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物語の持つ救いと祈り(ワンス・アポンアタイム・イン・ハリウッド 感想)

ここ最近、監督に相性があるなと思っていて、実はタランティーノ監督とはあまり合わないタイプであろうと思ってました。
合う監督は、スピルバーグとリドスコとスコセッシなんですけど、と書くと、なんとなく、ああね…?という気がしないでもないのか。

ということで、ちょっとびびってはいたんですけど、何しろ大好きなディカプリオとブラピが出る段階で見に行かないという選択肢はない、と見に行きました。

いやあこれは、ちょっと食って嫌いだったなと反省。
非常に真摯に丁寧に描かれていて素晴らしかったという話です。
もし私のように、タランティーノのちょっと悪ノリ的テンションとグロがダメという人が万一いても、これはお勧めできる。(※グロはあるっちゃあある)

ただチャールズ・マンソン事件(シャロン・テート殺害事件)を知ってることが前提です。本当に一切説明がないのでまったく知らないとなんも面白くない。事件の内容を詳しく知っている必要はなく、そういうことが起こったということと、その社会的影響がイメージできればいいと思います。
私は日本人なので実際の当時の状況は分かりませんが、カルトがその教義をもって一般を攻撃するという図式は、やや乱暴なたとえですがオウムに近いものがある気がしています。
なお、私はポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を映画館で見て非常に衝撃を受け、え、でもこの人ロリコ○だよね…なんでこんなすごい映画…という経緯から、奥さんが殺されたのだ、という話を知っていました。この程度のレベルで見に行っていますが、それぐらいでも大丈夫でした。
そしてこの映画はそうした現代社会の理不尽さに、救いの希望を投げかけるものです。この不安定な時代に創作物語の持つ力を、真正面から描いてくれています。
あと基本ブロマンスですこれ。態度はでかいが自己評価は低めなのですぐ泣くディカプリオと、それをどうどうと落ち着かせてくれるクールなブラピという女子誰もが見たい(?)コンビですね。解釈一致すぎですねこれ。

ここまでの長い前提で見たくなった人は、以下は一切見ることなく、早く見に行きましょう(もう終わったところが多いですが…)。そしてワンハリ後の新しい世界で会おう、じゃあな!!


ということで、以下はいつも通りネタバレに配慮しない話です。
いきなりブラピの胸でおいおい泣くディカプリオにヒューーという感じでしたが、このリック・ダルトン(ディカプリオ)と、クリフ・ブース(ブラピ)の主人公二人と、シャロン・テート(マーゴット・ロビー:めっちゃくちゃかわいい)から見たエピソードが入り混じって進んでいきます。リックとクリフという主人公二人は、完全に現実にいない人物です。他まあどこからこんなそっくりな俳優を…と思うほど、そっくりさんがそろいますが、実際にいた人々です。この時点で、現実と虚構が複雑に混ざり、時系列も結構ぶっとんだりします。ナレーション入ったり、かなり小ネタがいろいろ混じったり、この辺はほんと楽しいですね。
ただ、見ている側は、シャロン・テートが殺されるという現実を知っているので、様々なエピソードが語られていく中で、その日が徐々に近づいていくのを否応なしに見守るしかありません。

リックは落ちぶれたかつてのスター俳優で、その割に態度と口はでかく見栄っ張りなのですが、実はかなり繊細で真面目です。セリフをずっと練習していたり、失敗しては自分をののしったりする姿に、見ている側は彼を好きになり、応援したくなり、共感せざる得なくなる。ので、彼が演技で人から賞賛された姿を見た時、こちらも心から嬉しくなるんですよね。
また、駆け出しのシャロン・テートが自分の出ている映画を見に行って、観客の反応に喜ぶ姿も、非常にかわいいし、純粋で微笑ましい。
これは、自分の存在が人を喜ばせられる、自分が認められる、という誰しも数少ないながら経験したことのある喜びと直接繋がっていて、しかもそれが映画という虚構の「物語」で生まれることに感動してしまう。
生きていて物語とかかわらない人はいない。直接文章を書いたり、絵を描いたりする人ももちろんですし、商品ひとつ売るにも物語は必要です、自分のことを知ってもらうのだって物語。だから我々は物語を通して、己が認められることに限りない憧憬と喜びを覚えるんでしょうね。物語の創造は人間の持つ、最大の力だと思います。

一方、それを脅かすマンソン一家は「俳優は嘘」「映画が嘘をついていて悪いことをしているから自分たちも復讐する」とおかしな妄想で物語を拒絶します。
そして運命の8月9日。
なんと、マンソン一味は、シャロン・テートではなく、リックとクリフという「物語」の方に突撃し、まあそれは完膚なきまでにタランティーノ流おしおきを受けて撃退されるという、とんでもない「物語」になります。
(グロいんですけど、私はあまりのことにげらげら笑ってました)
「隣人」のシャロン・テート達はまったく無事で、かつ、そこで初めて、隣人のリックとシャロンが出会うという結末になります。
つまり、「物語」が現実を救い、最後は物語と現実が出会って新たな物語になっていく訳です。

これは映画を愛するタランティーノの優しい救いと祈りです。現実はシャロン・テートは殺されますが、この「物語」の中で、物語を愛したシャロン・テートは、物語に救われました。我々人間は、想像力を駆使して物語を生み出す珍しい動物で、それが人間が持つ唯一の力なのかなと思います。故に、害ある物語(妄想)で人を傷つけたマンソン一味を、タランティーノは徹底的に排除したんだと思います。
不安定な社会で、世界のどこを見てもこうした人を傷つけることのいとわない物語が溢れています。この物語には、物語で人を傷つけるならば、物語から徹底して復讐される、というタランティーノの怒りと正義もあるのかもしれません。
いずれにしても、時に現実に直面して無力感に苛まされる我々に、小気味よくスタイリッシュに、人の力を思い出させてくれる映画でした。


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