて仕事が忙しくなってきて
1月は一度しか更新できなかったので
前に書きかけていたのを見つけたときに
今にぴったりだなと思って
引っ張り出してきました(笑)

ということで今回は、
「わたしとサッカー」の幼少期編です!



ヴィアマテラス宮崎のYouTubeで公開された
選手紹介1問1答動画でも少しだけ話しましたが、
純粋にサッカー選手を目指していた幼少期について
書いていきたいと思います。

是非、最後までお付き合いください🙇🏽‍♀️


1.サッカーを始めたきっかけ


サッカーを始めたきっかけ
YouTubeを見て下さった方は知っているように、
簡単に言えば“兄の影響”です。

もう少し詳しく言うと、
兄が通っていたクラブチームに
幼馴染と体験に行ったことがきっかけで

当時は幼稚園年長(6歳)だったので、
正直なんでサッカーを始めたのかは分かりませんが
きっと楽しかったんだと思います(笑)


2006年だから6歳の時
みんなめっちゃ若いし可愛い笑

あまり覚えていないけど、
幼稚園から小学1年生くらいまでは、
ただ純粋に楽しかったし
“チームメイトもコーチもサッカーも大好き”
そんな幼少期でした(笑)

でも幼稚園の卒園アルバムの将来の夢は、
小学校の先生でした(笑)

この時は既にサッカーを始めてたので
サッカー選手になりたいと
薄っすら思っていたはず(笑)



2.競争が始まった小学生時代


私が通っていたクラブチームは、
幼稚園から小学6年生のジュニアと
呼ばれるカテゴリーとジュニアユース(中学生)
のカテゴリーがあるクラブチームで
同期は最終50人程いるくらい
割と大きいチームでした。


小学6年生の時の卒団式
これが全員同期(笑)

人数が多ければ必ずと言っていいほど起きるのが
“メンバー競争”

私の感覚では、
小学2・3年くらいからあった気がする…

練習はリフティングを100回できた人から
コーチが見てくれる練習に移れるのが普通で
試合も2会場でAチーム・Bチームに
分かれることがほとんどだった。

正直私は、その“競争”があまり好きではなかった。
ただ競争が嫌いなのか、
下手だから毎回負けるのが
悔しかったのかと聞かれれば、
今思えば多分後者のような気はするけど(笑)

でも間違いなく言えるのは、
私は“かなりの負けず嫌い”だったと思う(笑)
でなければとっくにサッカーなんて
やめているはず。

小学生の時は、男の子より女の子の方が
身体の成長が早い関係で
女の子の方が上手いケースが多いらしい。

でも私はというと、
全くもってそれには当てはまらなかった(笑)

それに今でこそ
なでしこジャパンのワールドカップ優勝
女子サッカー人口が増えてきたけど

私が幼い頃は、まだサッカーをしている女の子は
チームに1人いるかいないかくらいだったので
私のチームもたまに女の子が
自分以外にもう1人いることはあったけど
1人の時期がやっぱり長かった…

男社会のサッカーで辛くなかったといえば嘘になる
女子1人だと2人組を組むときは絶対1人残るし、
合宿や遠征では男の子と同じご飯の量を食べるのもすごくきつかった

同じチームだった子たちは今でこそ
普通に話したりご飯に行ったりできるけど
当時はやりにくかったんじゃないかと思う

それでもたまに自ら2人組を組んでくれる子がいたり
何かと気にかけてくれる子もいて
そういう行動に結構助けられていたなと思う。


競争は嫌いだったけど、
多分みんなとするサッカーが楽しかったから
6年間ほぼ女子1人だったけど
続けてこられたんだと思う。


3.卒業文集


幼稚園の卒園アルバムには
将来なりたいことに
「小学校の先生」と書いていた私ですが

小学校と中学校の卒業文集には
「プロのサッカー選手」と書いていました。


これが小学生の時の卒業文集

小学生の時、本田圭佑選手が
「世界一のサッカー選手になる」
「セリエAにいく」と
卒業文集に書いていたことが有名でした。

それに影響を受けたのかは分かりませんが、
私も卒業文集にその時の実力では考えられない
プロのサッカー選手になって世界で活躍して
バロンドールを獲るとまで書いていました(笑)


中学生の時の卒業文集
恥ずかしいけど後悔しちゃいます(笑)

現時点ではまだまだその夢からは遥かに遠いし
プロの夢すらまだ実現できていないけど

プロのサッカー選手という夢は
夢から目標に変わった感覚はあるし

この自分で書いた卒業文集から感じるのは
もしここに違う夢を書いていたら
どうなっていたんだろう
ということと
やっぱり自分は負けず嫌いだなということ(笑)

当時どういった気持ちで
この卒業文集を書いたかまでは
明確には覚えていませんが

想像できるのは、
"どうせ叶わない"と思って書かなかった時点で
自分は負けだ
と思ったんだと思います。きっと(笑)

だから自分自身の実力のなさもわかっていたし
心のどこかでは
絶対に無理と思う気持ちもあったけれど
目指すものがあるのに書けないことが悔しくて
結局小学生の時も中学生の時も
“サッカー選手”と書いたのかな。

まだ目標は達成できてないけど、
当時の私に今の姿を見せてあげたい。
“諦めなければ少しずつだけど
夢に近づくことができるよ“
と。


4.夢を追うこと


このNoteを見ている人の中に
プロサッカー選手の夢に限らず、
夢を持っているけど
迷っている人がいたら伝えたい。


きっとその夢を叶えるための道には

もう無理だと諦めたくなることも絶対あるし
自分になんてと思ってしまうこともある

世の中には夢を叶えられずに終わる人も多い

でもどんな形で叶うかは分からないし
夢を追いかける中で形が変わることだってあるから
自分の気が済むまでは夢を追い続けてほしい
なと私は思います。

きっと気が済むまで夢を追うことができたら
もし叶えることができなかったとしても
また次の夢ややりたいことに向かって
前向きに進めるはずです!


5.サッカーで繋がる縁


なぜ今回の内容を引っ張り出してきたかというと
この項目の“サッカーで繋がった縁”
が関係しています。

というのも最近たまたま幼稚園時代に
私の所属していたクラブチームで
コーチをしていた方とSNSで繋がるという
嬉しい出来事がきっかけで
今回のNoteがぴったりだなと思って
再び書き始めました。

昨年の夏にも小学生の時の合宿に
来てくれていた女性のコーチと
SNSで繋がって実際に10年ぶりぐらいに
地元で再会することができました🥹

これまでサッカーを通して
沢山の人と出会うことができて
その全てが私にとってかけがえのないものです。

でも今回の幼稚園時代や小学生時代の
コーチと繋がれたということは
私のサッカーの原点に関わってくださった方と
また繋がれたからかのかは分からないけど
特別嬉しかったんですよね。

1つ言えるとすれば
サッカーを始めたころの私を知ってくれている人に
まだまだ未熟ではあるけど
なでしこリーガーになった今の姿
を知ってもらうことが
できたから特別嬉しかったんだと思うし

2023シーズン最終戦での一コマ

実際今も選手としてプレーしていることを
とても喜んでくれました!

もちろん人の為にという理由だけで
サッカーをしているわけではないけど
こうしてお世話になった人たちに
喜んでもらえるのも
私の原動力の1つだなと感じます。

最初は無名の大卒1年目で何もなかった私が
特に昨年1年間で本当に沢山の人に
応援していただけるようになった。

私自身が努力するのは当たり前ですが
こうして今沢山の人に
応援してもらえるようになったのは

いつも応援してくださる方々の
温かい言葉があったからこそだし

そういったご縁を大切にしてきたからこその
今の私なのかなと思います。

少し話がズレてしまった気がしますが、
改めてサッカーでの縁に限らず
これから出会う人やこれまで出会った人
そして支えてくれる人や応援してくれる人
私にとって大切な人たちとの縁
を大事に出来る人間でいたいなと思います。

そして次は夢を叶えたよ!
という報告ができるように
今シーズンも全力で頑張ります!


6.おわりに


あまり話がまとまっていませんが

とにかく何のとりえもなかった私でも
諦めずにやり続けた結果
少しずつ夢が目標になりつつあって


努力することはもちろんだけど
色んなご縁を大切にしてきたからこそ
今がある
ということを
今回は伝えたかったです!

この話がためになる話かは分かりませんが
こうして少しずつ夢に向かって
進む人間もいるということ!(笑)

なんだか全然締まっていませんが
今回はここまでにしておきます(笑)

またいつか「わたしとサッカー」の
中学生や高校編も気が向いた時に
書いてみます!

では、また次のNoteもお楽しみに!!
最後までお読みいただきありがとうございました!

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