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タナボタ女子にはなれなかったよ

47年生きてきた。

我ながら、おいしい話やタナボタ的ラッキーには縁のない人生だと思う。
要領がいいようで、わりと廻りより苦労したほうではないだろうか。

学生時代も、友人と同じことをしても私だけ先生や部活の先輩の目につくことも多く、よく見せしめのように怒られていた。


就職した金融機関では、
同期で「あそこだけは嫌だ」と悪名高い支店に配属になり、当時の女上司にはさんざん辛くあたられた。

鍛えてもらった、というべきかもしれないが、彼女の厳しさは感情的で、一貫性がなく彼氏と良好なときと、そうでないときの態度の差が激しかった。

新人の私とてバカではない。

成長を願っての厳しさか、私生活の鬱憤ばらしからくるものかは、私にだってわかる。

そういう星をもっているのか、ほかの仕事でも
「あの部署には行きたくない」と言われるところにばかりいた気がする。


最初の職場で、私と真逆の同期がいた。
いわゆる「ラッキーガール」を絵に書いたような子だった。

彼女は行くところ行くところ、人間関係の良好な部署だった。仕事も適度にこなし、難しい案件にあたったら先輩が対処してくれる。そして、一度も怒られたことがないという。

その頃の私は嫉妬もあり、ぬくぬくしたお嬢ちゃんにしか見えていなかった。

同期で集まって、職場の愚痴を言い合う金曜の居酒屋でも、彼女はとくに不満を口にすることがなかった。


物語なら。

いつかは私のように、分の悪い人間にラッキーが訪れて、彼女が苦労する日がくるのかもしれない。
昔話だってそうじゃないか。苦労した人間はいつしか福が訪れるじゃないか。

でも、そんなに現実は甘くない。

入社5年目になっても、私は相変わらず負の感情をぶつけまくる上司の隣で仕事をしていたし、
彼女は穏和なひとたちに囲まれ、ストレスなく仕事もこなし、結婚も決まり早々に寿退社した。

私は女上司のせいで後輩がどんどん辞めていくため、いつまでも下っぱ。
それでも、当時は年功序列の風潮が強く、会社側もそれを問題にすることはしなかった。

いま思えば、そのときの経験は役にたっている。鍛えてもらえたと思えるが、それは年月がたったから思えることで、

「なんで私ばかりこんな目に」と、当時は自分の運の悪さを呪ったものだ。

結婚して子供ができても、悩みはつきなかった。息子たちが育てにくい子だったので、仕事に逃げて子供からわざと目を背けていた日々も長かった。

またしても、「なんで私ばかり」と自分の運命を嘆いた。
私より努力していないあの人たちは、なんの悩みもなく子育てしているのに。

なんで私ばかり損をするんだ。


同期の彼女の、家族写真がプリントされた年賀状も届くと苛々した。ついに私は一度も返事をかかなかった。

やがて、彼女からの年賀状も来なくなった。

そうやって、「幸せそのものの家庭」に見える友人たちを見るのが辛くて、自分から距離を置くようになる。

いつしか私はそんな、心の狭い人間になっていた。
20代後半から30代の記憶が、私はあまりない。思い出したくないから、そうなってしまったのかもしれない。


今の仕事では、いろんなご家庭の話を聴く。

幸せそうに見えても、何かしら皆さん抱えていることが多い。

子育てに問題はなくても、義両親との葛藤があったり、金銭的な問題があったり。

皆、わざわざ口に出して言わないだけだ。

私は、人の表面しか見ていなかったのだな、と自分の若い頃を振り返る。

ラッキーガールの幸運は、彼女の必死の努力によるものだったのかもしれない。私が見えないからといって、そこに「ない」わけではないのだ。

ちょっとでもうまくいかないと「私は損している」「私は努力しているのに、あの人はしていない」と決めつける。

決めつけているから、その人の隠れた努力や痛みに気づかない。

それに気づいてから、私はすこし変わった。

主観と客観を、わけられるようになった。

「自分からはこう見えるけれど、真実は違うのかもしれない」
と思うことができるようになったのだ。


同じように、私が思う
「分の悪い、損な人生」も人から見るとまた違う見方もあるのだと気づかせてもらった。

件のラッキーガールと、先日ばったり街で会ったのだ。

私は以前、年賀状の返信をしなかったことを詫びた。なんだか、もぞもぞしながら。

「あの頃、ピリカさんは厳しい環境でがんがん実力をつけていた。私ならとっくに辞めていたと思う。同期で一番仕事ができる人だとおもってたよ」

懐かしそうに言って、

「今も雰囲気、変わらないよね。なんかさ、いつも何かと戦ってる感じ」

と笑ってくれた。


じゃあね、と挨拶を交わしてそれぞれの方向へ歩き始める。

過去は変えられないけど、過去の「意味」は変えられる。

分が悪い、タナボタラッキーがない人生は、それだけ自分の力で切り拓いてきた、ということでもある。

しかたない。それが私なんだから。

そう思いながら私は、
次の戦いへと今日も向かうのだ。

足取りは、すこし軽くなっていた。













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