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毎日note #08 櫻坂な水曜日 9thかアルバムかーそれでも私は9thにこだわる 2024年5月8日付

本日5月8日は、発売が延期となっていた日向坂46の11thシングル「君はハニーデュー」のリリース日。
やっと来たね…おめでとう、という気持ちはもちろんあるけれど、その話は明日の日向坂な木曜日に回すとして、水曜日は、櫻坂な日。


そしてそんな今日は、next singleのお話。



櫻坂46は8th期間が事実上終了し、次なる動きを待つ「時」が流れている。

考えてみれば、7th「承認欲求」のリアルミーグリ京都で8thのティザーが流されたわけで、これってあの頃の、次々と新しい展開が打ち出されたときに似ていると思った。

たぶん、本当は運営としてそういう先手を打つような動きをしたいのではないかと思っている。ようやくそれが許されるご時世になったということか。

とはいえ、乃木坂のシングルが「制作上の都合」で発売が延期されたこともあって、日向坂の11thがそのあおりを喰らった形となり、発売日の玉突きが起きていたが、これは櫻坂の次なる展開とも無関係ではないだろう。


なにせ次は、9thだ。


櫻坂のスタッフの皆さんの中に、欅坂時代から担当されている方々がどれくらいいらっしゃるかわからないが、仮に彼女たちに情が移っている人たちであるなら、この数字がどれほどの意味を持つかわからないはずがない。



欅坂46が、出すことのできなかった9thなのだ。


発売が予定されながら、結局出すことができなかった、あの。

確かに情で仕事をするのは、プロのすることではないかもしれない。
でも、私も長年ビジネスに携わっていると、そんな氷のような心で売上だけ、利益を最優先して人の心を軽んじるような動きは、次につながりもしないし、形に残らない。
情を全く排除するようなビジネスに、魅力など感じない。


特に知らない人にとっては、9枚目といってもただの通過点にしかすぎないだろうけど、私にしてみればそうはいかないのである。


欅坂から追っている人にとっては、どうしても意味を持たせたくなる9という数字。

6th7th8thが3部作として、ある意味の「完結」を見せた節目。
確か、加藤ヒデジン監督が3部作について言及していたような気がする。


何が眼前に広がるのか。

楽しみでもある。ワクワクでもある。

ただ、それと同時に恐怖に似た感情も実はある。


いわゆる、グループアイドルを推している方々からすれば、欅坂→櫻坂というこのグループの特異性が受け入れられない人もいそうである。アイドルは元気を与えるもの、明るくて元気で、見ていて本当に心から爽やかになれる、そんなアイドルというステレオタイプを推している人が多数派として存在して当然だ。

そこはもちろん、否定なんかしない。

でも、違うのだ。

彼女たちだけは、そこにどうしても入れてしまいたくはない。

確かに、さまざまなことに挑戦する一環としてそういうのがあるのは大いに結構だ。アイドルになりたいという思いを少しでも持ったことがあるのなら、そういうキラキラしたアイドルになりたいと思うのは当然だし、そう思うのならさせてもあげたい。

私が今言っているのは、大枠としての方向性の話。

その方向性が、ここから一体どうなるのか。

実際には難しいのだ。ここからさらにギアを上げていくとして、今までの路線を踏襲し発展させる、私などはそれを望んではいるが、例えば海外等を意識したときに、少し方向性を変えようというコンセプトが生まれないとも限らない。
それが彼女たちにマッチすれば問題ないのだが、もし大きな路線変更やコンセプトの再構築が行われて、驚愕の光景が現実になったとしたら…




アルバムを挟む、という手も確かにある。

あるけれど、年3枚シングルというのをもし標榜するのなら、このタイミングで今年2枚目を出さないと達成は難しい。
もちろん、前述のような制作側の都合というものもあるのでなんとも言えないところではあるけれど…

早くも、9thのフォーメーションやセンター予想などもちらほら見受けられるが、さすがに時期尚早感が拭えないばかりか、特にフォメ予想なんて選抜から外したくないメンバーばかりだから簡単にできるわけもない。




9枚目。

欅坂では、「10月のプールに飛び込んだ」がそれになるはずだった。



あの曲のイントロだけで、涙が出そうになるのは今も同じだ。

だから個人的には、あのときの思いも一緒に取り去ってくれるくらいの爆発力に期待したい。
欅坂が好き、という思いに絡むように、幻の9thというあの場所でそこからの一歩が踏み出せない、そんなファンもいる。

櫻坂が、その数字に達する。それがどれだけ意味のあることか。

おそらく、9thという序数にいろいろな思いを抱くのは、圧倒的に二期生だろう。
10プーは、欅坂で初めて選抜制度を導入する予定だった曲。そしてその選抜に、二期生から何人かが選ばれた。
フロントに選ばれたメンバーも、いた。

ところが結局、発売されることはなかった。

そのことを私は、誰のせいとか、誰が悪いなどという気はさらさらない。意味がないからだ。
それよりも、9枚目になぜそこまでこだわるのかを語るのに、事実の羅列が必要なのだ。

ただただ、出すはずの曲が出なかった。
立つはずだったメンバーはフロントに、立てなかった。

彼女たちにとって、9を意識するのに、これ以上の理由が必要だろうか。


実際私など、もう7枚目の頃から、あと少しであの9thか…とずっと意識していたほどだった。ヒデジン監督の言う6th7th8thの三部作というのもとても素敵だ。
ただその一方で私の中では、歴史を知るヲタクとして、勝手なカウントダウンをしていた。6th「Start over!」であれだけ跳ねたのももちろん嬉しかった。跳ねる要素は確かにたくさんあった。でもそれすら、9thでさらに飛躍することができる…!という視点で見たものだ。

次は、そんな9th。
ヲタクの勝手な思い入れ。もちろんそうだろう。
でもそれは、本当に私だけなのか。
口にはしていないが、二期生にとっての9thに、全く意味を感じないメンバーなどいるのだろうか、と。


…という、妙な強さで臨む一方で

櫻坂全体としては、三部作からの新展開、そして東京ドーム後のフェーズを占う意味でも節目となる9thであり、そちらの意味の方がもちろん大きい。先を見据えるなら、2024年中に10枚目という、いよいよ2桁の枚数に突入するかどうかも、9thの発売時期にかかっていると言えるかもしれない。さらには、夏秋の活動もそれを軸に整えられるとすれば、やはり長期的展望の中で考えないといけない。

わかってはいる。

わかってはいるけれど…

ただやはり、忘れたくない。
9thには、どういう特別な思いがあるのかということ。




2022年11月8日。
櫻坂46 in 東京ドーム

アンコールの一曲として披露されたのが「10月のプールに飛び込んだ」であった。

私もスタンドで観ていたが、まずこの曲が陽の目を見たことそのものが何よりも嬉しく、イントロが流れてきただけでどよめいた瞬間を忘れない。

ただ、異変もあった。

センターであるはずの森田ひかるが、いない。

歌い出しは確か森田ひかる・田村保乃の二人のはずだが、遠目で最初は何が起きていたのかわからないが、明らかに森田がいない。そのうち誰かの嗚咽の声がマイクに乗る。
嬉しさに浸りながらのそれで、一瞬感情の行きどころを失う。

曲が始まって、なんとも不安げな田村の声だけが耳に届く。

何があったのか。
いろいろ言われてはいるけれど、今も確実なことは知らない。

ただ想像できることといえば、やはり二期生にとってこの曲、幻の9thというこの曲の存在がいかに彼女たちの中で重きを為しているか、ということであろうか。

何らかの理由で、森田ひかるが出てこれなかった。

何らかの理由で、誰かが激しく泣いた。

円盤化されているこのシーン、森田ひかるがいないことはなかったことにできなかったものの、誰かが嗚咽した音声は完全に消されていた。
それを考えると、やはり何かが起きたことは間違いなくて。


それが、幻の欅坂9thの、現時点で唯一の客前披露である。


櫻坂46が迎える、9th。

もちろんそのときとは状況も経験値も違うし、そこまで9という数字に意味を持たせるのはおかしいかもしれない。

ただ願うことは一つで。

たとえ誰がセンターになったとしても、誰が選抜になったとしても。
欅坂時代を知るファンと、櫻坂になってからの歴史の中で迎えるBuddiesと、その両方が納得できる楽曲が来てほしいし、そんな楽曲を私たちの手でも育てたいと心から思っている。



裏で動いているかどうかはいざ知らず
表立ってはまだなんの動きもない9thではあるけれど。

そんな今だからこそ置いておきたい思い、というものもあるのだ。

noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。