ベンハムの独楽

2016-01-20

 ある日僕は色を失った。

 朝ベッドで目が覚めると、世界がモノクロになっていた。水色のタオルケット、クリーム色のカーテン、焦げ茶色のデスク、緑の観葉植物、赤と青の時計、カラフルな雑誌の表紙とスマートフォンの画面、そして僕の手。どこを見ても白と黒だけで、色彩がなくなっていた。窓から見る景色も同じだった。透き通るような青い空も、鮮やかな緑の葉もなく、辺り一面どんよりとした灰色に覆われていた。

 目をこすっても変わらない。瞬きをしても変わらない。寝れば戻るかもしれないと思い目を閉じてみたが、気が高ぶって眠れない。あきらめてベッドから出て一階に降りた。母親と妹がモノクロのテレビを見ている。二人とも肌が灰色で、ゾンビのような顔をしていた。

 水槽のネオンテトラも色がなくなった。まるで煮干しが泳いでいるようだ。水草はすべて灰色に枯れてしまった。光合成で発生する酸素は泡沫が綺麗だったのに、泡が黒くなったせいで虫の卵が浮いているように見えた。

 ブラウンのトイプードルはブラックになった。毛の質感がはっきりしないので黒いモップが動いているみたいだ。なにか異変に気づいたのだろうか。滅多に吠えないのにワンワン鳴いて僕を警戒している。抱き上げるとバタバタもがき、飛び降りて妹のほうへ走っていってしまった。

 午後、近所の病院に行った。その日は目の検査をしただけで、診断結果は聞けなかった。一週間後に再び病院を訪れたが、原因が分からないとのことで県内の大学病院を紹介された。気休めのように精神安定剤を処方されたが、飲んでもまったく効果はなかった。大学病院は予約が多いそうで、受診できるのは三カ月後だった。

 色のない世界は味気ない。

 モノクロといっても白と黒の二色だけではなくグラデーションはあった。濃い灰色、中間の灰色、薄い灰色。だいたい七色ぐらいのグレースケールだ。もしあなたがスマートフォンを持っているなら、カメラの撮影画面をモノクロにして周囲を見渡してみて欲しい。僕が見ているのはその世界だ。

 モノクロの写真はソリッドだが、あれは世界がカラフルだからこそ映えるのであって、灰色の世界にいるとまったく感動しない。一眼レフカメラで街や人の写真を撮るのが好きだったが、そんな気も起こらなくなってしまった。

 食事は美味しくない。好物のカレーは味が薄くなった気がするし、梨はまったく味がない。ご飯は紙粘土を食べているみたいだし、牛乳はコンクリートを飲んでいるみたいだった。味覚と触覚がこれほど色彩に依存しているとは驚きだった。

 車は乗れなくなった。信号の赤・青・黄色が判別できなくなったのだ。信号が変わった瞬間はどこが点灯したのか分かるが、点灯したままの状態だと区別がつかなかった。

 夜道を歩くのは気持ち悪かった。街灯があっても暗く、視界にモヤがかかっていた。まるで暗視スコープを覗いているような世界で、今にも幽霊が目の前を横切りそうだった。

 仕事は致命的だった。ウェブデザイナーだった僕は色が指定できなくなった。色とカラーコードの関係は記憶していたが、色を二つ以上並べたときのバランスが分からなくなったのだ。適当にカラーコードを選ぶことはできたので最初は斬新だと評価されたが、次第に色合いが悪いと指摘されるようになり仕事がなくなった。グレースケールのシックなページなら作れたのだが、残念ながら需要はなかった。

 世界から色がなくなって三カ月が経ち、僕は紹介された大学病院を訪れた。近所の病院と違って設備が充実していた。脳の断面図を撮影するため、筒状の巨大な機器に入れられた。狭く窮屈な空間の中、モーター音が不規則に響く。内側の壁は真っ白で繋ぎ目がない。目を開けていると焦点が合わなくなり、意識が朦朧とした。

 翌週再び病院を訪れ、脳神経外科の先生と話をした。

 「紫外線と赤外線って知っていますか?」

 試されているような気がして僕は椅子に座り直した。

 「光の波長の一種です。光は波長の短いものから順にガンマ線、エックス線、紫外線、可視光線、赤外線、マイクロ波、電波と並んでいます。エックス線や電波は聞いたことがありますよね。レントゲン撮影やスマートフォンの通信で使う電磁波です。人間が知覚できる光は可視光線です。波長の短い順に紫、青、緑、黄、橙、赤と並んでいます。この両端の紫と赤から外れた光が、紫外線と赤外線になります」

 僕は頭をフル回転させた。

 「あなたはこの可視光線が判別できなくなっている状態だと思われます。波長で言えば、だいたい三百三十ナノメートルから七百七十ナノメートルの間です。今のところ原因は分かりませんが前例はあります。オーストラリアの北、ミクロネシア諸島のピンゲラップ島に全色盲の人がいるそうです。そこでは島民の三割が全色盲で、近親者の間で婚姻を繰り返したことで遺伝病になったと考えられています。ピンゲラップ島は絶海の孤島で、これまで本格的に調査されたことはありません。セスナやヘリコプターは着陸できません。舟で行けることは行けるのですが、島の周りは渦が強いので危険を伴います。私は一度行ってみたいのですが、あなたもどうですか?」

 先生は四十代前半だろうか。目の力が強く、頭がキレそうだ。近所の病院の担当医のようにヨソヨソしい雰囲気はなく、信頼感はある。ただ、突然見知らぬ島に行ってみたいかと聞かれても答えようがない。海外なんて学生時代にイギリスへ行ったぐらいで、サバイバルの経験なんてない。同じ症状を抱えた人がいるのは気になるが、曖昧な返事しかできなかった。

 また来週来るように言われ、その日は家に帰った。

 セカンドオピニオンという言葉が頭の中に浮かんだ。一人の医者だけではなく、別の医者の意見も聞いて治療方針を決めるものだ。以前歯が抜けたときに二人の医者に相談したら、まったく違う治療法を提案されて驚いたことがあった。今回も別の病院に行ったほうが良いかと思ったが、なんとなくこの先生が気になり翌週再び大学病院を訪れた。

 先生に今の状態を説明した。

 「症状は変わっていません。視界は暗く、モノクロです。最初は七段階ぐらいのグレースケールだったのですが、もう少し細かく分類できるようになった気がします。相変わらずご飯はまずくて性欲もありません。視界に生気がなくなったせいか、自分も生気がなくなった気がします」

 世界から色がなくなると、感情の起伏がなくなる。人の喜怒哀楽は思っている以上に色の影響を受けている。赤色は興奮し青色は安らぐと言われるが、視界が灰色だとそのような心の変化もない。刺激が極端に減り、気分は沈んだ。

 なにより辛かったのは、モノクロの世界を人に理解してもらえないことだった。僕は外見上、何の問題も抱えていないように見えた。家族や友人にモノクロのカメラ画面を見せると、イメージはしてもらえる。だが、その世界で暮らす苦しさは分かってもらえない。

 「ユクスキュルの環世界を知っていますか? それぞれの主体にとっての環境世界のことです。たとえばあなたが森に入ると、そこには木があり土があり虫がいることを認識します。でも、森にいるダニにとってはまったく違う世界がある。ダニは目と耳がないので木も土も見えず、鳥のさえずりも聞こえない。その代わりダニは鼻が効く。ダニは動物が近くに来たことを匂いで判断しているんです。匂いだけをたよりに、決死の覚悟で木から飛び降りて動物に寄生するんです」

 モノクロならモノクロの世界で生きればいいと言っているのだろう。ただ、先生は知らないのだ。生きている心地がしないこの色のない世界を。

 「自分を幸せにできるのは自分しかいません。誰の名言が知ってますか? 私の名言です」

 そう言うと先生は大きく笑い、手紙を書き始めた。六甲山にある療養所の紹介状だった。

 神戸はいい街だ。海と山が近いし、街の機能が一箇所に集約されているので利便性がいい。十年ほど前に父親の転勤で東京から引っ越してきたのだが、ゴミゴミした大都会より居心地がよかった。少々押しが強いところもあるが親切な人が多かったし、なにより関西弁の女の子は可愛かった。

 阪急電鉄の六甲駅からバスに乗り、三十分ほど北に進むと高台に療養所があった。建物は三階建てで、想像していたよりも立派だった。おそらく白い壁なのだろう、シンプルで清潔感があった。建物の前には芝生が広がり、周りは背の高い木に囲まれていた。本当だったら薄茶色の芝生と紅葉が見えたはずだ。

 僕は三カ月ほど入所することになった。ここは薬や手術で病気を治療するのではなく、自然に触れ、人と接することで元の自分を取り戻すことを目的としていた。療養所の生活に不安はあったが、外の世界にいるよりはましだった。

 患者には様々な人がいた。大企業に勤めていたがプレッシャーで鬱病になった人。自分の歩いてきた道を後からチェックしないと気が済まない確認強迫症の人。喋るだけで全身から汗が出る強迫観念症の人。そんな人たちと一緒に室内でレクリエーションをしたり、屋外でスポーツをする。畑で野菜を育てたり、花壇に水をやる。山を散策したり、動物の世話をする。

 心地よかった。これほど自然に触れるのは小学生以来かもしれない。大人になって土なんかほとんど触っていなかったのだが、シャベルや鍬で土と格闘していると気持ちいい。生きている実感が湧いてくるのだ。相変わらず世界はモノクロで艶はなかったが、土や植物と向き合っていると色がないことを忘れることもあった。

 療養所には女の子もいて、レクリエーションは合同だった。そこに浜松から来た拒食症の女の子がいた。笑顔がとても可愛くて、僕はすぐ好きになった。名前に僕と同じ漢字が一つ入っていたので、運命的なものを感じた。彼女も僕のことを好きになってくれて付き合うことになった。

 付き合うといっても彼女とはセックスができなかった。療養所の人影のないところや、一時帰宅した時にお互いを求め合った。彼女は濡れたが、僕はだめだった。彼女の拒食症はそれほどひどくなかったので、身体には女の子の柔らかさがあった。だが、灰色の肌がどうしてもだめだったのだ。目を閉じても、映像は灰色のままだった。

 それでも僕は彼女が好きだったし、彼女も僕を求めていた。彼女は止まっていた生理が来たことを、はにかみながら教えてくれた。

 「ここを出たら結婚しよう」

 僕は真剣に伝えた。彼女はうなずき、僕の肩に顔を寄せた。ただ、僕たちはまだ若く、自分の力で生活するということを分かっていなかった。ここの世界と外の世界が違うということを想像できなかった。

 食堂でよく、彼女と一緒にコーヒーを飲んだ。彼女はスプーンをカップに入れたまま飲むので、スプーンがくるっと回って鼻に当たった。僕はいつも頬杖をついて、彼女のそんな仕草を眺めていた。

 ある日ふと気になって聞いた。

 「どうしてスプーンをソーサーに置かないの?」

 彼女は答えた。

 「ソーサーが汚れちゃうでしょ? それにソーサーにスプーンを置くと真ん中にすべってくるし。邪魔でしょ?」

 カップに入れたままのほうがよっぽど邪魔なんじゃないかと思ったが、それ以上は聞かなかった。

 入所して二カ月が経った。その日は雪が降り、外で予定していた散策が中止になった。レクリエーションルームで音楽を聴いていると、小学生ぐらいの女の子が廊下を通った。新しく入所してきた子のようだ。綺麗な顔立ちをしているが表情が薄い。身体が細いので拒食症なのかもしれないが、真の問題は分からなかった。

 ここの療養所では、お互いの病気についてはあまり話をしない。鬱病や強迫観念症の人がいると言ったが、あれは断片的な会話から推測した僕の予想で、本人から病名を聞いたことはない。僕も色のことは彼女にしか話をしていなかった。

 患者は総じて明るかったが、あることがきっかけで影を見たことがあった。少し太った確認強迫症の患者がいて、僕は仲が良くなったと思っていたので冗談でお腹をポンポン叩いた。すると突然顔にチックが走り「やめて下さい」と強く拒絶された。チックは数時間止まらなかった。僕は茶化したつもりだったが、本人には酷く不快だったのだろう。ここの人達は一見するとなんの問題もないように見えるが、心の中には闇を抱えていた。

 翌日も雪が降った。窓から外を見ると辺りが真っ白だった。木の灰色も、枯れ葉の灰色もない。芝生の灰色も、空の灰色もない。雪景色はどんよりとした灰色のイメージがあったが、あれは人や車が道路を踏みつけるからであって、誰も足を踏み入れていない雪景色は真っ白だった。僕は久しぶりに色を見たような気がした。

 新しく入所した少女はレクリエーションルームで本を読んでいた。僕はなんとなく気になって「こんにちは」と声をかけたのだが、振り向いただけで口はきいてくれなかった。少女は本を読み終えると独楽で遊び始めた。ここでは見たことがない独楽だったので、家から持ってきたのだろう。少女は独楽の先を床に立てて、くるっと回した。

 その時だった。独楽の回転を見ていたら色が現れたのだ。淡い色ではっきりしなかったが、確かに見えた。

 「色だ」

 僕は独楽を見つめて呟いた。白色でもなく黒色でもなく灰色でもない。薄い茶色がチカチカと点滅していた。僕は茶色い点滅から目が離せなくなった。部屋の風景が消えて、独楽と少女しか見えなくなった。周りの話し声が消えて、独楽の回転音が聞こえた。

 長く独楽を見つめていた気もするが、実際はそれほどでもなかったかもしれない。独楽の回転が次第に遅くなり、バランスを崩して止まった。周りの人の声が徐々に聞こえるようになり、元の世界に戻った。

 「これなに?」

 少女は答えなかった。独楽の表面には渦のような模様が描かれていた。

 「この模様は何色?」

 「白と黒」

 初めて少女の声を聞いて涙が出てきた。声を聞いたからではない。何かが繋がる気がしたからだ。失くしたはずの人生を取り戻せるかもしれない。そんな予感がした。

 「これ」

 少女は首を傾げ、僕に独楽を差し出した。

 翌日、大学病院の先生に電話をして、独楽の表面に色が見えたことを報告した。

 「偶然ですね。私も独楽に辿りつきました。ベンハムの独楽と呼ばれているものです。イギリス人のチャールス・ベンハムが作った独楽で、表面に白黒の柄が描かれています。見る人によって色は異なりますが、独楽を回すと淡い色が現れます。網膜の錐体が赤、青、緑に応答して・・・」

 突然電話が切れた。電波が悪くなったのだろうか。何回かかけ直したが繋がらなかった。

 その日の夜、僕は夢を見た。彼女と独楽の少女が海辺で遊んでいた。波が寄ってくると逃げ、引くと追いかける。僕はそんな光景をカラー映像で見ていた。色を失ってから夢までモノクロになっていたので、カラーは久しぶりだった。彼女の水色のスカート。少女の黄色いワンピース。木の茶色と葉の緑色。海の濃い青と夕陽の鮮やかオレンジ。僕は生きている。そんな心地がした。

 翌日、再び先生に電話をした。

 「昨日はすまなかった。どこまで話をしたっけ?」

 「網膜の話です」

 「そう網膜。人は普通、視界の端にある色は判別できません。網膜の色を検知する細胞は錐体という中心に集まっているからです。視界の端に突然クレヨンを持っていっても、誰も色を答えられません。正面から徐々に持っていくと分かりますが、それは脳が補正しているからです。目の神経は何本あるか知ってますか?」

 「分かりません」

 結論を早く聞きたかったのですぐに返事をした。

 「百万本の神経があります。すごいと思いますか? 実はそうでもないんです。いまどき百万画素のデジタルカメラなんて売ってないですよね。でも世界はピクセルアートのようにカクカクしていない。脳が補正しているからです」

 先生は少し間を開けて続けた。

 「あなたの目は錐体に傷がついています。それは最初の検査で分かりました。外傷なのかもしれないし、遺伝的なものなのかもしれない。原因は分かりませんが、傷がついていることは確かです。問題は右目にしか傷がついていないところです。左目は正常です。それにもかかわらず色彩失認症を発症した。日本でも同じ症例が一件だけありますが、原因は分かっていません」

 煙草を吸っているのだろうか。先生は長く息を吐いてから話を続けた。

 「もともと色は光の物理的な特性ではなく、人間の感覚です。目から入ってきた光に対する大脳の反応です。そこで私はある仮説を立てました。脳が何かの理由でモノクロに補正しているのではないか。脳が意図的に可視光線を遮っているのではないか。そういった仮説です。ただし、問題があります。私の仮説を立証するには、あなたの脳を取りだして電極を当てる必要があるのです」

 僕は黙っていた。

 「冗談です」

 先生は前と同じように大きく笑い、退所したら連絡するように言って電話を切った。先生の冗談は一ミリも笑えなかったが、独楽に色を見たことで僕の中の何かが変わうとしていた。

 僕が療養所を出る少し前に、彼女も退所していた。僕は神戸に住み、彼女は浜松に戻った。何回か行き来したが、メールの回数は徐々に減った。遠距離のせいではないと思う。療養所の外、つまり現実の世界に戻るとお互いのズレを少しずつ感じるようになったのだ。あれほど好きだったのに、結局遭わなくなってしまった。

 冬が終わり、春が来た。僕は先生と一緒にピンゲラップ島を訪れた。これほど遠い島に足を運ぶとは夢にも思っていなかったが、同じ症状を抱えた人に会えるなら危険を冒しても来る価値はあった。先生も調査をしたがっていたので、二人の利益は一致した。

 島の人口は老若男女合わせて三百人ぐらいで、その内の三割が全色盲だった。僕と違うのは、彼らと彼女らは眼球が小刻みに揺れていたところだ。また、生まれたときから全色盲のため、色の概念を知らない。透き通るような青い海も鮮やかな魚の色も、一度も見たことがない。

 先生の調査により、島の全色盲の人たちは眼球から錐体視細胞が無くなっていることが分かった。錐体視細胞は明るいところで細かい物や色を知覚する細胞だ。片目だけなら僕と同じように脳が関係していたかもしれないが、島の人達は両目の細胞が無くなっていたので、純粋に目の病気である可能性が高かった。

 島には一ヶ月ほど滞在した。全色盲の人達はいつか失明するのではないかと心配していたし、自分の子供に遺伝することを恐れていた。だが、彼らと彼女らは全色盲と長く寄り添ってきたせいか、特殊な病気という感覚は薄いようだ。大人も子供も総じて明るかった。

 島を離れる前日、先生と僕は島の人達に別れの挨拶をして回った。挨拶を終えて海辺を歩いていると、先生が何気なく呟いた。

 「夕陽が綺麗だ。濃いオレンジ色かな」

 僕は海を見た。おそらく綺麗なオレンジ色なのだろう。太陽の影が海に映っている。色はなかったが、以前と違って波に反射する光沢が想像できた。僕は何かが引っかかったが、そのまま先生と宿に戻った。夜、空を見上げると春の大三角が見えた。色を失くしてから初めて見る星だった。

 日本に帰って僕は再び写真を撮り始めた。世界は相変わらずモノクロだったが、グレースケールの目盛りが増えたようだ。同じ灰色でも細かい違いが分かるようになった。僕の脳は徐々に新しい世界に適応している。

 逆さメガネと同じ原理なのかもしれない。逆さメガネをかけると世界の上下が反転するが、しばらくメガネをかけたままにしていると上下が元に戻るそうだ。反転していると都合が悪いため、脳が自然と補正しているのだろう。

 あの先生のお陰で本をよく読むようになった。逆さメガネも脳科学の本の中に出てきた話だ。本はいい。直接関係がない知識でも、物事の原理を知っていると別の分野で繋がることがある。読んだ直後は役に立たなくても、時間が経つと繋がることがある。

 写真は徐々に売れ始めた。人より多くの灰色が区別できるため、より繊細なモノクロ写真が撮れるのだろう。被写体には色がないほうがいいのかもしれない。普通の人は緑色で書かれた「青」という文字を見ると、文字の色も「青」と答えてしまうことがあるが、僕にはそれがない。

 独楽に色が見えたことについては、今でも原理は分かっていない。白と黒は彩度がゼロだが、条件が揃うと色が現れる。その代表がベンハムの独楽だ。見える色は独楽に塗られたパターンや回転速度、方向や照明によって差が生まれる。見る人によっても差が出るが、その差がなぜ生まれるのかは分かっていない。

 僕の右目は錐体が傷ついているので、原理的には色が見えないはずだ。それなのにベンハムの独楽を回すと色が現われる。正常な左目を閉じて、右目だけで見ても色が現れる。ここに僕の症状の秘密が隠されている気がして最初は躍起になって調べたが、次第に気にならなくなった。

 先生が六甲山の療養所を紹介した理由が、今では何となく分かる。独楽の出来事は偶然だったのだろう。それよりも先生は自然体で生きろと言いたかったのだ。ユクスキュルの環世界を理解できなかった僕に、自分の世界を持つことを体感させたかったのだ。

 あれから十数年経った。ある日僕は、港の雑貨屋で変わったコーヒーカップを見つけた。カップの内側にスプーンのホルダーがついていた。これならスプーンは回らない。でも鼻に当たったほうが可愛いいか。懐かしくなり口元が緩んだ。僕はコーヒーカップを手に取ってレジに向かおうとしたが、娘から映画が始まる時間だと呼ばれ店を出た。

 相変わらず色はないが、自分だけのモノクロ映画も悪くない。

(了)

参考文献
 森田療法 岩井寛
 進化しすぎた脳 池谷裕二
 生物から見た世界 ユクスキュル、クリサート
 色のない島へ オリヴァー・サックス
 赤を見る ニコラス・ハンフリー
 色覚のメカニズム 内川恵二
 よい色の科学 近江源太郎

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