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大切にしたいのは「人としての懸命さ・お客様に対するプロ意識」Sraw ディレクター 柳亜矢子のキャリアとこれから

日本のヘアトレンドを引っ張る存在であるブランドサロンから、街に寄り添い、それぞれの個性を引き出すヘアサロンまで、多様なサロンを運営する株式会社シェアリング・ビューティー。今回、社内対談を依頼したのは、ヘアコンテストの審査員や業界誌に引っ張りだこ。サロンワークだけでなく、ご自身のライフスタイルからも多数の著名人ファンを抱えるSraw・柳亜矢子さんです。柳さんの美容師半生を振り返りながら、”これからの美容室にとって大切なもの”を、代表の坂本と本音で語ります。

■参加者
株式会社シェアリング・ビューティー
 柳 亜矢子 (Sraw ディレクター)
 坂本 幸蔵 (代表取締役社長)

おしゃれが好きで、元気だけが取り柄だった20代

ー 柳さんの美容師になるルーツはなんでしたか?アートもお好きですし、弟さんも造形作家/家具職人さんでいらっしゃいますよね。

柳さん:実家は美容やアートと全く関係ない普通の家庭なんです。元々絵を描いたりすることが好きで、中学生の頃からファッション誌をよく見ていました。高校生になりヘア特集の記事を見て、ワクワクしたんですよね。おしゃれを自分の手で完結できる仕事としてわかりやすくて、美容師に惹かれました。

弟との共通点は、「ものづくり」への興味という点でしょうか。私はミーハーなところもあり、寡黙な弟とは性格も真逆で、興味も全然違うんですよ。私の性格は父に似た気がします。今でも実家に帰ると、父はじっとしておらず、常に動き回っていますね。

Sraw中央のテーブルと姿見は、実弟・弘之さんの作品

ー 高校卒業後、国際文化学校に入学されたのが美容師キャリアのスタートですね。

柳さん:国際文化は、とても厳しかったです。美容学校だけどカラー禁止の校則、1秒でも遅刻したら、欠席扱い。罰則で朝掃除とか(笑)。でも見学の時に、学生さんからものすごく笑顔でしっかりした挨拶をしてもらって、その印象がとっても良くて決めました。

坂本さん:強豪校の部活みたいな雰囲気ですね(笑)

柳さん:ほんとそうですね。厳しさの中に基礎の叩き込みがあったと思います。奈良くん(SHIMA 奈良裕也さん)や内田聡一郎さん(LECO 内田さん)も国際文化出身ですし、今でも活躍している美容師がたくさんいますね。

坂本さん社会人として最初に教わる基礎や挨拶は、一番大事ですよね。めちゃくちゃ共感します。

柳さん:最近も技術だけじゃなくて、礼儀とか挨拶・コミュニケーションってすごく大事だと感じるシーンが結構あって。ヘアコンテストとかにご招待いただくと、有名サロンさんが控室に集まるんですが、大御所の方々は「おはようございます!」って全テーブルに挨拶して回ったりするんです。世代によっては、挨拶を習っていない方も多くなってきたのか、しない方も多いですね。自然なコミュニケーションができないって寂しいなと思います。

坂本さん:本当にそう思います。Srawに顔を出すと皆一斉に挨拶してくれるし、お客様を大事にする手法として挨拶を大事にしてると感じます。僕自身、人としても「ありがとう」「ごめんなさい」「おはようございます」が言える人でありたいなって。美容室ってチームプレーなので、挨拶が一つひとつの仕事に全部繋がるなと感じますよね。

ー 1社目に勤められたのは、代官山「Eight&Harf」さん。どんなスタイリストデビューだったんですか?

柳さん:当時のサロンは雑誌にも多く登場するようなかなりハイセンスな先輩たちの有名サロンで、それに対して私はとにかく元気だけが取り柄でおしゃべりで、服装も芋っぽかったです。深夜の食事で、ものすごい食べるものだから、「モグたん」ってあだ名でした(笑)

坂本さん:モグたん!!(笑)今からは想像できないですね。

柳さん:Eight&Harfもとにかく忙しかったです。入社してから1か月でフロアに出されて、1年半でデビューしました。デビュー前は代表の池部さんのアシスタントについて、厳しさから3か月は毎日泣いてましたね。今考えるととても貴重な経験だったのですが、忙しい合間を縫って、CHANELやChristian Diorのショーに連れて行ってもらったりしました。池部さんは今でも師匠だと思っています。その後スタイリストになってからはコレクションのヘアメイク、雑誌の撮影も多数あり、23歳で200万ほど売り上げていたので自信はついたと思います。

2001年、CHANELメガショーのバックステージで。カールラガーフェルドや当時のミューズのデヴォン青木やスーパーモデルたちが来日。 池部さんの師匠である、パリコレでの超有名ヘアアーティスト、オディール・ジルベールのチームに参加。

順風満帆なキャリアを捨て、「挑戦」を選択した若手時代

柳さん:デビューも早かったため、6年間勤めたらこのまま主要なポジションにつきそうだな、、、と思っていた頃。今考えればもっとサロンに恩返しする必要があったんだと思いますが、とにかく”挑戦”がしたくて、海外に行きました。
当時、先輩たちは変わらずかっこよかったのですが、後輩たちのお洒落の意識が段々薄れている気がして、環境を変えてみたくなりました。美容師はデビュー前にやめてしまうケースもよく見ますが、今になって、育ててもらった恩返しというのは、非常に大事だなと実感しています。

坂本さん:僕も「恩返し」「恩送り」というのは、人生の中でも非常に大事にしています。巡り巡って自分にも返ってきますよね。人生ってその瞬間が刹那的に終わるものではなくて、社会で繋がっているので。

ー 帰国されてから、broocH(表参道)の立ち上げにジョインされたんですね。

柳さん:海外での生活やスタイルはとても刺激的でしたが、当時は今ほどのサロンも少なく、日本の美容レベルの高さを感じて帰国しました。
帰国してからはヘアメイクがやりたくて、当時CHANELやコムデギャルソンのコレクションなどやっていた、モッズヘアの加茂克也さんの元で働くことはできないかなど考えていた時に、当時のオーナーに声をかけていただきbroocHを立ち上げました。なんでも任せてくれていたので、成長できたと思います。

ー 柳さんが業界で有名になられたのはどんなきっかけがあったんでしょうか。

柳さん:当時の業界紙「Ocappa」の編集長、畑中さんに、表紙のヘアメイクに抜擢していただいたことだと思います。キャリアの浅い私を抜擢していただいてから、業界で注目していただけるようになりました。その頃雑誌などの撮影でお世話になったヘアメイクさんやカメラマンさんと、今でもお付き合いが続いています。


雑誌「Ocappa」内でのヘアメイク作品

「終わったな…」経営統合後に訪れたコロナ禍のピンチ

ー 順調にキャリアを築かれて行く中で、シェアリング・ビューティーにサロン経営のバトンが引き継がれました。その時のご心境はいかがでしたか。

柳さん:それまでのオーナー個人の会社から、組織になったなという感覚です。シェアリング・ビューティーになってから数か月でコロナ禍に入り、そのときのインパクトが非常に大きかったです。坂本さんはどんなご心境でしたか?

坂本さん:正直、終わったな…と。

一同:(笑)

坂本さん:柳さんやほかの素晴らしいスタイリストの方々に共感して、broocHグループの経営をさせていただくことになったのですが、店舗事業にまだまだ知識が浅い時期にコロナが来たときは震えました。ただ、救われたのは柳さんや上野さん(koti BY  broocH店長)が非常に建設的で前向きだったことです。あの頃は先行きが見えない中、本当に毎日細かくやり取りさせてもらいましたね。現場の皆さんを信じて進むしかなかった。

柳さん:私たちも当然はじめてのことだったので、最初はお店なんてやっている暇じゃない!という感覚もあったのですが、いざ数週間お店を閉めたら、私たちは現場の人間なので本当に何もできない。お客様と対面でお会いできる大切さにより気づくことができました。惨禍があったのに不謹慎な言い方かもしれませんが、プロ意識が一段上がった気がします。

坂本さん:東京都からも理容・美容においては営業許可がとれたりと、コロナ禍を経て、美容が提供できるお客様への価値自体が上がったとも感じました。美容が生活のライフラインとして認められた感覚はありました。

経営・現場をチームで分担、より良いものづくりを

ー 柳さんはシェアリング・ビューティーに変わってから、変わったことはありますか?

柳さん:個人から組織の会社になり、ちょっとしたことでも相談ができる環境というのはとてもありがたいです。西さん(サロン管轄役員)に何でも相談できますね。
あとはコロナ禍を経てその6月にSrawを立ち上げさせてもらった変化は大きいです。

ー Srawはどんな経緯でできたんですか?

柳さん:以前から自分の生み出す空間を作りたいと常々思っていて、坂本さんにも快く承諾してもらいました。サロンワークが常に自分のベースではあるんですが、空間づくりや、TAUなどのプロダクト開発にもすごく興味があります。好きなことがいっぱいあるので、会社の力を借りて今後も色々やっていきたいなと思っています。

柳さんプロデュースのプロダクト”TAU” ※TAU モイストカーミングオイル

坂本さん:僕は一人で仕事できないと思ってるタイプなので、ぜひ現場以外の部分は任せてもらいたいです。
柳さんにはいいと思うもののアイデアを出していただいて、どう具現化するのか、それをどう広めたり安定化させるのかっていうのは別の役割があるので、それぞれチームでやっていけば、より良いものができると思うんです。

柳さん:個人だとやはり全部やらないといけないので、形にしていく段階で会社に助けてもらっている部分は大きいですね。

ー これから柳さんが世の中に生み出していく「もの」において、共通しているものはありますか。

柳さん:髪の毛でいうと「#服が似合う髪」を引き続き提供していきます。自分も年齢を重ねてきたように、お客さまも同じように年齢を重ねてきているので、表面的だけじゃなくて、内面的なところも大事にしていきたいなって思っています。ものづくりに関しては、使う人たちに寄り添っている、心地のよさを提供していきたいですね。

このエリアに訪れてくださったお客さまへの責任と努力を

Srawでは訪れるとわかる、心地よさを感じる

ー それでは最後に、一緒に働きたいと思う方はどんな方でしょうか?

柳さん:
やる気があって元気な人ですかね。

坂本さん:柳さんじゃないですか(笑)

柳さん:(笑)美容師はとにかく体力勝負です。気持ちが元気なこともあるし、体力があることも大事だと思いますけど、やる気があってまっすぐな人は伸びると思います。センスはあとから磨けますね。
ただこの都内中心エリアってお客さまからいただく値段も高いじゃないですか。このエリアでやっている以上は、絶対付加価値がないといけないと思っていて。わざわざこのエリアを選んでくださるお客さまのための努力は、最低限必要で、絶対努力しなくちゃいけないです。

坂本さん:めちゃくちゃ大共感です。

柳さん:仕事以外はどんなにちゃらんぽらんでもいいんですよ。でもどんな仕事でも全力でやってほしいですよね。飲食店でもデパートでも、いい接客されたらまたここ来ようかなって思うじゃないですか。

あとは辞めることに関しては、一定、キャリアの中で仕方ないことはありますが、この会社でがんばりたいって思わせることが必要です。その点にはこちら側にも責任があると思うし、期待を込めた教育をしていかないといけないなって思っています。いろんな人を許容できるお店でありたい以上は、きちんと成果をあげていくこととセットで考えていきたいですね。

ー おふたりとも、インタビューありがとうございました!


興味を持っていただいた美容師さんは、ぜひ下記のリンクからお気軽にご応募ください!

■採用情報はこちら
(株)シェアリング・ビューティー RECRUITページ (sraw含むbroocHグループ)

■その他エリア・協業のご相談はこちら
(株)シェアリング・ビューティー公式HP

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