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【無料公開】はじめに/和田靜香『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』より

8月31日に発売する、和田靜香『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』より「はじめに」を無料公開いたします。
情報解禁後すぐに、政治ジャーナリスト・鮫島浩さんにご紹介いただいたことをきっかけに、多くの各界著名人の方や書店員さんに応援していただいております。おかげさまで、発売前重版もいたしました。
新型コロナウイルスの影響で、刻一刻と状況は悪くなり、政治への不信感も徐々に高まってきています。不安だからどうにかしたい、だけど、どうしたらいいか「分からない」。
コロナ禍でバイトをクビになった和田さんが、国会議員・小川淳也さんに不安を直接ぶつけにいこうと立ち上がります。

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はじめに コロナ禍の前から私はずっと不安だった

新型コロナウイルスが世界中で大流行するという100年に一度とも言われる危機が訪れ、私たちは先が見えない不安の中を生きている。

命の危機さえある感染症に気をつけながら過ごし、気軽に人には会えない、自由に好きなところへは行けない毎日は重苦しくて気が滅入る。生活そのものが破綻する人も日に日に増え、私もひぃふぅみぃ、貯金額の残りを数えながら心細く暮らしている。これはいつまで続くのだろう? 考えると、時に絶望もする。

でも、思い返せば私はその前からずっと閉塞感に覆われ、息が詰まるほど不安で苦しかったーーと、いきなりのひとり語り、失礼いたします。

私はフリーランスのライターで、和田靜香と申します。生まれは千葉県で、育ったのは静岡県。56歳。今は都内に単身で暮らしている。相撲と音楽が好きで、横綱白鵬のことになると我を忘れ、好きなバンドは全財産をはたいても追いかける。極端な性格と無鉄砲な行動で、周囲を驚かせるタイプかもしれない。

仕事を始めたのは1985年、20歳のとき。ラジオ番組への投稿がきっかけで、音楽評論家・作詞家の湯川れい子さんのアシスタントになった。都内の彼女の自宅兼事務所でデスクワークのみならず、掃除や買い物に犬の散歩と、目につく仕事は何でもやった。

そのかたわらで音楽誌や週刊誌の音楽欄などに記事を書き始めた。ライターとしてフリーランスでやっていけるんじゃないか? そう思って1996年に独立したものの、辞めた途端に仕事がなくなり、最初にやったことは近所のパン屋さんへのバイトの問い合わせ。面接に行く直前、ラジオ番組を構成する仕事が舞い込んでなんとかなったけど、何ら準備も心構えさえできていなかった。

それでもなんとかやってこられたのは、ミリオンセラーが続出した90年代のCDバブルのおかげだろう。世の中のバブルは1992年頃に崩壊したけれど、「音楽業界の好景気は世の中の動きに遅れて現れる」と、業界の先輩たちから聞かされていた。それに1990年代~2000年代初め、まだ日本の社会にはお金を払って文化を楽しむ余裕があった。でも、私が40代も半ばにさしかかる2008年頃になると、仕事は極端に減った。CDは売れなくなり、雑誌は次々廃刊に。とはいえ私の場合、何より自分自身の勉強不足のせいだと思っている。新しい流れに、ついていけなくなった。

それからは生活のためにライター業と並んで、様々なバイトをしてきた。コンビニ、パン屋、スーパー、レストラン、おにぎり屋さん。飲食系ばっかりになるのは、私の「食べるのが好きそう」な見た目もあるかもしれない。ちなみに、時給はいつもその時々の最低賃金だ。

心配する湯川さんに、「これからどうするの? 年を取っても食べていける何かを見つけなさい」と、手相占いの学校の授業料をポーンと小切手でもらって通ったこともある(まったく身についていない)。長野県・戸隠山での「地域おこし協力隊」(総務省が行う都市から過疎地域への移住促進事業)へやみくもに応募するも、到着した急峻な山道に一瞬で「私には無理」と落胆し、すごすご帰って来たりもした(当然落選!)。

私の人生はとりとめがなく、いつも行き当たりばったり。先行きは見通せず不安で、どうしようどうしようとジタバタしてきた。

「ええっと、和田さん、あなたの人生のダメさや不安は、あなた自身の問題じゃないですか? いい年をして、もっと計画的にやるとか、努力されたらいかがでしょう?」

きっと、そんな風に自己責任を問われるだろう。まったくその通りだけど、世の中そうそう上手くは生きられない。努力は必ずしも報われない。と言うか、この時代、いくら計画したって、計画通りに生きられる人なんて、ほんの一握り。私みたいな人があっちにもこっちにもいて、みんな不安で、息もできないよう。

ちょっと前まで、遠い未来は見えずとも明日は見えると思えていたのに、徐々に明日さえも定かではなくなってきた。政治が悪いから。政治家のせいだ。私は寝言のように言い続けてきたけど、だからって何も変わらない。

みんなが辛くて、どうしようもない。やるせなく、悲しい。

このままの社会でいいのか? いいわけがない。じゃ、どうしたらいいの? 分からない、分からない、分からない!

そんなところへ、コロナ禍がやってきた。

誰も彼も大変になっているものの、こういうときはやっぱり、いちばん弱いところから痛めつけられる。今回は、女性を直撃した。

たとえば、非正規で雇用される人たちに解雇や雇い止めが相次いで、特に女性は男性の1・8倍近くがその憂き目に遭った。その後、女性は再び仕事につくことも難しく、新たな仕事をみつけられない女性も男性よりずっと多い。2020年が終わる頃には、パート・アルバイトで仕事が半分以下に減り、休業手当も支払われない女性の実質的失業者は90万人以上とも言われた(NHK・JILPT共同調査、野村総合研究所)。

私自身を言えば、2020年3月末まではこれまで通りにバイトをしていたものの、長めに休んだ後に解雇になった。若い人が無防備にワイワイ通る商店街に面したおにぎり屋さんのバイトで、シフトを入れるのが怖くてためらっていたら、「もう来ないですね」と事情も聞いてもらえないまま終わった。

街へ出れば、無料の食料配布に数百人が並び、生理用品を買えない女性に区役所が無料で配ったり、昨日まで普通に働いていた人が仕事も家も失くして路上に寝るとか、日々貧困がアップデートされている。これまでと様相が違うのは、誰もが明日は我が身になり得ること。みんながビクビクして、互いをけん制し合ってるかのよう。

なのに、政府は260億円もかけてスカスカで飛沫が飛び散るようなマスクを送りつけてみたり。覚えていますか? お肉券だのお魚券だの迷走した末にやっと10万円を配り、私たちに寄り添うそぶりも見せないままGoToだ、オリンピックだと浮ついてきた。一体なんで、そうなるの?

蔡英文(台湾)やアーダーン(ニュージーランド)、メルケル(ドイツ)といった他の国のリーダーたちが知恵と采配でもって感染を抑えこむ努力を重ね、みんなに寄り添ったメッセージを切々と語るのに、私はそんな言葉を国から掛けられたこともない。なんという悲劇だろう。いや、喜劇なのか? 分からない、分からない、分からない!

日本はこれからどうなっちゃうんだろう? 私はここで、どう生きたらいいんだろう?

願いはある。ひとりもとりこぼされることなく、全員があたりまえに安心できる暮らしが保証されることを。誰かが助かるために、誰かが蹴落とされないことを。今日の誰かの営みが、誰かの明日を創ることを。分かち合い、共にあることを。強く、強く、願う。私はそういう社会に生きたい。そうでないと生きることが難しい。絶対的死活問題だ。

じゃあ、そのために、私はどうすればいいんだろう?

それが分からなくて、知りたくて、2020年11月、私は東京の地下鉄・永田町の駅に降り立った。向かうのは衆議院第二議員会館。国会議員に、直接聞いてみることにした。

えっ? 何を考えてんだ、あんた?

大丈夫。ムチャなのは知っている。私はたいていの場合、そんな風に生きてきた。あとさき考えず、思うままに、やみくもに。私は自分の「分からない」をぶつけに行くことにした。高まる気持ちはまるで道場やぶりだ。当たって砕けろ!

ドンドンドンッ、たのもーっ!

刊行記念イベントのお知らせ

「私は政治がわからない」
『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』刊行記念

◉出演者
和田靜香(相撲・音楽ライター)
小川淳也(国会議員)
星野智幸(作家)
◉日時
9/1(水) 20:00〜
◉場所
本屋B&B(オンライン配信)
◉ご予約方法
下記サイトよりご予約ください。


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