竜とそばかすの姫 あるいは「私達は身体を置いてどこへ行けるというのか」

 現在絶賛公開中の「竜とそばかすの姫」。
先日私もアリオ亀有で上映していたのを観に行ってだいぶ感銘を受けたりなんかしたりしました。
でもTwitterでつぶやくのはちょっと分量足りないかなという事でnoteにつらつらと書く方を選びました。
だいぶ普段の記事とは違う砕けた文体かつ出来る限り公式サイトのレベルでのネタバレ配慮は行いますので、それでもOK!(ズドン)という方は先へお進みください。
なお筆者はVRコミュニケーションサービス「VRChat」をプレイしている為、そちらと比較したりする表現も往々にして出てきますがご容赦ください。
後は最近見たサマーウォーズとの比較も出たり出なかったりします。ちなみに画像とか一切ございません。公式さんファンサイトキットとか何卒…何卒…

<As> <U> Wish

 竜とそばかすの姫の舞台は、全世界で50億人以上が接続しているインターネット上の仮想世界「<U>(ユー)」。
そこに降り立った歌姫「ベル」が高らかに歌を響かせるシーンから物語が始まる。
正直このシーンでお腹いっぱいというか払った分のお金の満足感を感じた人が多いんじゃないかという方は多いんじゃないでしょうか。


ぶっちゃけ皆さんベル綺麗って思ったんじゃないですか?

私もそう思いました。それこそキャラデザインとして悪い意味でのツッコまれ所が無い洗練ぶりとビジュアルの良さ。映画館で見たもの勝ちというところでしょうか。
このシーンと前後して、舞台である「<U>」の説明が入ったりします。
<U>に入るための肉体、つまるところアバターとして設定されるのが「<As>(アズ)」。これは作中中盤でも説明がありますが、一人一体のみ所有可能。またアバターとしての外見は使用者の身体データを測定し造形されるという仕組みになっています。
耳に差し込むワイヤレスイヤホンタイプのデバイス等で生体情報を読み取り、<As>を造形。造形完了後は幾つかの要素を自分好みにカスタマイズも出来るようですが、外見の大幅な変更は不可能な様です。
そして<U>の宣伝コンセプト「現実ではやりなおせない。けれど、<U>ならやり直せる。さあ、もう一つの世界で、あなたの新しい人生を楽しもう。」というテイストの触れ込みがアナウンスされます。
あなたの新しい人生の望み(wish)を叶える場所としての<U>と<As>。まさしく<As> <U> wishである。

リアルとバーチャル

 主人公の「すず」こと内藤鈴は高知県の田舎で育った、特に目立った所が少なそうに見える女の子。友人である「ヒロちゃん」と共に冴えなそうながらもそれなりに緩やかな高校生活を送っていそうな二人である。
クラスでも人気の「ルカちゃん」が指揮する吹奏楽部の活動をやや気だるげに、またスクールカーストの中では恐らく目立たない立場であろう事を暗喩させながら夏に向かって物語が進んでいく。
すずは前足の一つが無い犬と、すずの父親との二人と一匹暮らし。しかし父親との仲は上手くいっておらず、毎度拒絶してしまうすずの部屋には母親と思われる人との写真。
もともとすずは母親と歌うのが子供の頃から大好きであり、親子仲が良かった時はそれはそれは笑顔で溢れていた頃が劇中の様子からも見て取れる。
自分で歌詞を作り、メロディを作って親子二人三脚で歌い上げる様子にほっこりした人も多いのではないでしょうか。
しかしその母親がとある事故で還らぬ人となってしまい、すずは歌を作るどころか歌うことそのものが極大なストレス要因となってしまいます。
この際の様子は本当にリアルというか、手からこぼれ落ちていく自分の思い出を受け止めきれずに自壊しそうになる様子が生々しいのは流石の描写というべきでしょうか。

 そんなすずに転機が訪れるのが、友人のヒロちゃんが誘った「<U>」。最初に自身をスキャンしたアバターが作成され、そのあまりの違いに戸惑うも「そばかす」が顔にフェイスペイントとして描かれている事で自分の分身なのかと認識しはじめます。
そしてアバター名を「ベル」と定め、初めて降り立った「<U>」でぽつぽつと歌い始めます。それは先程こぼしてしまった言葉を拾うようにゆっくりとしたものでしたが、周りの参加者達に驚きあるいは中傷と様々な反応をもって迎えられました。
歌い終わったすずのフォロワーが「一人」増えた事で、<U>に対して「ちょっとだけ未来を変えてくれる」と認識をした彼女。

そしてここから冒頭の光景を経て、ベルの舞台が用意されていきます。

竜と「正体探し(アンベイル)」

 仮想世界である<U>には製作者とされる5名の賢者「Voices」が居ますが、彼らは<U>を作り上げる際に警察の様な管理者を実装しませんでした。いやぶっちゃけ50億ユーザーの管理がクッソ面倒って言われればそうなんですが。
そんな訳で<U>にも有志の<As>達が治安維持の組織を作り、そしてそこに多くの企業が宣伝効果を見込んでスポンサーに付いたりしました。
そんなある時、ベルの新曲発表のコンサート会場にその治安維持組織に追われる一人の<As>が乱入。
コンサート会場を滅茶苦茶にしながらも、常に防戦一方の中で立ち回り周りの<As>達からも罵声が浴びせられるその存在が「竜」と呼称される特殊な<As>の使い手でした。
対峙する相手は完膚なきまでに叩き潰され、データの破損すら発生するレベルでダメージを与えるというちょっと君出る作品間違えてない?というくらいの強さです。
なんとか逃げおおせた竜と、そのあり方に興味を抱いたベルは竜の正体を探るべく行動を開始。
段々と高まる竜の「正体探し(アンベイル)」と、二人の運命は。

 公式サイトにもキーワードの一つとして出てくるアンベイルという単語ですが、コレは「ヴェールを剥ぐ」、端的にいえば生体情報を変換して出力している<As>に対しその変換をシャットアウトさせ、リアルの身体をアバターとして表示させるという機能。
そして<As>についての重要な要素として「ボディシェアリング機能を有しており、(<As>は)<U>の世界ではその人の隠された能力を無理やり引っ張り出すことができる。」という機能が公式サイトにあります。
つまりアンベイルが行われてしまえば、単なる身バレに留まらず<U>の世界で拡張された能力をも失ってしまい、いわば「ただのヒト」に戻ってしまうという事になります。
この無情な要素がどう本編に絡んでくるのかは、見てのお楽しみという所です。

<∪>のバケモノスペックと限定性

 さて一通りあらすじの解説も終わったのでここから私見に入るのですけれど、正直言って第一印象が

「待ってコレ接続してるPCとかあったら爆熱で死んじゃうんじゃない?大丈夫?」

という身も蓋もない所からスタートしてしまいました。
だってアレだけ冒頭から花びらぶっわー!にライト系のパーティクルずぎゃーん!ですよ。それで数億人単位の同時エントリーが可能とかどうなってるんですか。
大丈夫?接続維持してるスマホちゃん死なない?クラウドサーバーかなにかなの?ラグとか起きてない?と、VRChat経験者から見た結果がパフォーマンスの心配とかこの部分の無駄すぎる杞憂をなんとかしていただきたい説明はほしかった所ではあります。
いやそういう風に考えるのはごくまれって言われればそのとおりなんですけれど。
 また<U>には様々な区画が存在している描写がありますが、サマーウォーズのOzの様な生活に必要なシステムと紐付いている描写はありませんでした。
流石にこれだけ大規模に接続ユーザーがいる世界で何かしらトラブルが起きて現実世界に影響が、というのはセキュリティの観点から実装されなかったのでしょう。英断です。
管理者であるVoicesも手を下すのは限定的であり、それも直接どうこうするという形でトラブルに介入するような素振りは見せていませんでした。
終盤とあるシーンでアバターデータを復旧・改修した所で介入したのか?という程度でありそこから先は成るに任せるといった対応方針です。意外とユーザー本位の考え方なのかもしれません。
こうしてみると本当にサマーウォーズとは違う「限定された何でも出来る世界」という描写が強くなっているのかなと思います。

匿名の流言飛語

 サマーウォーズの頃からあった吹き出しによる大衆意見の表現という手法ですが、今作でもそういった描写は多くありました。
もちろんそれだけではなくLINEの炎上や動画のストリーム配信サービスに近い様なビデオチャットでの批難の応酬、自身のプロフを偽る迷惑ユーザーの一方的なヘイトなどここ最近噴出しつつある社会問題も満載です。
こういった描写が本作品に割とぽこじゃか見受けられるのは、サマーウォーズではいまいち当時伝わりにくかった「名前のない多数の悪意」がより具体的な形を伴ってやってきたものではないかなという印象を受けました。
もちろんチャットやLINEだけではなくその匿名の悪意や無自覚な期待による重圧というのは<∪>内でも同じ事です。

匿名だから何を言ってもいい、何をされてもいい、その匿名性が剥がれるのが嫌なら要求を飲め。

ここ最近騒がれ続けるSNS等での誹謗中傷その他トラブルは全てこういった要素に帰結する為、本編終盤の描写はある種それに対する強烈なアンチテーゼとなっています。
匿名の向こうにいるのは偶像でもなんでもない、等身大の人間です。

保護されるべき対象と残酷な<As>のルール

 本編終盤ですずは非常に大きな決断を迫られ、そしてその心が赴くままに行動します。
この部分の描写に関して「間違っている」と息を荒くされているレビューも散見されましたが、私としてはアレは「大人の限界と人間の無限界さ」の対比だと感じました。
大人は守るべき社会性、家族、あるいは自分の身分といったルールに縛られるものであり、その上で最大限行動した結果提示されたのが「48時間ルール」という児童虐待保護の指針となる「社会的に大人が出来る行動の結果」でした。
一方すずはこの前後にあった出来事から、それこそ社会的に裸(ネイキッド)の状態で行動をスタートさせています。
すずの過去にあった母親の辛い事故がフラッシュバックし、その上でなお行動する選択肢を選んだすずの立場は「社会的な要素を失う事を恐れて立ち尽くしていた大人」ではなく「一個の生命を尊重する人間」としての「社会的ではない人倫道徳的な」振る舞いだったのでしょう。
これはどちらの立場からも正当であると言えると共に、この一連の描写に全く<As>が介入出来ていないのがこのシーンのミソかもしれません。

 かつてVRChatで発生した事件として記憶されている人もいるでしょうが、一人のユーザーがアバターによる光過敏性発作を発症し倒れ込んだという出来事がありました。
その際に周りのユーザーは声を掛ける事こそ出来ましたが、倒れたユーザーが「どこの誰なのか」を知っていた人間は恐らく居なかったのではないでしょうか。
そこに誰かがいるようであっても、結局その向こうにいるのが誰なのかを私達は知らないのです。

 同様に「竜」の正体に迫る上で鍵となったのは、いずれも「竜」の使用者を映したと思われる配信映像内の情報、つまりは現実世界の情報が鍵でした。
<As>でほとんど掴めなかった彼の足取りが、思わぬ所から具体的な形となって現れたのです。
そして<As>のルールとして生体情報を直接反映するという特徴があります。これは恐らくユーザー側で制限の有無こそあるのでしょうが、身体的な特徴だけでなく「傷」も反映される可能性があります。
劇中の描写以外でも、恐らく手術痕や四肢の欠損、そして推測でしか有りませんが「精神的な障害の有無」をアバターの造形や性質に反映させている可能性も無きにしもあらずといった所です。
その点から考えてみるならば「<U>は本当に第二の現実世界なのか、本当にそこに救いはあったのか」という疑問を考えざるを得ません。

等身大のヒト、等身大の世界

 作中描写ですずの事を知り「これだけ小さな女の子だったなんて」と感銘を受けるキャラクターが見受けられました。
アバターの向こうにいるのが才能に溢れた人なのか、それとも今を必死で生きている人なのか。
あるいは詐術で自分の立場を作り上げた人なのか、それとも自分に正直に生きようとしている人なのかを知るすべはありません。
それは作中でユートピアのように扱われている<U>でも例外ではなく、ましてや我々の生きる世界では尚の事です。
ただ生身で物事にぶつかった事が正解である訳でもなければ、アバターで何かを成し得たから物事が回りきった訳でもない。
作中最後に示された「信頼のあり方」は、すずがすずとして示せる等身大かつ精一杯のやり方だったのかもしれません。

 竜とそばかすの姫は確かにラブロマンスと言えばそうですし、美女と野獣を下地にしたと言われればそうも言えます。
でもそれ以上に大きく感じたのは「人と人とが真摯に向き合わなければ何事もうまくいかないし、そうすればうまくいく」というシンプルな人間讃歌でした。

さてこんな感じでばーっと語っちゃいましたが実際文章見るより皆本編見て。マジですずちゃんの虜になります。もうお父さんの辛さも分かるし頑張れって言いたくなるくらいにいい子してるんですよ。


ところでサジェストで出てきた「美女と液体人間」ってなんですかこれ…

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