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小学校の先生、教職大学院へ行く⑨~私が進学した意味~

GWリフレッシュできましたでしょうか?
私も2日ほど出かけたり好きなことをして気ままに過ごしている一方、課題をしたり、研究について考えたりする連休になりました。
どこに行っても混んでいる休みだからこそ、家で頭を使い、疲れたら運動してそこそこに過ごしています。

さて学生になり早1ヶ月が過ぎました。各授業、3回程度終えると、先生方の個性が見え、この先生はこうやって物事を見るんだなと勉強になる日々です。実際に授業を受ける中でストレートマスター(4年生を終えて院に進学する学生、以後ストマス)と私の様に一度現場にいた現職組に分かれます。二つの立場の人が一緒に学ぶ場にいるというのはなかなかおもしろく、刺激になります。
そんな中で、入学前と少し自分がここに通う意味を見出したので今日はそんなお話をします。

1.現職メンバー同士の刺激

今年度現職組のメンバーは10人程度います。現職組の入学の目的は人それぞれだと思いますが、根底には「今のこの状況をなんとかしたい」と思って入学してきたのだと思います。学力低下、生徒指導、いじめや不登校、ICT、特別支援、働き方改革等々、現場ではもぐら叩きのように次から次へと問題が生じます。ゆっくり考えたい、もっといい方法を模索したい、だけど働きながらでは、結局のところ腰を据えて考えることは難しい。
私自身がそうでした。働きながらでも、きっとできたと思います。
ですが、その道のプロの元で講義を受けたり、様々な場所に出向いて話を聞いたりするということになると働きながらでは到底できません。
現場を変えるために、変えるきっかけをつくるためにここに来た。
そして1年後、成長した自分たちが現場に戻ったとき、自分たちの学びが100%生かされないということも承知です。それでも、見方・考え方、捉え方が変わっていき、理論と実践が結び付く瞬間が増えることはあるでしょう。その瞬間を私は楽しみにしてます。

2.大変なことは正直多い。でもいい場所だよって伝えたい

これはストマスの人たちへ伝えたいことです。こんなにメディアで教員の仕事はブラックだと言われている中で、本当にここまで進学してくれてありがとう(何目線?)って感じです。思いあふれる学生さんだからこそ、あえて言います。

大変ですよ、教員って。
実際に講義で「学校の課題」と言われると、やはりストマスの意見はやんわりしています。それはそうです。教育実習という2,3週間の学級担任が土台を作ってくれたところにひょいっと入り、1~2単元をこなす。もちろんそれが実習生としてのあるべき姿です。
一方現職がそのあたりの意見を言おうものなら、まあ生々しいです。
数々の修羅場を乗り越えてきた現職組。
でも伝えていてふと我に返るのです。
「これって本当に言っていいことなんだろうか」と。
確かに事実は事実。これから教員として生きていくみんなには現実を知ってもらいたい。苦労をわかった上で現場に入ってほしい。その一方で、現場で感じるこの感じを机上の空論で感じさせてしまっていいのだろうかとも思うのです。いわゆるジレンマは感じます。
現職組の発言、メディアの報道。それだけを聞いていたらやはりこの仕事への魅力は感じないのかもしれません。ですが、その中で埋もれているいいこともあるんです。

「できたー」と言って喜ぶ子、行事に本気で頑張る子、自分の好きなことを生かしてクラスで学校で居場所を見つける子、「先生、いつもありがとね」と言ってくれる保護者、「あー自分大人に染まっちまったなぁ」と子どもたちの純粋な目を見て反省する自分、困ったときに支えてくれる同僚、「謝るのが仕事だからやってみ」と背中を押す管理職。

そして、子どもたちが日々、小さな成長をしていく姿を見ることができる。
これって素敵なことだと私は思うのです。
そこに感動を覚えているうちはまだ続けよう。
逆に感動できなくなったらきっとこの仕事は続けられないなとも思っています。
「教育学部に進学したけど、教員大変そうだからやめようと思っている」
いいんじゃない?今じゃなくてもいいんじゃないと最近は思います。
他の仕事してからやっぱりあきらめきれなくて、教員になった人もたくさんいます。むしろ一般企業上がりの人の方が、教職の現場だと一目おかれることもあります。

「大変なことはある。だけど、感動をもらって元気になる。これがこの仕事の良さなんだよ」

私が今、ここにいるのはそれを伝えるためなのかなとも思うのでした。