目的無きデータ分析は無駄である

何となくデータを見ることで目的など生まれない

何かいいことが見つかるかもしれないからと何の目的も無しにデータを見るのは時間の無駄である。

データ分析は意思決定のために行っているはずだ。であれば何らかの意思決定という目的が無ければどんなに数字をいじくりまわしたところで「それで?」で終わるだけになる。それは時間の無駄としか表現のしようがない。

なおここでいう「データ分析」とは手元にあるデータを何とかするということに限らず「特定の目的の意思決定を支援するための一連のプロセス」を指す。詳しいことは近日中に記事を書く。

まず目的ありき。そして必要だったらデータ分析をする。逆ではない

データ分析は手段である。目的を果たすために必要であるから行うのであり、データがあるから、導入したツールがあるから、新しい手法を勉強したからと分析して解決すべき問題への道に繋がっていたとしてもそれは偶然に過ぎない。

中小企業が売り上げを上げたいと考えているならばとりあえずデータを見るのではなく、先に営業やマーケティングに時間と金をかけた方が良い場合もあるだろう。

今あるデータから見えるものだけしか見えなくなるのは非常に危険

まず今あるデータありきで考えるということは、手元にあるデータで見えることしか視界に入らないということである。

売り上げが落ちている原因が経営者への不信感による士気の低下であるならば、アクセス解析ツールでいくら数字を見たところで解決するわけはない。データありきだとこういうことが往々にして起こる。

目的が先であれば、解決のために必要なデータは何で、足りないデータと今あるデータを考え、どこまで取得するかを決めるのが自然な流れだが、データありきの場合はこの過程を一切無視することになる。

最終的に様々な事情で今あるデータのみを使って考えざるを得なくなる場合は多々あるとしても、最初から可能性を限る必要はない。

目的なしに集めたデータは単なる雑学に過ぎない

面白いデータ分析の記事が自分の仕事にどれだけ役に立っているか考えてみればよい。手法が何かに使えそうだと感じるのは、問題意識がある時だけである。

何の問題意識も無しに読んだ面白い記事や集めたニュースは、何の役にも立たずにすぐ忘れられる。雑学そのものは否定しないが、やるべきことは他にいくらでもあるのではないだろうか。

なんとなく仕事をした気にはなれるが、何も生み出さない

数字をいじくり回すのは楽しい。もっと深堀したらどうなるか、なぜこうなっているかを考えたり議論しているとあっという間に時が過ぎる。しかし、何かがわかった気にはなれるが、後には何も残らない。

よほど意識していないとすぐこの状態に陥ることになるが、ためしにここ数日の間でデータを見ていた時間のことを思い出してみればいい。なんとなく数字を見て、今日までに何か変わったことがあるだろうか?

「探索的データ分析」などとそれっぽい名前を付けたところで何もしていなければ無駄であることに変わりはない。

「とりあえずデータを集める」ことで得をするのはツールベンダーぐらい

道具は目的を果たすために必要なら買えば良い。道具を先に買ってから何かいいことがあるかもなどと考えるのは順番がおかしい。

すでにあるデータを見るならば失うのは時間だけであるが、もしこれからデータを集めるのに大きくコストがかかるならば、さらに金と時間を失う。しかもコストに見合っただけのリターンを得られることはまず無いだろう。

ただし、先にデータを集めておかなければ後になって手に入らないこともあるのでデータを使うことに対して明確な意思があるのであれば投資は必要だ。

否定しているのはとにかく何でもいいから集めておけばあとで何かに使えるかもしれないと考えることだ。そのようなことはまず起きない。「せっかくデータを集めたのだから使わなければならない」とさらなる無駄を呼び込むだけになる。

目的なしにデータ分析をするのはほとんど無駄

確かに、いろいろ数字をいじくり回したり、その数値について話をすることで新しいアイデアがでてきたりすることはある。文章と同じでまず手をつけてみてそれから考えるという面もなくはない。

しかし、それはあくまでもある程度知りたいことの方向性が決まっているという前提が必須であり、その場合であっても効率は非常に悪い。ましてや何も考えずに数字を見たら課題がわかるなどというのは幻想である。

思いつくことはやりつくして新しいことを考える、考えが煮詰まって別のアプローチを探す、仕事に集中できないのでなんとなくぼーっと見るなど特殊な場合を除けば、目的無しに数字を見るというのはデータ分析の中でも最悪の手段だと考える。

事前に様々な知識を身に着けておくことが必要なのも同意するが、目的意識が無く読んだ知識と、問題を前に悪戦苦闘しながら身に付く知識ではまったく違うのは誰もが経験しているだろう。

できる限り経験を通して身に着けるべきだし、今考えようとしているのがごく基礎的な情報であるとしたら、それは基礎的な情報が整理も共有もされていない、というまた別の問題である。

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