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櫻坂46「自業自得」MVにおける川島が最も気になる、とあるシーンー既存Buddiesへの満足感か、新規Buddiesへの訴求力か 毎日note #43 櫻坂な水曜日 2024年6月12日付

櫻坂46、東京ドーム公演までカウントダウン。

「4」

ふと思うと、東京ドーム公演と9thシングル発売のどちらが先に決まっていたのか知る立場にないけれど、なんとなく同時に企画されて同時進行でしていたような気もしなくもない。ただの勘。
でも、どちらも盛り上がるように設定するのなら、最初からほぼ同時期に動くようなスケジュール設定をするのではないかなと思ったりした。もちろん現場は恐ろしく大変にはなるけれど。

ただ、メンバーの熱量を見ていると、たとえそういうスケジュールをきったとしても、全力で当たってくれそうな感じはする。もしかすると、そういう彼女たちの想いを知っているからこそのスケジュールだったとしたら、運営の神采配、ひいてはお互いの信頼感に基づくスケジュール、ということになるだろうか。

ドームも、9thも、どちらも盛り上がる。
こんな最高のタイミングはなかなかない。




9th表題「自業自得」。
このnoteを執筆時点で、約226万再生を記録中。再生開始後6日間で、である。

解禁後約一週間が経って、私自身もおそらく、最初から最後まで100回は間違いなく観ているが、最初は気づかなかった新しい疑問点とか、目を引く点というのも意外と出てくるもので、それがまた楽しからずや、という感じであるが。

答えが出ないのも、まあそれはそれであるけれど笑



批判というのは、建設的であれば発展性がある。
逆に、批判が全くない、全員全面礼賛というのはそれはそれで少し恐怖である。
当然誹謗中傷などは論外だが、お互いにとって建設的な批判はあって然るべきである。

また例によってどなたが、というのは失念したが、このMV、意外とダンスが揃っていない、という指摘をしていた人がいた。それがその人にとっていいか悪いかは書いてなかった気はするけれど、圧倒的な世界観の前にそんなことは忘れていたというか、気づいていなかったので、敢えてその部分に注目してみてみた。
すると、それらしきシーンとして考えられるとすれば、ここしかない気がした。

ラスサビ。

推しメン村井優は、ただ一人二回転し、その他アンシンメトリーというか、揃っていないどころか、いい意味で揃えようという意思すら感じさせない動き。
その「揃っていない」という指摘がここなのかどうかはわからないのでなんとも言えないのだが、仮にここだとしたら、これは内側から迸るエモーショナルな部分と、振り付けというシステマティックな部分のせめぎ合い。

ただ素人目にだが、これはおそらくフリーの動きではないかと。
それは、櫻坂では時々取り入れられる手法であって、私がこれを見たときに真っ先に思い出したのは、実は「魂のLiar」のラスサビであった。フリーな動きになる時間があって、ある瞬間で振り付けに戻るという、あの計算されてないようで計算された動きが実に美しく、印象的だった。
そしてその動きは、メンバーそれぞれに任されるという。

ここも、それの気はする。



感情からフリーに動いていい、というのが指示としてあったとしたら、それは逆にそのメンバーたちの見せ場になる。そのときの感情で動くわけだから、おそらく同じ動きになる日は二度ない。全てがその日限りの動きというスーパーレアが生まれるわけだ。
そして何より、エモーショナルに動いた結果がそれだというのは、実は多くのBuddiesが観たい場面ではなかろうかと。
ずっと彼女たちを見てきた方々なら特にそうだろうが、櫻坂がなぜ惹きつけて目が離せないのかというと、その歴史に裏打ちされた、今までのどうにもならなかった感情たちの体現であり、そしてそんな先輩の感情を近くで、或いは離れた場所で見ていた後輩たちの感情の体現である。それがお互いを思い合う気持ちに昇華し、これだけ期生別で垣根のない空気が出来上がっているのではないかと。

そんな感情たちが爆発した姿から、目が離せるわけないじゃないか。

既存Buddiesにとっては、これ以上ないくらい贅沢な時間、ということになる。



ところが一方で。

これから櫻坂にもどんどん新規の皆様を増やしていこうと思ったとき、当然そんな歴史から入ってくる新規の方々はほぼいらっしゃらない。よほど興味を持っていただけたなら話は別だけど、それでも「歴史から勉強しましょう」ということには流石にならないだろう。
とすれば、そういった方々に対する訴求力として、一般的に考えうるのは、やはりユニゾンダンスの完成度である。

これは、知らない人が見てもすこぶるわかりやすい。その見た目の綺麗さ美しさに目を奪われる、それが入口になる、というのは容易に考えられる。私はK-POPは全く無知なのだが、そういったユニゾンダンスの完成度が高いイメージはある。

それらは、相並ぶように見えて、その実、相反するものかもしれないなと思ったときに、どちらが最適解かはなかなか見出せない。

エモーショナルに振れば、当然揃えるのは難しくなる。でも、歴史を知れば知るほど、「揃っていない美しさ」に痺れる。既存Buddiesにとってこれほど涙を誘うものもない。
ユニゾンの完成度に振れば、見た目は相当美しい。ただ既存Buddiesにとってそれは、何か得体の知れない予定調和というか、デジタルチックというか、人間の温度を感じないというと言い過ぎかもしれないけれど、正直どこかで誰かがやっていたことの二番煎じに見えてしまう。けれど、櫻坂を知らない人がそれを見たら、おそらく目には留まる可能性も高くなる。

もちろんこれは、どちらかに、という話でもなく、両方のいいところを取ることも可能だと思っている。



個人的な感想を言うなら、揃っているところはもちろんそれで美しい。咲き誇る桜を見るに似た感情が溢れる。
でも、一人一人が自分の今の感情を表現した結果、周りと揃わなかったとしたら、それはまたそれで感動的だ。今しかできない動きを、今やっている。人生で二度ない、今というこの瞬間にしかできないこと。それを見てもらえたという感動。でありながら、秩序はしっかりと保たれているという部分にも美しさを感じるわけで。

さらに個人的な思いは、感情のままのダンスがやはり観たい、ということ。
揃えるのが是で、揃わないのが非、ということなら、もはや揃わなくてもいいかもしれない、と思うほどだ。
では新規を獲得しなくていいのか。
違う。
欅坂櫻坂の歴史を知らなくとも、その感情に触れれば目に留めてくれる人はきっとたくさんいる。

事実、ここまで大きくなってきたじゃないか。




私は思うのだ。
ダンスのユニゾンも確かに大切。
それに彼女たちなら、やろうと思えばきっとできる。

でも。
おそらくそれ以上に大切なことがあって。

リアルを表現する櫻坂ならなおのこと
自分の今この瞬間のリアルな感情に嘘をついちゃダメだ。

現在、というよりも、現在この瞬間というたった一点。
それを表現するのが櫻坂46であるならば。


揃える見た目の美しさ以上に、大切にすべきものが何なのか。
彼女たちはきっと知っているに違いない。




noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。