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クルディスタン(イラン)で現地の家を泊まり歩く①

日本のタンカーがペルシャ湾で襲撃されていた頃、ヒッチハイクも使いつつクルディスタンを巡ってました。シーア派体制のイランで、スンナ派のクルド人はマイノリティ。家に泊まったりヒッチハイクしていると、独特の政治事情、体制への思いもチラチラ。
海外に行けない今となってはいい思い出。回想がてらメモリます。

※クルディスタン:トルコ、イラク、イラン、シリアにまたがる山脈地帯。山の民・クルド人の居住圏。

ペルシャ語とクルド語?喋れるわけないので、英語とGoogle翻訳で乗り切りました。通常運転です。

中の人

万が一このメモで旅行の参考にする人がいた場合に備え、最低限(?)の自己紹介を。20代男性。当時バックパッカー歴4年目。途上国が大好き。当時は就職前なので基本的にドケチ貧乏旅行。
政治理論と宗教思想も好きなので、普通のバックパッカーよりもそこらへんは詳しいと思います(現地の人との話のネタが増える)。

ヒッチハイク経験はインドのラダックでのみ(日本もない)。
現地の方の家に(無償で)泊まった経験はインドのゴアで1回だけ。

なお、座右の銘は「まずはバス、バスがなければヒッチハイク、車がなければ歩け」。
タクシー?旅行で使う人なんているんです?

イラン入国

エジプト・ハルガダからイスタンブール経由・ペガサス航空の深夜便でイランの首都・テヘランへ。空港で寝て、日が出てから町中へ。

初イラン。今まで回ってきた途上国とは全く違う特殊な国。特に二日前までいたエジプトとは明らかに国の発達度、民度が違う。初日から驚きの連続だったのだけれど、その話は機会を改めて。とりあえず、「鎖国ってすごい」「意外と旅行初心者向けの国では」とだけ。

テヘランでは現地の方の家に1泊し、イランの仕組みに慣れたり現地SIMを調達したり。実は海外でSIMを買うのは初。
(バックパッカーなのにSIM使ってなかったんかい、と思われた方、至って正常な反応です。でもSIMなしの旅、現在地がわからない旅も楽しいっすよ笑)

今回のイラン旅の目的地は2つ。①クルディスタンの山奥の村を巡ること。②ヤズド付近、砂漠の中にある村へ行くこと。
そして、サブで目的がもう一つあり、「イランのお泊り文化を最大限味わうこと」。実は知ってる人は知ってるんですが、イランの「旅人を泊める・もてなす文化」は世界的に有名。ただ、そうすると現地の方との連絡手段が必要なので、今までケチってたSIMも買うことに。

そして2019/6/11(火)の夜、テヘラン・西バスターミナルから、10時間のバス旅へ。

コメント 2021-01-03 190533

テヘランからひたすら西へ600km。

クルディスタン上陸、ご飯を奢られる

6/12(水)朝7時ぐらい。コルデスタン州マリバンに到着。朝日がとにかくまぶしかった。

コメント 2021-01-09 194303

※赤枠がコルデスタン州(クルディスタンのペルシャ語読みらしい)。イランのクルディスタンの心臓部分。州都はサナンダジ。到着したマリバンは、コルデスタン州でも西の果てにある地方都市。

今回お泊り文化体験の準備として、Couchsurfingを登録。イランでは2人のホストに泊めてもらう約束をしていた。テヘランで泊めてくれたのが1人。そしてこの日、マリバンで1人。つまり序盤はCouchsurfingで無難に行こうという作戦。

が、マリバンのホストに連絡をとると「今日はマリバンにいなくて、泊められない」とのこと。
なんやねん。軽いな~。
とりあえず地図アプリで現在地を確認して、町の中心へ。気軽に現在地を確認できるSIM、すばらしい。

ホテル探しがてら、町の中心をぶらぶらしていると、テラスでまったりしているおっさんに呼び止められる。民族衣装のダボダボパンツの人。

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※クルディスタンの服屋。茶色いのが男性の民族服。クルディスタンでは、年配のおじさん達はみんなこれを着ている。女性の民族服はあまり見かけない。そういえばイラクのバルザニKRG大統領もこんな服着てるな。

ローカル版喫茶店・軽食屋っぽい。オープンテラス、絨毯の上に靴を脱いであがり、一服。おっさんの友達が4, 5人集まる。こいつは床屋だ、魚屋だ、等と紹介。「どこから来たのか」「何しに来たのか」、英語+Google翻訳でお決まりの会話。「日本人」と言うと、非常に珍しがられ、質問攻め。「チャイを飲め」に始まり、朝ご飯のオムレツ?的なのが来ると、「お前も食え」と分けてくださる。正直腹は減っていたのですごいありがたい。

「今夜はどこに泊まるの?」
既に町中のホテルを探しみたんだが、田舎過ぎて選択肢が少ない。中級ホテルが1軒。1泊約2000円。(世の中的には安いのだろうが)個人的には微妙。
色々考えた末、Couchsurfingで別のホスト探してみることに。当日だけどOK出してくれる人はいるんかな。
「友達の家に泊まるつもり。連絡がとれるまで、ここにいていい?」
「もちろん!」
夜行バスで少し寝不足なので、テラスで少し横になる。すると店の兄さんが布をかけてくれる。優しい。。

最初にCouchsurfingで声をかけた人が、1泊だけならいいよ、仕事があるから17時においで、と言ってくれた。神。

そんなこんなで昼になったので、英語の通じない店の兄さん(店主っぽい)に「何か食べるものをください。お金は払います」とGoogle翻訳で見せる。
普段なら値段聞かずに注文なんてしないんだが、この店なら大丈夫かなと。

朝と同じオムレツ(香辛料っぽい独特の味がする)を食べ、お金を払おうとすると受け取りを拒否。Google翻訳で「貴方は客人だ。敬意を払っている」と見せてくれる。

戸惑って他の客の顔を見たが、目をそらされてしまう。
奢られるとは思わずびっくりしたが、そのままお礼の気持ちを伝え、Instagramを交換してから、お店を後にした。

これが失敗だったと知るのは後のこと。

シンゾーアベ!

待ち合わせの夕方まで暇なので、とりあえず町をぶらぶら。のどかで、からっとした気候。青い空。茶色い家々。ザ・中東。好き。

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大きな公園らしき場所を通ると、おじさん達がわらわらと集まっている(後に米ドルとの青空両替だとわかった)。おじさんの一人に声をかけられた。「どこから来たの?」「日本だよ」「アベ!」
他のおじさん達も集まってくる。
「今日の午後、アベがイランに来るんだ!ハメネイと会うんだ!」
そういえば安倍首相のイラン訪問があるって聞いてたけど今日だったのか。テヘランで泊めてくれた人ものプディ君「トランプとの問題を解決しにきてくれるんだ!」とか言って期待してたな。

そんなこんなで少し会話。
「これからどっか行くのかい?」
「いや、時間が余ってて、少しぶらぶらしてるんだ」
「じゃあゼリバール湖に行きなよ!」

事前調査でも出てきた、マリバン近郊にある大きな湖。マリバンっ子には人気の遊び場所。まあ、内陸の民って湖とか好きになりがち。日本人でいう海みたいな感覚じゃなかろうか。

コメント 2021-01-03 190848

「ちょっと遠いじゃん?交通手段がなくて」
「車で送ってやるよ!」
「おお、ありがとう。けど帰り道が」
「迎えにいってやるよ!」と別のおじさん。
神か。

ということで送ってもらった。なおゼリバール湖ではアルメニアからヒッチハイクで南下してきた、アルゼンチン人のフアン君に遭遇。ヒッチハイク上級者。日本でワークホリデーをしたことがあるらしく、旅の話をしながら一緒に魚のバーベキューを食べ、おじさんに迎えをお願い。やってきたおじさんに、
「彼(フアン君)も一緒に送ってもらって大丈夫だろうか?」
「いいよ!」

因みに湖の方は普通。

マリバンに戻っておじさんとお別れ。フアン君は都会が嫌いとのことで、更なる南下を続行。いい時間なので、待ち合わせ場所へ。
雑貨屋さんで店番をしているひげもじゃのお兄さん(30代)、シェルコさんです。

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雑貨屋さん。逆光で店の中は映ってないけど、店から見える住宅街がキレイだったのでパシャリ。

一緒に店番してた弟君まじえて、自己紹介しつつ雑談。シェルコさんは、工学部を出て技師をやっていたけど、制裁・通貨安で経済が悪化し、今は雑貨屋でしのいでいるとか。店じまいをしてから雑貨屋の上のおうちへ。

クルド事情とイランの政治体制

清潔なおうち。イラン全体の家に言えるのだが、イランのおうちは概して清潔。少し前までいたエジプトとは雲泥の差。生活レベルが高い。途上国とは思えない。
ホストさんが琵琶的な民族楽器を弾いてくれた。

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そんなこんなで、シェルコの奥さん、レイラが帰宅。ヒジャブを脱ぐ。いやあ美人。
因みにイランは宗教政治をやっているので、法律で女性のヒジャブ着用が義務化されてる。男性は脛を隠すズボンの着用が義務。テヘランで泊めてくれた人やここのホストさんはディスりまくってました。保守的な人は喜んで従うのだろうが、若者には辛いよう。
レイラも外では仕方なく着けてるが、家の中では客前(男の前)でも気にせず外す派。

その後、お互いの国事情を話したり。クルド語事情に話が及ぶ。
シェルコ「クルド語にはいくつか方言がある。クルマンジ、ソラニ、○〇、××、△△。××と△△はクルドじゃないっていう人もいるけど、まあどうでもいいよ」
「マリバンやサナンダジで使ってるのはソラニ。自分もソラニだ。けどここから南の方の、ホウラマン地方は、また別の方言使ってる。あれ、確か君はホウラマン地方に行きたいんだっけ」

今回の目的地①、クルディスタンの山奥、ホウラマン地方の村々。今日聞き込み調査して回ったところ、シェアタクシーが朝出ているかもとのこと。正確な時刻が微妙なんだが、最悪ヒッチハイクしてなんとかする予定。

21時頃、日が暮れて外は夜。一緒に買い物に行くことに。ストリート市場で食べ物等を買いつつ、話題は政治や経済へ。
シェルコ「今のイランは大変だ。制裁が厳しくて、仕事がない。今のハメネイの独裁体制のせいだ」
テヘランで泊めてくれた人も同じことを言っていた。日本で目にするイランのニュースは選挙の話ばかりなので、「独裁」と思われてるのは少し意外。

自分「イランって選挙やってたよね。選挙で変えられないの?」
シ「あれは選挙じゃないよ。選挙に立候補する時、体制が誰が立候補していいのか、選ぶ。形だけのものだ」
イランの議会選挙、大統領選挙の立候補者には、最高指導者ハメネイ師の息がかかった組織が、資格審査を行い、結構絞り込んでいる。そこが「形だけの選挙」「独裁体制」と映る。そういう現地の方は少なくないみたい。

そしてクルドの宗派の話へ。
シェルコ「クルド人はスンナ派だ。そういえば、スンナとシーアのことは知ってる?」
自「うん。この国の体制はシーア派だよね。そのせいでスンナ派が不利益をこうることはあるの?」
シ「表向きはない。スンナ派のことも国民だと政府は言っている。けど実際は少し違う」
自「というと?」
シ「うーん、例えば。スンナ派のモスクが、ある日シーア派のに変えられたりする。もちろんスンナ派を差別するとは建前上言えないから、別の口実をたてたりして」
なるほど。同様の話はイラクでもある。イラクと違ってイランは、法的・政治的にもシーア派を建前とした体制だから、もっとひどいかもと心配していたけど。

タローフ諸問題

帰宅したら「客人だから」と晩御飯を頂けることに。

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たまたま写真をとっていた一品。ヨーグルトベースのソースをかけて食べるサラダ。
絨毯をしき、食べ物の周りを囲う形で座って食べる。これがクルド流/イラン流。(因みに靴は玄関で脱ぎます)

雑談しつつ食事してる中、レイラが自分に何か聞く。が、英語でうまく表現できず。シェルコが間に入り、しばし夫婦間でクルド語の会話。

何だろうと思っていると、シェルコ「タローフって知しらないよね?」
自分「タローフ?」
シェルコ「イランにある習慣なんだけど。なんていうのかな、ある人が店で買い物をして、代金を払おうとするんだけど、店主が受け取りを拒む。けど、店はもちろん商売でやってるんだから、お金がいらないわけがない。お客への敬意を示すための、方便。これがタローフ。客はお金を払わなきゃいけない」
いやー、お昼にありましたなあ。。昼ご飯のお代を拒んだ店のお兄ちゃん。そういうマナーなのか。調査不足。ミスったああ。

いや、今まではインドとかエジプトとか、ほっといてもうざいぐらい自己主張する国々が多かったから。。そういう国渡り歩くにはむしろ自分から色々押していかないと負けるから。。(ゴニョゴニョ)

シェルコ「YouTubeとかでたくさん出てるよ。面白動画。お金を受け取らず、そのまま帰ろうとした客を、店主が慌てて引き留めるとかね」
シェルコ「日本にはないの?本音とは違うことっていうか」
自分「んー。日本にもそういうことが得意で有名な町がある。それと一緒かもね」
『お子さんは、元気でよろしやすなあ(=子どもがうるさい)』とか洗練された表現をする京都市民の皆さんなら、タローフと相性いいのでは。

食事がひと段落して、テレビを見ていると、ニュースで安倍首相が映っていた。
シェルコ「彼は一体何のために来たんだ」
自分「ハメネイとトランプを仲介して、両国の関係を改善するためかな」
シェルコ「日本の首相に一体何ができるんだ?」
容赦ない。が、正しい。

ふとインターンホンが鳴り、夫婦が一組来客。
シェルコ夫妻の仲良しお友達、ホサールさん(男性、救急搬送の仕事)、ナディさん(女性、お仕事探し中)。持参したメロン的なデザートを食べつつ、楽しく雑談。

するとホサールさんが何か提案。
英語ができるシェルコ「今からゼリバール湖に遊びに行く話してるんだけど、興味ある?」
湖、本当に好きなんだな(笑)。時計を見ると夜11時。マリバンはイランの中も西の果てだから、体内時間的には言うほど遅くないのか。

泊めてもらってる以上、ホストの都合に合わせたいところ。自分はお昼に行ったし、そんなに。レイラも乗り気じゃなく、結局ご破算に。すると今度は別の提案が。

シェルコ「ホサール達、明日車でホウラマン地方に日帰り旅行するって。貴方も行きたいって言ってなかった?一緒に行けば?」
自分「え、いいの??」
シェルコ「自分は行けないけど。レイラも行くよ」
ホサールさんの顔を見る。来い来いって感じの歓迎オーラ。
お言葉に甘えることにした。

クルディスタンの山奥へドライブ

6/13(木)、朝。朝ご飯も頂き、シェルコとお別れをしてから、レイラさんとホサールの車へ。ナディ含め4人体制で、いざドライブ。

民族音楽とかPOP音楽かけながら、楽しいドライブ。良き田園風景と山々。

ふと車が止まり、外へ。有名な湧き水スポットらしく給水。すると大家族の一団が登場。どうも皆ホサールの親戚らしく、今回は親戚一同でホウラマンに遊びに来ているらしい。各ファミリーが各々車で来ている。
日本人と紹介されると、おじさん達が握手しにきたり、キッズに取り囲まれたり。

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※おじいちゃん(すごく優しい)と、写真を撮ろうとしたら遠くへ逃げる子供。

おじいさんたちと一旦お別れして、ドライブ続行。山がだんだん険しくなり、山越えの様相に。

お喋りしていると、ナディが何かを説明し始めた。「アラーク、カントリー、ニア」と強調する。カントリー(Country)ということは、アラックという州・県にでも近いということか。

暫くして、道沿いに何かのゲートと、若い兵士たちがいる箇所を通り過ぎた。レイラが「ボーダー」と説明する。国境。地理的に、イラクとの国境か。そんな西の端まで来ていたとは。

そしてぐんぐん標高を上げていく。「ここは夏でも雪が残るんだ」とホサール。草原と山々。よい眺め。

見晴らしのいいところで車を止め、外にでる。眼下に広大な平原が広がっている。ホサールが指さして「アラーク、カントリー」と説明する。
ここで突然、色々と合点がいった。

自分「イラク?!…スレイマニ?(イラク?じゃあ、見えてるのはイラクのスレイマニ県?)」
ホサール、首を振る。「ハラブジャ(ハラブジャ県だ)」

ハラブジャは、イラク・クルディスタン地域で最近県に昇格した地域。サダム・フセイン政権が毒ガスを使って住民を虐殺した事件で有名。クルド受難の歴史を象徴する地域として、国をまたいでクルド人の記憶に強烈な跡を残している。

そして何年もイラクを調べ続けていた自分は、思いがけずイラクの土地を目にすることができ、なんかグッと来てしまった。
ただの平原なんだけどね。

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クルディスタンの巡礼地へ参拝

途中通りがかった町(大きな村?)で一服し、お腹が減ったでしょと軽い郷土ランチ(中国のシャオピンに似てる)と郷土ドリンク(香辛料が入ったヨーグルト?)をホサールからご馳走になる。
なんか当たり前のようにご馳走されて、おどおどしてました。

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※見た目は軽いが、結構腹にたまる。

そしてハッジという川沿いの村に到着、ホサールの親戚一同が会す。一同、青い屋根の建物へ。この辺りではプチ聖地として知られる、イスラム教聖人廟である。地図アプリによれば、名前はオベイド・アッラー廟。

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廟から見る村の景色。

親戚のおじいちゃんが、青い数珠をくれる。別のおじさんの説明によると、廟の中で聖人にお祈りする際に、○○回(数字は忘れた)聖句を唱えないといけないらしい。唱えた回数を数えるために、使うんだと。

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数珠。因みにホサールさんに買ってもらったポテチの端が映ってる。なお「喉乾いてない?いる?」とお気に入りの現地ソーダ(なぜかビール瓶)も買ってくれた。紳士すぎんか。

参拝後、ドライブを続行。ダムで遊んでから、どんどん山をのぼり、車窓から村々を眺める。

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標高が高い(感想)。
なお、途中で、日本の音楽をかけてという無茶ぶりが発生。
いくつかドライブに向いてそうな音楽をかけたが、一番受けたのはBIGBANGのFANTASTIC BABY。K-POP。無念。

そしてカーブすると、ふと眼前に山崖にのっかる家々が現れる。

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ホウラマン地方で最も有名な村、ウラマンタクト。
17時頃。ここで親戚一同またも会し、一つの店を借り切って、絨毯あぐらスタイルでお食事(たぶんランチ)。
当然のように自分も混ぜてくれる。

なんだろう、この国は人にご飯を奢るのがデフォなのだろうか。今までの国なら絶対に裏があるんだけど。本当にただのおもてなしで、見返り求めずに色々してくれて、今までの旅とのギャップに戸惑いを隠せない。

寝る場所どころか、食事、ドライブ中のお菓子、飲み物と全て「客人なんだから」「他に欲しいものはない?」と奢ってくれる。クルディスタンについてから2日目だが、いまだに1円も(1リヤルも)使っていない。

食事中にホサール「うちの親戚が、この後家に来ないかだって。サッゲズという町に住んでるんだけど」
道中少しお喋りしたおじさんが、ニコニコしてこっちを見ている。
ここに来てのお家招待。サッゲズはホウラマンの北、マリバンより更に北にある町。

ガチで迷った。

けど、ホウラマン地方をもっと開拓したい欲が勝ち、事情を説明して、丁重にお断りする。
「すごく嬉しい。けど、ウラマンタクト村をもっと見たい。今晩はこの村で泊まりたい」
「そうだね。この村はクルディスタンの自慢の村だから。一理ある」とホサール。
「デスホーシュ」とシェルコから習ったクルド語でお礼を伝えると、おじさん、顔をほころばせた。

シェルコ、ホサール含め、ここの人たちはクルド語を使うとすごく喜んでくれる。

夕日が強い19時ごろ、ホサール、ナディ、レイラと写真をとり、Instagramを交換して、ウラマンタクト村でお別れ。
さて、宿探しをせねば。

この時点ですでにクルド流おもてなしには感動していたんだが、ここで終わらないのがクルディスタン。
結局クルディスタンにいる間はホテルに1泊もしませんでした。

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