祖父とヴィジュアル系にまつわるお話

最近はTwitterと会社のちょっとした会議資料でしか文章を書く機会がない。
文章を書くのは苦手だ。特に長文は。
このnoteという場を使って、少し長文を書く練習をしてみたいと思う。
それでは本題へ・・・

私は自分の祖父というものに対面したことがない。
母方の祖父は私が産まれる数年前に肺炎で亡くなっていた。
現代の医療技術ならもう少し長生き出来ただろう。今でも残念に思う。

和菓子職人だったようだ。
母や祖母から聞いたたくさんの思い出話と、祖母の家にある遺影を照らし合わせ、なんとなく生きていた頃を脳内妄想で創り上げることが出来る。
祖父の作った和菓子。食べてみたかった。

一方、父方の祖父は父が幼い頃に祖母と離婚していた。
父は祖母に女手一人で育てられた。

父や祖母から祖父の思い出話を聞いたことはない。
当然といえば当然だ。
生きているかどうかもわからなかった。いや、気にしたこともなかった。

私が高校1年生の時、学校から家に帰ると母に「祖父が亡くなった」と伝えられた。
「存在したんだ・・・」正直な感想だった。

翌日、まるで他人の葬儀に行くような気持ちで飛行機に乗り東京へ向かった。
実にそっけない家族葬だったように記憶している。
昼過ぎに終わり、夜の飛行機まで時間があったのでヴィジュアル系ショップに向かった。
場所は忘れたが池袋辺りだったか、地元では見かけないCDを数枚購入した。
父が悲しそうな姿一つなく「普段通り」だった事もあり、軽い東京観光のような1日だった。

飛行機に乗り、父が運転する車で夜の高速道路を走りながら自宅に向かった。
退屈なので父に頼んで買ってきたCDを再生させてもらった。
「・・・」

悲しげなアルペジオから始まる曲だった・・・
やがて低音ボーカルの悲しげな旋律・・・
そしてヴィジュアル系特有の台詞からディストーションの効いたベースが激しく唸りだすこの曲は・・・

地獄絵/病院坂の人攫いの家(1998)

一気に車中に気まずい雰囲気が流れた。
学校給食で「Dir en grey/霧と繭」を流したことがある私も、さすがに空気に耐え切れずそっと停止ボタンを押した。
そして何もなかったようにFMラジオに切り替えた。


思い出話が何一つない祖父とビジュアル系、それも「地獄絵」というバンドを通じて一つ思い出が出来た。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?