なんとなく辛いと思ってたこと
最近の私はお金についてよく考えています。
現地調査も結構お金がかかる。
そして、予想以上の学費の値上がりと研究費の減額。
学生時代はコロナで行動を制限され、院では物価高で行動が制限されそうです。
でも、自分で選んだ道なのでどうにか頑張りたい。
やりたいことをするには、バイトの量も増やさないといけないけど、正直これ以上研究の時間を減らすのも避けたい。
一方で、
「今までバイトしたことない」
「学費いくらか知らない」
「親が払ってくれるから大丈夫!」
と話す大学院生もいて、本当に申し訳ないのですがカチンときます。
これくらいでカチンと来てしまうなんて卑屈になってきたかもしれません。というか、卑屈になってきた自覚があります。
最近言われた「寮で一番貧乏だよね笑」という言葉がじわじわと効いてきます。その通りすぎる。
自分でお金の管理が出来ていることは偉いと思いたいけれど、「なんでお金ないの?」とか言われるとなんて答えればいいかわかりません。
我慢しているつもりはないけれど「貧乏だ」と言われたら、「そうだね」というしかありません。
そう言われて傷つくということはないですが、「十分頑張ってるよ」「無理しないでね」みたいな哀れみの目を向けられると、「あれ?自分って可哀想なんだっけ?」と錯覚してきます。
心配されるのが逆に辛い。
正直、私はすごい自由に生きていると思います。就職せずにやりたいことができる環境をお金で買って、楽しく生きているのでとてもわがままです。
余裕があるわけではないけれど、働いて自分のやりたいことをしている。
でも、それが見る人によっては泥臭く見えて可哀想と思うのかもしれません。
哀れみを含む応援が辛い。一番病みの原因になる。
人は人、自分は自分って吹っ切れるくらい強くなりたい。
無理しすぎている時に止めてくれる人は欲しいけれど、自分の尺度で「それは辛いだろうから辞めておけ」って止めないで欲しい。想像でしかない。
ただただ、自己肯定感を高め合える仲間が欲しい。
ご応募お待ちしております。
読んでいただき、ありがとうございました。
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