攻撃と地道な努力 ゼンメルワイスとリスター

「まんが医学の歴史」は大変面白いので、みなさん読んでみられることをお勧め。その中で、対照的な人生を送ることになった二人が紹介されている。ゼンメルワイスとリスター。この二人は、消毒が多くの患者の命を救うことをそれぞれ発見したのだけれど、人生が大きく違ってしまった。

ゼンメルワイスは、同じ大学病院にある二つの産婦人科で大きく死亡率が違うことに気がついた。いろいろ調べた結果、死亡率が異様に高い産婦人科では、産褥熱で亡くなった死体を医学解剖し、その手のまま出産をしていたことが原因であることを突き止めた。

そこで、ゴミの悪臭を消す力があることで知られていたさらし粉を溶いた水で手洗いするようにした。すると、産褥熱で死ぬ患者が激減した。消毒法の発見だった。ゼンメルワイスは「産婦を殺していたのは私たち自身だった」とし、この消毒法を広めようとした。

しかし、この消毒法をなかなか認めようとしない産婦人科の医師たちを「この人殺しめ!」とゼンメルワイスは罵るため、反発する人が増えた。その効果の顕著なことからゼンメルワイスを応援していた理解者も、ついていけないことが起きるほど。

結局、ゼンメルワイスの主張はなかなか受け入れられず(自分たちのやったことで患者が死んでいたとはなかなか認めがたく)、ゼンメルワイスは精神を病み、入院先の精神病院で殴られたケガが原因で死んだ。

ゼンメルワイスより少し遅れて登場することになるリスターは、やはりケガした場所から細菌が感染することによって死亡するという点では産褥熱とよく似た症状、開放骨折(骨が皮膚から突き出る骨折)に、消毒を試みたところ、死なずに済むことを突き止めた。

しかしリスターのこの功績もすぐに認められたわけではない。ただし、リスターは地道に研究を進めては論文などで技術を紹介する地道な活動をつづけ、スプレーで噴霧するなどの技術改良も進めることで、徐々に理解者を増やしていった。ゼンメルワイスのように医者を攻撃するようなこともしなかった。

長い時間をかけてリスターの消毒法は受け入れられ、やがてイギリス王からも認められるようになった。ゼンメルワイスとは違い、最後には国葬が行われるほど、理解者が増えた。

画期的な発見をしたのに、当時の常識に反するものであったために世の中から受け入れられず、むしろ嘲笑を受けることを、「ゼンメルワイス反射」という。ゼンメルワイスは確かに理解が得られず、不幸であった。しかし、彼のやや攻撃的な表現に問題がなくはなかった。

リスターも当時の権威とされていたシンプソンからバカにされ、リスター自身は当初無名の医師に過ぎなかったため、ゼンメルワイスと同じ道をたどっても不思議ではなかった。ただ、リスターは自らの発見した消毒法の改良に努め、現在も使われている縫合糸を開発するなど、地道な努力を続けた。

ゼンメルワイスは論文を書く訓練を受けていなかったことが理解者を増やすのに手間取った大きな原因でもあったが、リスターは自らの仕事を丹念に論文にし、発表したことも、理解者を徐々に増やすことにつながった。何より、リスターは攻撃的でなかったことが大きかったといえる。

私は立派なことをしているのに、それを拒否するのは、社会が悪に染まっているからだ、と攻撃する人は少なくない。しかし、攻撃するから理解者が増えていかない、という面もある。リスターのように気の長い、地道な努力ができるかどうかが大きなカギとなる。

もしリスターがゼンメルワイスと同じように、周囲にかみつくタイプの人間だったとしたら、やはり「ゼンメルワイス反射」は起きて、周囲から浮き、そして消毒法も怪しい技術だとバカにされ、消毒法が広まることもなかったかもしれない。リスターの地道な努力があったから、消毒法は根付いた。

「既得権益層がオレの正義を阻もうとする」みたいな論理が、小泉旋風以来ずっと続いているけれど、既得権益層も、生活がある。家族を養っている。もしかしたら一部大儲けしているやつらがいるかもしれんけど、そいつらはけしからんかもしれんけど、多くはごく普通の家庭の人。

そんなごく普通の家庭を営んでいる人たちを、守旧派だと罵り、「そんな奴らは既得権益をこれまで貪ってきたのだから路頭に迷おうが知ったことか」みたいな切り捨て方をする人間の言葉を、素直に受け止めることは難しい。そりゃゼンメルワイス反射だって起きようというもの。

どんな勢力にも、ごく普通の生活を営み、家庭を守っている人たちがいる。その人たちを「既得権益層」として安易に攻撃してよいものだろうか。その人たちに、生活する手段をきちんと用意し、移動してもらう必要はあるが、なぜ攻撃し、否定し、罵る必要があるのだろう。

地道で目立たないかもしれないが、リスターが実践したように、地道によりよい方法を開発改良し、それを社会に伝え、徐々にそれが浸透するよう努力する。過去の技術にしがみついていた人たちも、「そろそろ潮時か」と、自然に離れていくことができる時間のゆとりを。

私たちはついつい、悲劇のヒーロー、ゼンメルワイスに同情し、肩入れしたくなる。私もゼンメルワイスに深く同情する。しかし、攻撃的な言動は、どうしても反発を生み、せっかくの発見も台無しにしてしまうことを、彼の人生は教えてくれる。

他方、リスターの人生は対照的に、地道だし、なかなか理解が得られず、切歯扼腕な人生だけれど、それでもやはり最終的には理解者が得られる。だとしたら、「攻撃」は必ずしも必須ではない。ゼンメルワイスとリスター。この二人の生き方から学ぶことは多い。

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