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シンプル仏教(2)

平安末期から鎌倉時代にかけた激動の時代に、のちに「鎌倉新仏教」と呼ばれることとなる仏教の新しいうねりが起きました。今に続く大乗仏教のひとつの到達のカタチであり、国家の安寧を祈願する仏教から民衆の救済を中心とする仏教への大きな転換でもありました。

今日においても、法然や親鸞の念仏第一、日蓮の法華経第一、栄西や道元の坐禅第一などがその典型としてそれぞれ受け継がれています。仏典(お経)は八万四千ともいわれる膨大な数ですが、その中のひとつを選び、徹底して極めていく、いわば一点突破、全集中のスタイルを貫いています。

千年近くを経て今日まで続くこの「専門仏教」は、いずれもわかりやすく、大衆に支持され、仏教興隆の原動力となりました。江戸時代の檀家制度で厚く保護され、明治政府による凄まじいい廃仏毀釈によっても、その根は失われることなく、廃墟に植物のように立ち上がり、花開き根付いております。

わたしは、宗派の是非ではなく、信仰のスタイルとして「一つを貫く」ことを尊重するものの一人であります。人それぞれの道があるように、宗教宗派を選ぶ自由があって良いし、何も信じたくない姿勢もそれはそれで一つの生き方です。ただ自分だけは最後まで信じてあげてほしいと願っています。

ひるがえって、今日の混迷をきわめる先行き不透明は、何も今に始まったことではありません。いつの時代も「明日はわからない」わけですから、せめて何が起きても慌てない、ブレない中心軸をもちたいものです。不動心というのでしょうか?もっと平たく自分らしさかもしれません。

わたしは「呼吸に意識を向ける」修行を貫きたいと念じています。ブッダ釈尊が示された様々な教えの中で、自分がぜひ極めたいと思った道だからです。まだまだ道半ばですが、やればやるほど奥深く、きわめて新鮮です。下手の横好きかもしれませんし、好きこそものの上手?かもしれません。

シンプルな生活。シンプルな食事、シンプルな衣類、シンプルな住まい。そうした生き方の中心に、自分ができる、自分がやりたい仏教の実践を、シンプル仏教と名付けました。もちろんみんな違っていいわけですから、自由仏教でもあります。いや仏教にこだわる必要とてないのかもしれません。

キリスト教であれ、神道であれ、イスラム教、ヒンズー教それぞれ縁によって信じる道はさまざまです。宗旨は違っても目指すものは同じです。自己の完成?自己実現?そうした観念を離れて、自分らしく生きていく。話し合い、励まし合い、扶け合う。そしてひとびとの幸せを祈る。

シンプル仏教は、ようやく一歩踏み出したばかりです。


ひとびとの輪、地球。

空は深い青色で、穏やかな日の午後。
人々が広場に集まり手と手を繋いで大きな輪を作る。
その輪の中心には子供たちが笑顔で飛び跳ねている。
周囲には人々の笑顔が広がり友情と連帯の絆が空気中に満ちている。
上空から見ると小さな人々の輪が地球上の一部を包み込むように広がる。
ぼくらの手が結ばれることで一つの大きな力となり、
希望と調和のメッセージが一つずつ宇宙へと届いていく。

理想を理想で終わらせない日々の努力:プラクティス

ひとびとの輪

このイメージをAIが作詞作曲して女子が歌ってます↓

ご覧頂き有難うございます。
念水庵


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