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敢えて既視感を奉れー櫻坂46 9th表題「自業自得」MV解禁 毎日note EX 2024年6月6日付

塾の授業は22時前後に終了するので、界隈がMVプレミア公開をカウントダウンしている時間帯は、私は教室の掃除をしている時間帯でもある笑 まあ、MV公開時にはいつものこと。
ウイークデーにMVが出されてしまったら、私のリアタイの夢は泡と消える。それは致し方ないこと。

生徒や授業の報告等、残りの業務を特急で済ませ、速攻で飛び出す。
帰りの電車の中でTLを見る。MVは観ない。
電車で音楽を聴く、という習慣がない私には、イヤホンを持参するという発想がない。そもそも、あんな落ち着かない空間で、櫻坂のMVを観たいとはさすがに思わない。もっと腰を落ち着けて観たいじゃないか。


TLを見る、ということは、ネタバレ上等の精神でなくては無理だ。
動く姿は見られていないものの、TLにはやはりいろんなツイートが流れてくる。
そんな中にいくつか、気になるツイート。
例によってどなたのツイートかは失念したものの、「既視感がありすぎて新鮮さがない」「手法が同じすぎる」という内容だったか。正確には忘れたけれど。


少し頭に引っかかりながら、帰宅して、いよいよ。


既視感① 飲む

櫻坂46「自業自得」
櫻坂46「何歳の頃に戻りたいのか?」

これはわかりやすい既視感。というか、既視。
直近のシングルだから、というのもあるけれど、構図まで同じとは、狙っているとしか思えない笑

既視感② 円形プレイス

山下瞳月にダンスさせない、というのはなるほどこういうことか。面白い。
で、この円形と言って思い出すのは…

櫻坂46「Start over!」
櫻坂46「承認欲求」

そしてこの構図は、想起させるものが他にもあって

円形を上から見た姿などは、まさに曼荼羅の様式美に通じるものがある。

曼荼羅といえば…

あの子にもこの場にいてほしかった、という想いにも駆られるけれど、それはまた別のお話。

既視感③ やはりこれ

欅坂からの流れでBuddiesになった人は、やはり彼女たちから離れがたい何かを感じ、そして行く先を見守りたいと思って見つめ続けているのだろうと思うけれど、そうなると彼女たちの姿に、新しさの中にかつての姿を探したくなるのは必定ではないのかなと。

一方でそれを魅せる側である彼女たちの方は、もちろん想像だけど、欅坂は欅坂として確かにあって、でもそればかりではなく、そこをベースにしてしっかりとした自分たちだけの櫻坂というものを見せていきたい、感じてほしいと願っているのではないだろうかと。

となると「既視感による新鮮さのなさ」というのは、逆に売りになるというか、そこにこそ櫻坂のアイデンティティというか、ステータスというか、他にない圧倒的な魅力があるのではないかと思うのだ。
新規の皆様にとっては神秘的でかつ惹きつけるものがあり、逆にいえば過去の何とやらは知らない、知らないけれど何故か目が離れない、そういうった圧倒的な何か。
曼荼羅が様式美と書いたけれど、様式美はお約束とも言える。お約束が支持されるのは、古今東西、老若男女を惹きつけるからであって。
仮にそれこそ爆発的なムーブメントにならなかったとしても、少しずつその広がりを見せていけば、それはいつしか誰も知り得なかった爆発力になることもある。

話が逸れたが、そういう「過去を忘れずに前を向く」という姿勢の最たるものがやはりこれだ。

欅坂46の1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」。

実は私がこのアルバムを想起したのは、これが初めてではなく。

最初は、櫻坂に改名して、グループカラーが「白」だと知ったときだった。

ただあのときの感情は、白はキャンバスの色であり、そこに色を乗っけていくのはメンバーであり、さらにいえば私たち背中を押す側であり。
何色にも染まる、ということは、自分の意志で何色にも染められる、ということでもあり、と。

その自由度の高さを思った。


2024年になって。
新しく入った三期生も一年というキャリアを積み、そこから櫻坂の顔を輩出するまでになった。
新しさは、間違いなくある。

でもそこに裏打ちされるのが、過去の足跡であり、歴史であり、一つの色のために全員が一丸となって向かい、さらにその先にある頑強な何かに屈した事実からくる今の姿であることは、間違いないのである。歴史的事実である。


既視感はある。
新鮮味はないかもしれない。

でも、その既視感の中にある新しさを見たい。感じたい。



事実、それを全うして櫻坂をやってきて、ここまで大きなグループになったじゃないか。


この先もっと大きなグループになるために
過去と訣別せよ、という
そんなドライさが本当に必要なのか。

新鮮さを重視するのなら
過去からずっと続いてくる伝統的なものには、価値がないのか。
新しさもないのか。

違うはずだ。


新鮮さがいらないとは言わない。
でもそればかりでもどうなのか、

なんてことを少し思った。



それにしても、真っ白のアルバムを意識しての撮影だったとしたら、やはり制作陣の中に欅坂がずっと頭の中にいる、そういう人がたくさんいるんだろうなと改めて強く感じる。


過去との繋がりで、今がある。
それを、そんなグループの過去に身を置いていなかった三期生が、気にしていないはずがない。

――自分ではない、櫻坂46としての自分というか。

山下 ですかね。でもよく考えるんです。今の櫻坂46があるのは、前身の欅坂46時代から先輩方が苦労してきたからで、後から入った私たち三期生はそれを知らないんだって。選抜メンバーとして先輩の近くで活動することが増えて、もっと責任感を持たなきゃって思うようになりました。

週刊プレイボーイ 山下瞳月インタビューより抜粋

自分はその場にいなかった。
それは事実として変えようがない。
そしてもちろん、それこそ誰のせいでもない。

でも自分は今、そのグループのセンターに立った。

背負うものができた。

自分に甘えていては、いろんな人の思いで成されるこのグループを背負えるわけがない。


山下瞳月のこの言葉が、本当に何よりの収穫であった。


自分に自信がない、どうしても自信が持てない

あれだけのポテンシャルと、あれだけのスキルを持ちながら、ずっとそんな内向きな姿勢の彼女が心配であった。
ミーグリで尋ねたこともあった。

やはり、置かれた場所で人は変わるのだろうか。

もちろん、一気に自信満々になるはずもない。

大切なことは、そのきっかけが彼女の中にできた、ということなのだと。


自信がなかなか持てない山下瞳月が、それでも自分の中の何かを奮い立たせて、真ん中にいる姿。

既視感がどうの、というのなら、そんな彼女の姿こそ、まさに既視感そのものであって。

表現してもしても、何かが成功だと言われても満足という単語を知らない、求めて求めて求め続けてきたあの人の姿である。

亡霊という勿れ。
これはグループの底流を静かに流れ続ける、それこそアイデンティティ。
捨ててはならない拘りの一つ。


そして、これを忘れないことが、未来へとつながると私は信じている。


noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。