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春はよろこび、ちょっと憂鬱

 春はうれしい。雪の多い土地であればいっそう。カタクリも菜の花も梅も桜もチューリップも一気に咲く。ストラビンスキーの「春の祭典」のように命がいっせいに動きだす。
 今年、2023年は、WBC、ワールド・ベースボール・クラシックと重なって、新型ウイルス禍で眠っていた人々のエネルギーが噴き出したような気がする。
 私も、久しぶりにプロ野球を見た。飽きっぽい私は、数か月ずっとひとつのチームの勝敗で一喜一憂することができない。見ても日本シリーズだか、最後に真剣に見たのはだいぶ前になる。
 今回も、大して関心もなく、なんとなく予選をテレビで見て、そのまま最後の決勝戦までまじめに観戦した。
最年長のダルビッシュ有選手がインタビューで、楽しそうにプレイして、子どもに関心を持ってもらえたら、というような発言をしていたが、選手ひとりひとりが楽しそうで、還暦過ぎの私もひきつけられた。特に準決勝の逆転はドラマチックで、「こうなったらいいな」と思ったことが現実になって、野球ならではのおもしろさを堪能した。
 私は何事も永遠に「にわか」で恥ずかしいが、そういえばとクラウドの古い写真を探してみたら、2018年、夫の仕事でLAに滞在中、2度、アナハイムに大谷翔平選手を見に行った時の写真が出てきた。彼の球の速さにはびっくりしましたが、大谷のベンチの様子、チームメイトに声をかけている姿が印象に残った。じぶんの成績だけを考える孤高の人ではなかった。その時は意外に気さくなんだ、くらいにしか感じなかったが、今回の大谷の姿を見て、改めて、野球はひとりではできない、チームでする競技、というごくごく基本的な点を大事にしている選手なんだと気がついた。もちろん、私には大谷がWBC日本チームの輪、和の中心になるとは想像もしなかった。
WBCのために急ごしらえで編成されたチーム、通常は利害が対立するライバルの寄せ集めが、あんなに和気あいあいとまとまった原動力に、アメリカのプロ野球で活躍する選手がなるのがすごい。栗山英樹監督の選手を信じる力もあって、優勝という最高の成果を出した。
 私のような凡人の小物は、不調の村上宗隆選手はスタメンから外せばいいのに、彼なら次の大会にも必ず出るだろうし、この経験をバネにがんばればいい、その方が本人も楽では、と思った。ところが、栗山監督は、村上選手を打順こそ変えたが外さなかった。そこがすごい。その信じきる気持ちに村上選手は応えた。高い能力のある人は難局を自力で乗り越えられる。逃げずに乗り越えた方が得る糧は大きい。
人を信じる。簡単そうで難しい。夫婦でも相手を信じきる力が大切なのだ。疑い出すと「オセロ」になってしまう。たまたま、つい最近、私は劇団☆新感線の「ミナト町純情オセロ 月がとっても慕情篇」を見てきたのだが、疑いは嫉妬に火をつけ、最悪の悲劇となった。やばいぞ、なんか、今後の私の後半戦の生き方への諭しかもしれない。
 歓喜の余韻と、終わった寂しさと。やっぱり春は憂鬱なのだった。

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