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【パリコレ なぜ、この時期にパリへ?】




『今しかないと思った。』


過去に経験したことないコロナ渦だからこそ、自由に動けない時間を経験して


ほんとうにやりたい事はなんだろう?
自分の夢ってなんだったんだろう。

と立ち止まって考えてみた。


たどり着いた答えが
私にとっての
ヨーロッパへの挑戦だった。


10代の頃からモデルのお仕事を始めて、
実は、ずっとずっと、海外にチャレンジしたいと心の片隅で考えていた。



私が所属するモデル事務所はインターナショナルモデルエージェントで、日本人、外国人モデル100名弱が所属している。

ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、そしてパリ。誰もが憧れるような様々な土地で活躍している先輩達。彼女たちのような仕事がしたくて、20歳のときにもともといたタレント事務所から今の事務所に移籍した。


前にいたタレント事務所では小さい事務所だったが撮影、ムービー、CMの仕事が次から次へと仕事がはいってきた。
しかし、移籍してからは大手の事務所だったこともあり、月に数本あるかないかくらいのヘアショーの仕事しかなかった。もともと安定した仕事ではないのは知っていた、数十万円、稼げる月もあれば月収がない月もあった。バイトをいくつか掛け持ちをして、体力的にも生活は大変だったが、自分の好きなことを仕事にしているので心は満たされていた。


その結果、何年も同じところに留まってしまっていた。

この状況から抜け出したい悶々とした気持ちと、でもなんとなく現状維持を続けられる、
ぬるま湯に浸かっているような日々。



そんな状況を変えたかった。



口だけの人間になりたくなかった。
大きいことは誰でも言える、
もっとああしたい、こうなりたい。
言葉だけじゃなくて、実行したかった。
ずっと、ずっと。


上手くいくかどうかは分からないけど、
英語も話せない、知らない土地で友人もいない、不安しかなかった、


でも、5年後、10年後
振り返ったときに後悔したくなかった。



今しかない。


コロナ渦でアジア人マーケットの大半を占めていた中国のモデルたちも、ヨーロッパにくることが困難。
日本で売れているモデル達もリスクをとってチャレンジすることが困難。
(2021年11月時、海外渡航の後日本で14日間の隔離があった)

ニューフェイスでチャレンジするには、絶好のチャンスかもしれない。


よし、この隙間産業を狙おう。


ヨーロッパへの道、パリコレへの道、
第一関門であり最大の関門の


ついに、日本のエージェントのマネージャーに話す決心がついた、、。



今思えば、
1番近くで、1番の味方である
マネージャーに話すことが私にとって
最も勇気のいることだったのかもしれない。

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