『かがやく月の宮』

 物語を書き出しあぐねている紫式部は、父・藤原為時から手渡された一巻の巻物を紐解き読み始める。『かがやく月の宮』と題されたその秘巻は『竹取物語』の異本であるが、世に流布するものとはあまりにも異なる内容だった。
朝鮮半島で大唐帝国に無残な敗北を喫してから10年、主戦派の皇子が自害するなどの政変を経てようやく国内の混乱が収まった日本に、大唐の実権を握った皇太后から臣従を要求する国書が届く。即位したばかりの帝は若く病弱であり、藤原左大臣の支配する朝議は屈従やむなしに傾きつつあった。折しも都は竹から生まれ近江国竹生島に住む美女〈かぐや姫〉の噂で持ちきりになっており、地位の高い求婚者たちが次々と悲惨な結末を迎えてからは政治的にも無視のできない問題となっていた。国書への返答を先延ばしたい朝臣たちは現実逃避もあってかぐや姫の調査を始める。異国の文献に通じた蔵津麻呂によれば、かぐや姫の正体は西域で月の女神を信仰する狂信者たちの人間錬成術によって造られた月にゆかりの〈玉姫〉ではないかとのことだが……

 2013年新潮社刊。『源氏物語』執筆前の紫式部を外枠に置き、彼女が異本『竹取物語』を読み進めるという構成。宇月原の長編では最も短い。
 稲垣足穂「黄漠奇聞」の幻想世界が作中に取り込まれ、日本神話とギリシア神話がシルクロードを通じて入り混じる奇抜さに目を引かれがちになるが、実は原典『竹取物語』と平安朝国文学の正統な後継作品であろうと試みた小説でもある。『竹取物語』理解には、大きく「現世のかなたの永遠の美を求めるお伽噺」(和辻哲郎)と、に代表される「当時の大宮人を写した一篇の世態小説」(津田左右吉)の二つがあるが (※1)、本作では前者が〈玉姫〉かぐや姫の正体をめぐるミステリーによって、後者が6世紀半ばの日本を取り巻く国際関係と貴族社会の描写によってそれぞれ拡張され展開されている。枠物語の主人公が紫式部であるのも、『源氏物語』が『竹取物語』の強い影響下で書かれたことを反映してのものだろう。
『聚楽』や『安徳天皇漂海記』の中心的な主題だった「人に魅入る不可思議なもの」と「どこまでも地にとどまって生きなければならない人 」の対比(※2)は、本作でも引き継がれている。だが、「不可思議なもの」が彼岸に姿を消した後の日常への帰還が描かれた前二作と異なり、本作ではむしろ「不可思議なもの」が消えた後も人々に不気味な影を落とし続ける様子が強調されている。枠物語の主人公、紫式部はたびたび「これは物語。地に足のついていない空言」「狂言綺語と戯れることができないのなら、物語など読まぬこと」と、この巻物が虚構であることを不自然なまでに強調するが、そのことがかえって現実と切り分けることのできない〈物語〉の力を際立たせているのではないか。


※1 大井田晴彦「解説」『竹取物語―現代語訳対照・索引付』、笠間書院、二〇一二年、一〇九頁。
※2 『安徳天皇漂海記』、中公文庫、三二〇-三二一頁。

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