恋に至る仮病

※最終的に恋ではないっぽいです


突然ですが、Big Bang Sweetってめっちゃ良くないですか?

 私は欲張りなのでSnow Manの曲全てに毎日ハグして回っているくらい全部の曲が大好きなのだが、中でもBig Bang Sweetがめちゃくちゃ好きだ。王道アイドルソングっぽい甘やかでポップな世界の中に、Snow Manらしいアーティスティックで脳に打撃が入るような重量級のキュートさが屹立している。
 その絶妙〜〜なバランスは歌詞にも表れていて、「不退転のLOVE」とかいうこの上なく最高な文字列を見る度(聴く度)に、私はどうにかして自分の戒名に「不退転」と「LOVE」を入れたくなってしまう。なんならついでに「恋」とかも入れればいいのでは? 漢字の形も可愛いし。ちなみに「恋」は漢検4級で出てきます(ふーん)。

 とかなんとか言いつつも、私自身“恋”をひとつのモチーフとして好意的に捉えこそすれ、しっかりと噛み砕いたところまで理解できている感覚はなかった。ケーキに乗っかってるサンタさんの精巧さと、味の奥行が比例しないのとおんなじだ。有り体に言うと、私はほとんど己の色恋沙汰に興味を持たず生きてきた。──生身の恋の咀嚼にも及ばないような人間に、まさか“ガチ恋”という存在が容易に理解出来ようか!

 いや、だからと言ってもちろん“リアコ”や“ガチ恋”という存在を否定するつもりなど毛頭ない。ないのだが、これまで私は推しに対して潔癖なまでに自我排除型というか、推しのことを考えるときに1ミリたりとも己の存在を介入させたくないタイプのオタクだったのだ。白米を白米のまま、まっしろな状態で食べたいタイプの人間!
 ちなみに今私が「推し」と言って真っ先に思い浮かぶのはSnow Manの阿部亮平さんで、いや阿部亮平さんを白米に例えるのはちょっとなんか罪悪感と照れがあるのだけど(は?)、とにかく彼の存在は出来るだけ遠〜〜〜くに置いて眺めていた。もうめちゃくちゃ好きだし、大好きだし、拙者オタクゆえ愛してる……とか全然言っちゃうけど、それらのすべては恋ではなかった。受け身も取れずにのめり込んでも、とうとう恋には至らなかった。そもそもの話、私(元気な成人女性)は異性が恋愛対象じゃないということもあり、どの方向性に燃え上がろうとも恋になどなりようがなかったのだ。この感情の可動域といえば、同じフィールドにいるオタク相手にオタクとしての感情をキモめの語彙で発露することくらいだった。

 そのはずだった、のに。

ツイートのスクリーンショット①

 ?

ツイートのスクリーンショット②

 何?

ツイートのスクリーンショット③

 大丈夫か?


 上記の通り、ふと気付いたとき既に私は奈落にいた。なんなら落下の真っ最中だ。
 推しの話をしたいだけなのに何故か自分の足場がぐらついて、外を歩いているだけなのにありもしない偶像を常時虚空の中に覗いて、いついかなる時も脳内を蹴って跳ね回るピンクのボールを、いよいよ無視できなくなっていた。 服を選ぶときに自分の好みと明日の天気以外の要素が頭をよぎるなんて、なんて非合理的な情緒だろうか! それでもこの脈動からは逃れ得ない。──恋を、したのである。←うるさすぎ

 とはいえまあ、これまでずっと「ガチ恋とはどういうものかしら?」と窓枠に肘ついてお空を見上げながら小鳥さんとお話ししていたくせに、ちょっと知らない感情を差し挟まれた途端にこれはどう考えても恋!! 恋じゃないわけがない!! 嘘みたいさSweet Mistake!!!! と5000dBで恋認定するのも早計ではあるだろう。振り返るとちょっと恥ずかしいくらい手放しではしゃいでしまっている自覚はある。
 それでもオタクは、いや人間はいつだって自分の目の前にあるものに〈特別〉を見出したくなる生き物なのだ。この感情は我が人生における突然変異の異常事態で、これまでの人生で育んだ価値観を丸ごと塗り替えられるくらいの衝撃で、ひとつひとつのまばたきがスローモーションになるのを感じながら、「こんなの初めて」って思いたいのだ。
 そもそも「恋」ってポップでキュートでカラフルでセンシティブで、恋をすると人は綺麗になるだの笑顔が増えるだの人生が豊かになるだのどう考えても激ヤバ事象すぎるのに、モチーフとしてちょっと手軽にかわゆすぎると思う。そんなん前のめりになってしまったって仕方ない。同定不可能なこの感情に差し当たり「恋」と名前をつけて、手元でころころ弄びながらながら眠りにつきたくなってしまうじゃないか。事実、私はこれって恋では……!? と思ってからの人生があまりに彩られ過ぎているわけだし。服を選ぶときに自分の好みと明日の天気以外の要素が頭をよぎることの、浮足立った楽しさと言ったら!


 ところで、恋とは無茶苦茶なものである。
 無茶苦茶なので、突然なんの脈絡もなく好きな人の好きなところをベラベラ語ったりしても許されるらしい。
 私は阿部さんの、 “観測される者”としての意識がとてつもなく高いところが好きだ。それはいつだって満天の星のように輝くファンサービスについてもだし、末端まで意識の行き届いた立ち居ふるまいについてもである。阿部さんが様々な媒体でファンに向けてメッセージをくれるとき、大抵はカメラ越しだったり文字越しだったり時間だってタイムシフトなことがほとんどだけど、にも関わらずどこに居てもどこから見てもしっかりと目が合うような感覚がある。(怖い絵?)
 クソデカ残業ブチギレ退勤の直後だって、怠惰を極めて合計8歩くらいしか歩かなかった日の夜だって、阿部さんの言葉は明日の天気くらいぴったりと我々の生活に寄り添ってくれるのだ。阿部さんってハイパー頭脳明晰な上に溢れんばかりの語彙や知識をその深い器になみなみと溜めておられるわけだが、そんな賢者の書くブログがいつだってマイナスイオンに満ちていて、かっこよさと可愛さが溶け合っていて、日常生活に寄り添っていて、読むとちょっと賢くなれた気がして嬉しい……という甘やかな体験を提供するものだという事実は、実は物凄いことなのだと思う。私だったら絶対語彙力でイキりたくなってしまうし、ちょっとむずくてオシャレな横文字とかをブリンブリンに使う。いや違うそういうことじゃなくて、阿部さんは“伝える”ための言語能力が本当に高くて素敵だ! という話だ。(言語能力ひくひくオタク)

 寄り添うことと伝えることが上手な彼の瞳には、きっと常にファンの存在と、我々の目に映る彼自身の姿がはっきり見えているのだろう。観測者の目を鏡にして整えられるヴェールの美しいことと言ったら!
 そのヴェールの真珠のような輝きを見ていると、しばしばこの人はアイドルになるために生まれてきたんじゃないだろうか、なんてことを思ってしまう。他人の人生に勝手に表紙をつけるべきじゃないのに、阿部亮平さんがアイドルであるという事実が嬉しすぎて、綺麗な箔押しを施した分厚い装丁まで誂えてしまうのだ。

 それから、阿部さんは「自分が自信を持てるもの」のことをすごく大切にしている印象がある。阿部さんのことを日々ガン見している中で、この人って物凄く謙虚だな……と感じることがたまにあるが、それはむやみやたらな謙遜や自己否定などではなく「自信を持って出せるもの」とそのラインには達していないものとをきっちりと区別しているがための謙虚さなのかな、と思うわけである。(勝手に思っているだけで全ては私のごきげんな空想です)阿部さんって割と過程よりも結果の方を私たちに見せてくれるイメージがあるけれど、丁寧に足場を整えていくようなその歩みの確実さこそが、阿部さんの持つ安定感や説得力に繋がっているのではないだろうか。

 その謙虚さを堅実さと言い換えてLOVE過ぎるよ~かっこいいよ~恋だよ〜と五体投地してしまうのは簡単だけど、阿部さんがその眼前にある色々を「自信が持てること」にまで押し上げるのにどれほど地道な努力を背負ってきたかは想像に難くない。そしてこちらがその努力に思いを馳せてしみじみとオタク感情を募らせている間にも阿部さんは過程も結果もひけらかすことなく「自信が持てること」を着実に増やし続けている。しかも楽しそうに!(←阿部さん好き好きポイント)
 地に足の着いたその歩みは万能の魔法でも天性の得物でもなくひたすらに人間らしい営みなのに、完成したときに見せてくれるものが本当にすっっっごいから、すっっっげ~……と言いながら私はまた星空を眺めるような気持ちで阿部さんのことを観測してしまう。

 阿部さんは本当にオタクの目をよく見ていて、だからこそ必要以上に苦しくなってしまうこともあるんじゃなかろうかなんて邪推してしまうこともある。本当に邪推だけど、だってオタクって勝手な生き物だから! 鏡にするにはやっぱりちょっと湾曲してるから!
 それでも阿部さんがファンに向けてくれる愛はいつだって真正面を向いていて、こちら側が照れる隙も目を伏せる隙もないのだ。阿部さんが、検定に合格したことや仕事が新しく決まったことをブログや動画で嬉しそうに伝えてくれるとき、その丁寧であたたかな言葉がまるで私達に向けられたプレゼントのようだと思ってしまうこと、その出過ぎた思い込みすらも正規ルートの文脈だと思ってしまう。

 そう(そう?)、だから私は阿部さんの、これまでたどってきたひとつの道を「これこそが正規ルートだったんだ」と思わせてくれるような因果力(因果力?)の強さが、アイドルという遥かな道のりに徒歩で挑むようなゴリゴリの健脚さが、美しくてかっこよくて本当に大好きなのだ。

 あともう本当に、可愛すぎると思う。
 今から私はBig Bang Sweetの阿部さんの話をするのだけど、本当に、いくらなんでもちょっと可愛すぎると思う。
 初めてBig Bang SweetのMVを観たとき、あまりの可愛さにえっ、ちょっ、なんですかこれ!?!?! と思った記憶がまだ鮮明に残っているし、今観返しても全然なんですかこれ!??!!? と思っている。軽やかに跳ね踊る度に肩のヒラヒラ♡がヒラヒラ♡していて、こちらを向く笑顔のぜんぶが鮮やかなピンク色に染まっていて、つま先からまつ毛の先までふわふわと動くその一挙手一投足にハートマークが飛び交っていて、まろやかな声にいじらしい表情を乗せるのがとびきり上手くて、そんなんで「Please, I'm yours. 」とか言われたって困る。私は理性が強靭なので何とか事なきを得ているけど、可愛さで頭がむちゃくちゃになっている人間相手に「Please, I'm yours. 」なんて言わない方がいい。嘘です、言っていただいてありがとうございます。英語の発音が素敵すぎてメロメロになっております。なんてロマンティスト、いやロマンの余白がなくたって本当はリアリストだって構わない。阿部さんの笑顔がBig Bangする度に理性と本能はMeltする暇も無く四方八方に爆散してMovin' on! Movin' up! しているのである。←ここ夜中に書いています

 ともかく私の生活は阿部さんの笑顔にあまりにも照らされていて、その光が未来永劫何にも阻害されてほしくなくて、本当に私は、阿部亮平さんというアイドルが狂おしいくらい大好きなのだ。

 ……と、ここまで考えて、私は思う。
 これ、恋か?

 この気持ちが本当に恋なのかどうか不安になってきたので、ここまでに書いたようなことを友人2人に伝えた上でこれ恋かな~と聞いてみたら2人ともに「ちゃうやろ」と言われた。「ちゃうやろ」ではない(怒)(怒)(怒)
 正直私だって「ちゃうかな」と思っているけど、でもやっぱりこれは恋だって言い張りたいのだ。たのむ!恋って言わせてくれ!
 私だって阿部さんのオタクだし、言葉をこんな雑に扱っていては良くないなぁと思うのだけど、今私の目の前にある〈特別〉を、ひとまずは特別のままにさせてほしいのである。普通よりは特別がいいし、どうせだったら恋がいい。漢字もなんか可愛いし!
 それに、己の身が綺麗になって笑顔が増えて人生が豊かになって、身を焦がす程逃げ場のない光量で焚かれるのが恋の定義なのだとしたら、私はもうとっくに恋をしてる。初めて阿部さんを見たあのとき、きっと私の網膜はハートの形に焼けたのだ。
 というかこれが恋ならば、いつか失うときが来るのだろうか? 失恋なんて単語があるくらい、恋にとって失うことは標準装備の出来事らしい。でも私は都合がいいので、絶対にそんなことを考えてやらない。エゴを振りかざすような顔をして、人目を憚る虚ろを抱えて、大好きな人の幸せだけを愚かな程に祈っている。自分でもこの感情が結局なんなのか全然わからないけど、今日もBig Bang Sweetのダンスエディットを観てこの世で1番の幸せ者になっている。

 永久のSmile, 目はもう逸らせない! だって、得てして恋ってそういうものじゃないか?

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