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M /大森靖子

可愛くないし、、、、頭良くないし、、、ずば抜けた特技や目立った才能もないし、、
でも、優しい人にはなれるかもしれない。
そして「優しい」という性格にこんなに魅力を感じたのはこの曲を知ってからだと思う。

大森靖子さんの『M』を聴くまでは、「優しい」という言葉をあまり褒め言葉として受け入れられなかった。
「えー彼氏優しそう!」みたいな、容姿で褒めるところがなかった時の切り札扱いされる風潮のせいかもしれない。

だけど『M』は私が今まで感じていた「優しい」への考え方を変えてくれた。
『M』を聴いて感じ取ることができるのは、
これ以上ないほどの「献身」
そして本当の意味での「優しさ」

「かっこよくなんか生きなくていいよって言う権利が欲しくてAV女優になりたい」
この歌詞があまりにも優しくて好きだな、
街ですれ違った美女を見て病むのも、表彰状を持って笑う友達をみて劣等感を抱くのも、留学に行った友達のストーリーをみて自己嫌悪に陥るのもあの子が私より「かっこよく生きてる」から。
だからせめて、私が大好きなあなたの事は「かっこよくない私」が肯定してあげて、悲しい気持ちにならないでほしい、気持ちよくなってほしいという意味なのかなと思う。
人の努力の結果に劣等感を抱くなら自分も努力しろよという考えの人も勿論正しいと思う。
でも、自分の輝きや成功が、あなたを辛くさせるのではないかな、という気持ちが一瞬よぎることも、ひとつの優しさだと思う。
それでも、AV女優もかっこいい仕事だけどな。

「人生を少しくれたら、私の愛は全部あげる」
痛いほど献身的なようにみえて、自己満足なようにもみえて、切なくて切なくて大好きな歌詞。
私は死ぬまでに、「人生を少しでもくれる相手」に何人出会えるだろう。
その人がもし現れたら、この人が最後かもしれないと思って、無償の愛をあげて、そのせいで嫌われて、、、愛を与えるのはその人を心の底から愛しているから。
でもそれだけじゃない、少しでも「人生をくれた人」を繋ぎ止めるため、つまり自分のためでもあるように感じてしまってやるせない。
自分のことを愛せたら、こんなことにはならないって分かってるけど、それが出来なくてやっぱり苦しいな。

「何千回も死んだら  何千人に与えられるかな
一度死ねば 魂は星になるから 死ぬたびに 
夜空がいつか溢れるように
夜空なんかじゃ足りなくて
一緒に生きた人たちの空と混じり合えますように」
Mさんがここで言っている「死ぬ」は、
「誰かのために自分を犠牲にする優しさ」なのかなとぼんやり思う。
自分だけじゃない、、私もあなたもあの子も、誰かのために「死ぬ」
それで夜空が溢れたら、ものすごく夜空は優しさに溢れていて、その優しさは夜空なんかじゃ収まらない。
だから一緒に「生きた」(優しくなれなかった)ダメな人生ですら肯定して、混ざり合って、世界が優しさに溢れますように、、、そんな風に聴こえてきて、綺麗でずっと聴いていたいな、

「強く強く生きるのは  どうしようもなく恥ずかしい 若くて ダサくて 不器用で 傷だらけだから美しい。」
唯一この曲で大森靖子さんの作詞。

かっこよく生きている人も美しい人も羨ましいけど、靖子さんが傷だらけ「だから」美しいと言ってくれて、救われる、、今日も。
やっぱり、優しくなりたい。

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