未知の世界と基底の現実は触れ合えるか Close Encounters of the Third Kind(第三種接近遭遇)

 現実にバーチャルYouTuberという言葉がやや浸透し始め、比較的安価なVR対応ヘッドマウントディスプレイである「OculusQuest2」が売れ始めている昨今。
報道される数こそ少ないが「VRChat」というVRSNS(VRソーシャル・ネットワーキングサービス)が注目を集めている。
そのVRChat内で2月13日と2月21日に学術イベント「Close Encounters of the Third Kind(第三種接近遭遇)」が開催された。
今回はそのイベントについてまとめつつ、今後の発展性を追いかけて行くことにする。

新しい「xR」の知見共有の必要性

 現在のVR文化が醸成される以前から、研究や工学、産業の分野ではVR技術の研究開発やVR技術を利用した認知心理学の実験が多くなされてきた。他方、現在はxR(VRやAR等の技術を包含する用語)技術の民生化が進み、VRChatの様なコミュニケーション可能な場がある程度生まれ、幾ばくかの時が経過した。すなわち、学術領野とVRを利用する現場(ソーシャルVRプラットフォーム)との間には、文化や技術などの知見に様々な差がある。
VRSNSの中でコミュニケーションが醸成され一種の社会が形成されるに従い、様々な要素がユーザー間で生まれ共有をされている状態にあるのはユーザーにとっては周知の事であるだろう。
そこで得られた知見をxR研究に携わっているアカデミアと共有し、それぞれの持つ利点を共有し合う事で新しい発展に繋げる事を目的としてこのイベントが開催されるに至った。

 2月13日は2部構成となっており、第一部ではVRChatのユーザー達総勢10名が登壇しプレゼンテーションを行った。
 第一回のテーマは「アバタと身体、心」である。VRChatをはじめ、ソーシャルVRプラットフォームでは、アバタを操作したり、変更することがメインコンテンツの一つである。認知心理学やVR心理学では、アバタを自己の身体として認知する現象やアバタの外見に応じてヒトの振る舞いに影響を及ぼす心理的効果が報告されている。指定のアバタを限られた時間の間で操作する実験室での実験と異なり、ソーシャルVRプラットフォームではデジタル世界における自己の分身ともいえるアバタを複数所有したり、あるいは、特別一つのアバタを長時間操作する。これは、研究者視点では非常に特異な環境であり、実験では観察できない事象が多くあると期待できる。今回のイベントでは、アバタにまつわる体験談を語ってくれるユーザ、そしてアバタと心理に関連する専門家の教授陣が登壇した。

ユーザー間で共通して取り上げられる話題として主だった要素は幾つか存在しており、今回の記事ではそれにフォーカスをしつつ紐解いていく。

第一部 前置きとしての身体的、精神的な変化

 登壇したユーザらの話は主に3つのタイプに分けられる。
提示していない感覚(触覚や匂いなど)を感じる
実在しない感覚器(しっぽや耳など)を感じる
現実の自分とは異なるアイデンティティが確立した

 これに対して21日の第3部の冒頭では専門家の解説がなされていた。本節では、第三部でなされた解説を交えながら第一部の登壇内容を簡単にまとめていく。詳細は記事内にイベントのアーカイブ動画を記載するので、是非それを参照されたい。

1. 提示していない感覚(触覚や匂いなど)を感じる

 現在のコンシューマ向けのVR機器では、視覚や聴覚をヘッドマウントディスプレイから提示するのみであり、触覚や嗅覚といった感覚は生理的には感じるはずがない。しかしながら、第一部で登壇したゲストは、VR空間上で体験した視覚体験(棒で突かれる、臭いが強そうなものを嗅ぐ、熱そうなものから熱を感じるなど)から、対応した感覚情報を感じ取ることができると報告している。
 このような感覚はユーザごとに異なっており、今回登壇したユーザは特別こういった感覚を享受しやすい体質を持っている。たびたびSNSでは、こうした個人差があり、まったく感じないユーザや、強く感じるユーザが多く観察される。なぜこのような個人差が生まれるのか、第三部ではこの現象に対して、クロスモーダル知覚といったヒトの知覚処理や個人の性格特性から解説していた。クロスモーダル知覚とは、同時に提示した感覚情報の影響を受けて実際の感覚刺激とは少しだけ異なる知覚
が生じる現象である。当日の資料の例では、過去にバンダイナムコからリリースされたPSVRソフト「サマーレッスン」を例にあげていた。サマーレッスンとは、女の子の家庭教師となり、コミュニケーションをとっていくVRゲームである。興味深いことに、とあるユーザーは「女の子の吐息や匂いを感じた」とレポートし、また別のユーザーはそういった物を感じないことを報告している。解説では、この現象には記憶や経験が影響しており、経験によって特定の感覚(匂い、風)が検出しやすくなると述べている。つまり一部のユーザーは豊富な女性経験によって現実の部屋内で生じている微弱な風を検出し、VR空間上の彼女らの吐息として知覚しているのである。また、ヒトの脳は、絶え間なく与えられた情報を処理し、信頼度の高い情報をもとに尤もらしい現象へと脳が捉えるように物を知覚していることが解説されていた。心理学では特に視覚が優位な存在であり、指と指の間の距離を報告するときに触覚的な手がかりではなく視覚を手がかりとすることが例として挙げられていた。
 さらに、このような個人差を生む要因として、感覚被暗示性(Sensary Suggestibiltiy)と呼ばれる性格特性を解説していた。これは、提示していない感覚を暗示したときにどのように反応するのかを示すものである。例えば、この特性が高い人は、歯をなめた時に「甘い感じがするでしょう」と暗示すると、生理的にはありえないにもかかわらず、甘いと答えるのである。すなわち、感覚の捉え方が非常に敏感で変化しやすい体質であるといえ、先述の知覚処理によって感じた微弱な感覚が向上されていると推測できる。実際、今回登壇したユーザの一部が所属しているコミュニティでもこうした被暗示性の強さを高める方面から享受する感覚を向上しようとする試みがある。

2. 実在しない感覚器(しっぽや耳など)を感じる

 アバターの中には動物の様な耳や尻尾、あるいは男性ユーザーが女性的なアバターを使う際の胸や、もしくは自分の装飾として髪飾りや周辺に浮遊させているオブジェクトを付けていたりもする。
そういったものに触れられる事でも触覚体験が発生し、触れられていたり暖かかったり冷たかったりという感覚を覚えるという。
 すなわち、視覚と聴覚の情報しかない中でその認識を拡張させ、現実の身体に発生し得ない物を自らが備えた感覚器官として捉えている。
 そんな中で別の登壇者は仮想疑似感覚の中でも「痛覚」や「仮想疑似感覚のフィードバックのマイナス面」を挙げており、強すぎる刺激はかえってユーザーに対し嫌悪感や不快感を表すという結論を述べている。
現実で味わう事が早々ない経験がVRでは出来ると言われる事もあるが、受ける影響について使用者本人が適切に把握してコンテンツと相対する必要が出てくるのである。
 解説では、こうした身体部位の延長は研究でもたびたび報告されており、ヒトの脳がいかに柔軟であるのかを述べていた。棒状の道具を持った時に我々の脳は棒の先端まで身体として捉えており、容易に制御したり、脳科学的にも道具に触れた時にヒトの身体に触れた時と同様の反応を示すことが例としてあげられていた。ゲストの専門家は、基本的には同様の現象であると考えられるが、大胆な身体の延長として強い興味を抱いていた。


3. アバターというもうひとりの自分(現実の自分とは異なるアイデンティティの確立)

 ユーザーの発表の中で上がったテーマの共通項のもう一つは「アバターを自身であると見なす事」だ。
イベント中にもVRSNSをプレイした結果「酔い」が発生したりする事があると報告を挙げたユーザーが居たが、それは他のユーザーと動的なコミュニケーションを取る事に注力した結果解消されていったという結論であった。
またVTuberとして活動を続けていく中で認知の変化があり、ネガティブであった思考がVTuberとして演じるキャラクター性に影響されポジティブに変化をしていったという登壇者も居た。

ある登壇者は普段自分が話したり請け負ったりしている諸要素がVTuber活動を通して「別の自分」を構築していると話す。自身の経験を含めた諸々の要素がアバターというフィルタを通してVTuberのキャラクターとして肉付けされていく。
またある登壇者はアバターを通して友人たちと交流する事で、アバターとして活動している自分を別個の自身と知覚する結果が生まれる事となった。登壇者の言葉を借りるならば「二つの自己同一性を持った存在という自己概念」と定義されるものに帰着したのだという。
更に別の登壇者は今まで使っていたアバターとは全く違う特性のアバターを7日間使う事で「自分の外側(周囲のユーザー)を見て自分自身を再定義する」結果になったと発表した。

アバターを使用する事でそれを見る他者やあるいは使用する自分自身がそのアバターに合わせた人格とでも言うべきものを構築していく過程を発表し得る場が今まで無かっただけに、この話題には多くの共感が寄せられた。

VRChat以前からセカンドライフやワールドオブウォークラフトといったメタバース・MMORPGプラットフォームなどで、こうしたデジタル世界での自己の発生について多くの研究がなされている。現実には代え難い特性(外見や種族)があり、こうしたデジタル世界を通じて理想的な自己の獲得がたびたび報告されている。2Dフラットなゲームから、没入感や身体性のあるフィールドに移ったことで、今回のユーザ報告のようにより豊かなアイデンティティの変化が期待できる。


第二部・第三部 専門家による議論


 第一部の発表はつつがなく10名全てが終わり、質疑応答の時間を経て第二部の開催となった。
第二部は実際に大学の研究機関等に勤務されている教授陣をスタッフとして招き、第一部で寄せられた疑問その他をミックスしながら研究分野の発表と織り交ぜてパネルディスカッションを行う形となった。

・廣瀬通孝(東京大学 先端科学技術研究センター サービスVRプロジェクトリーダ)

・河合隆史(早稲田大学 基幹理工学部 表現工学科 教授)

・稲見昌彦(東京大学 先端科学技術研究センター 教授)

・山口真美(中央大学 中央大学 文学部 教授)

・関根麻里恵(学習院大学 人文科学研究科身体表象文化学専攻 助教)

この五名の方がそれぞれ研究発表を行われた。

第三部は2月21日に開催され、以下の4名がそれぞれの分野から見た発表を行われた。

・鈴木宏昭(青山学院大学 教育人間科学部教育学科 教授)

・鳴海拓志(東京大学 大学院情報理工学系研究科 准教授)

・田中彰吾(東海大学 現代教養センター 教授)

・小鷹研理(名古屋市立大学 芸術工学研究科 情報環境デザイン領域 准教授)


 本記事では各発表内容の仔細は追わず、それぞれの発表から汲み取れる共通項を洗い出し記載する。
これを元にパネルディスカッション本配信アーカイブの視聴の足がかりとさせて頂きたい。

VRを元に考える身体性にまつわる諸々

 VRSNSは元より、VRデバイスを用いた各種社会生活を可能とさせていく上で間違いなくアバターの存在というものは外せないが、その活用法についても色々な方向からアプローチする必要がある。
例えばアバターを動かす上で「一人1アバターではなく同時に動かす技術」が求められる事もあれば、二人の演者の動きをミックスさせ一つのアバターへ落とし込むという活用法も存在する。
一方コミュニケーションを取る上で欧米人は口を、日本人は目を重要視するという研究結果からアバター同士のコミュニケーションのアニメーションが未だ不足であるという意見が発表中に見られた。
VRデバイスを通さなければ十全にアクセスする事が難しい現在ののVRSNS環境そのものの改善や実在の身体を動かさずアバターを操作出来る必要性を定義する内容のパネルディスカッションも行われた。
 身体感覚のズレ(傾きなど)と映像を同期させる事による「それらしい感覚」の作成やそれが身体に齎す影響の強さを測る実験の映像も配信された。


アバターから考える認知の多様化

 もう一つ共通的な要素として見られたのは、アバターを用いた諸々の活動で生まれる認知についての研究の収斂である。
例えば理知的な人物や魅力的な人物に見えるアバターを使用している人間はそのベクトルの目標達成率が上がる「プロテウス効果」。
また高所へと飛行する際に人ではなく竜や鳥の様なアバターを用いる高所恐怖の緩和。
こういった実際の身体と異なる身体(アバター)を纏うことによって、「自分自身ができそうなこと」の認識のレベルを調整する事が可能であるという点。
そもそも認知とは何なのかという所から、ソーシャルVRは人間が認識する「現実」を構成する要素を多くの人に「身体感を損なわずに」共有・体験させられるという結論を出された方も居られた。
 発表後の質疑応答の中で行われた「女性のアバターを纏い女性として振る舞う男性が居たとして、現実に戻った際の『ギャップ』をどう超克していくのか」という内容では活発なディスカッションが行われる一幕もあった。


第二部、第三部ともにYoutubeにて配信されコメントも続々と寄せられ、活発な議論がなされる中で両日程共に大幅に時間を超過する程の過熱ぶりをもってイベントは終了した。


アバターを使用するという現実から考える「未知との遭遇」

 本イベントの副題をご覧になられてニヤリとされた人も居るだろうが、「Close Encounters of the Third Kind」という単語はUFO研究家のジョーゼフ・アレン・ハイネックの提唱する用語である。
これは人間が空飛ぶ円盤に接近し、搭乗員とコンタクトを果たすという状態を指す言葉である。
では現在アバターを用いてコミュニケーションを取る、あるいはそういった要素を研究する人々とそうでない人々がいる現代に何故この用語を使ったのかを筆者なりに平易に整理させて頂きたい。
 第三部で展開された「人間は外界からの認識で現実を構成していく」という趣旨の発表にある様に、現在VRといえばスマホゴーグルやヘッドマウントディスプレイを被って騒ぐ様なものに見えているだろう。
このビジュアルに関しては映画「レディ・プレイヤー1」内において道行く人々がヘッドマウントディスプレイを被っていた事からご存知の方も多いだろう。
そしてそれは現在OculusQuest2がかなり売れている事があったとしても、まだまだ大衆にとって未知の出来事なのである。
しかしこの「未知の存在」は多少の投資で簡単に「既知の存在」へと変化する。
だがそうは問屋が卸さないのであり、VRSNSを「既知の世界」として開拓していく人々にとっても未だ未知の要素が多くあるいわば巨大な玉ねぎなのである。
この巨大な玉ねぎの皮を一枚ずつ剥いて「既知としていくやり方」を共有する場が今回のイベントなのだ。

 VR元年と叫ばれ続けて毎年VR元年と呼ばれる一方でVRChatという場が注目され始め三年程経った現在。
VR用のHMDも常に進化し、比較的安価で手に入るまでに製品の質は向上した。
また現在の世情も相まって、仮想世界という空間そのものに注目が集まっている。
そろそろこの未知に溢れた新世界が、既知の現実と折り重なる様になるのも遠くないのかもしれない。


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