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もはや体育会系は武器でない

こんにちは。今回は「体育会系はもはや武器ではない」というテーマについて、自分の独断と偏見で書き綴っていきたいと思います。


とその前に、

社会人の方は学生時代何かスポーツをやっていましたか?
学生の方は何かスポーツをやられていますか?

私は高校までサッカーをやっていて、インターハイと選手権にも出場しました。それに加えて、一般入試で関関同立に合格しました。

先日、中学の同級生に久しぶりに会った時に、言われました。
「お前の経歴、結構すごいな」

そう言ってくれて、ありがたいのですが、実はそんなことまったくないです。しかもそれは過去。

現在、私は劣等感を覚えながら、過ごしています。
というのも、物凄く、自分の力不足を感じているからです・・・

では、なぜ私が力不足を感じているのか?今回はそれについても少しまとめたいなと思います。

考える力がない🟰無能扱いされる

言語化能力が低い人は評価されない

自分の考えを相手にうまく伝えることができない・・・
言語化する力が圧倒的に不足している・・・

これは私が力不足だなと感じた一つ目の事です。

今までは、学校の友達とわちゃわちゃ面白おかしく、話をするだけでした。
そのため、自分の考えをしっかり言語化することの大切さにまったくと言っていいほど気付いていませんでした。

しかし、いざ長期インターンに参加する、営業のバイトをすると、
いかに自分の言語化能力が乏しいのかを思い知らされました。

自分の伝えたいことがうまく伝えられない。

伝えられないというより、伝わらない。

なぜうまく伝わらないのか?
自分なりに考えてみると、主に2つあります。

1つ目は、圧倒的に経験が足りていない。
バリバリの企業で働いている上司に作業の報告をする、意見を求められる。
この場面で自分が恐縮してしまいます。自分が発言することにビビっているという言い方の方が正しいです。

これは慣れ親しんだ家族、友達以外の人に自分の意見を伝える機会が足りていないからです。

2つ目は論理的に言葉を発することができないからです。

例えば、本を読む大切さを子供に説明するとしましょう。
その子供は本を読むことの大切さをわかっていません。
皆さんならどういう風に伝えますか?

パターンA
「本を読むと頭が良くなるよ。頭がよくなったら、将来お金持ちになれるよ。だから本を読むことは大切だよ」

パターンB
「本は読むことは大切だよ。本を読むことで、色々な学びを得ることができるんだよ。
例えば、本に書いてある著者の主張、これは著者が、これ大切!って思ったことを僕たちに本を通して教えてくれているんだよ。
だから、本をたくさん読むことで、自分より経験豊富で頭の良い人から、大切な事を学べるんだよ。
頭が良くなると、その分、将来お金持ちになれる確率も高くなるんだよ。
これは様々な研究で証明されているから、信憑性が高いよ。
お金持ちになった方が人生の幅が絶対に広がるからね。
だから本を読むことが大切なんだよ。」

パターンBのようにしっかりと意味が繋がるように伝えることが大切です。
○○だから、△になるよね。△になるから、これは■になるよね。だから結果的にこういうことでしょ。

上記のように、論理的に自分の意見を伝えることが大切になります。
それも一瞬で頭の中で、筋道を立てて発言しなければいけません。

一見すると、パターンAでも良さそうです。パターンAでもBでも内容は同じです。本が大切だということ。

しかし、パターンAは飛躍しすぎています。なぜ本を読むことが大切なのか、なぜ本を読むと頭が良くなるのか、なぜ頭が良くなるとお金持ちになれるのか。

私たちは本を読むことの大切さを潜在的に理解しているので、パターンAでも問題なく理解できます。

つまり、友達と話すだけなら、パターンAでも問題ないです。
ただし、これが仕事になってくるとまったく違います。

ましてや私が長期インターンに参加している企業では通用しません。
コンサルティング業界で初めて上場した企業ということもあって、中学校、高校から勉強してきているような高学歴の人ばかりです。

そんな中、意見を求めれたとき、自分だけパターンAのような回答をしてしまう・・・
なんとも恥ずかしい状況になります。
しかし、私の場合はパターンAでもありません。
パターンCというべきでしょうか(笑)

パターンAに加え、「えーっと、そのー、あのー」を繰り返す始末。

本当に恥ずかしい気持ちになります。
周りに旧帝大、難関大の人がいる中、自分だけ顔が男梅くらい赤くなります。

言語能力が足りない。これは私がぶつかっている一つ目の壁です。

文章力の差ができる人、できない人の差

「学歴があるのと仕事ができるのは関係がない」などとよく言われますが、
例外の人を除いて、学歴と仕事ができるはおおよそ比例していると言えます。

なぜかと言えば、学歴が低い人は、文章を書く経験が圧倒的に足りていないからです。
そして、この文書を書く能力は仕事をするうえで、大切なスキルになります。
仕事において、例えば、企画書を作成する、メールを送る、議事録を書く、マニュアルを作成する、日報を書くなど、文書を書く機会はとても多いです。

そのため、文書を書く訓練をしていないと、
やはり、仕事がスムーズに行えなくなります。


文章を書く力が大切だということは先述しましたが、
ではなぜ文章能力が学歴に比例するのでしょうか?

結論から言えば、それは訓練量の違いです。文章を書いた経験の数ともいえるでしょう。

例えば、とても分かりやすいのが、国公立入試を経験した人、私立専願の人、受験を経験していない人です。

国公立入試を経験した人は、基本的に記述式の問題を解いています。
つまり、文章を読んで、自分でまとめることが求められてきました。
そのため、文章を自分でまとめる訓練を自然と受けてきました。

私立の試験を経験した人は基本的にマークシートの試験。
つまり、文章を書くというよりも、文章を読んで、答えを選択肢から選ぶことがメインです。
(文章を読んで、4つの選択肢があれば、絶対これは違うなという問題を2つくらい消去法で消し、残り2択を少し考える程度です)

入試を経験していない人は、そもそも文章を読んだり、書いたりすることが求められていません。

まず、この3者で経験が違います。
訓練してきたレベルが違います。
皆さんをご存じだと思いますが、
文章を読むこと、
文章を理解すること、
理解した文章を自分でまとめること、
上記3つの行為でも、脳への負荷の掛かり方が異なります。

この積み重ねが文章力のある人かそうでない人かの違いを生み出します。

このような理由で、文書力と学歴は比例すると言えます、
また学歴の有無と仕事力が比例するとも言えます。

これが私がぶち当たった2つ目の壁です。

ちなみに私がnoteを始めた理由のひとつも上記のそれが理由です。


「もっと考えてみて」はNGワード

私が長期インターンで上司に言われることNo1
「もっと、しっかり考えてみて」

何回言われたでしょうか(笑)

恥ずかしながら、私は物事をしっかり考えた経験が圧倒的に足りないです。

表現の仕方は難しいですが、
ここで言う「しっかり考える」とは、
熟考するとか、頭がもげるくらい考えるとかのレベルです。

本当に言い方は難しいのですが、
イメージで言うならば、目の前に扉があって、扉の奥には何が広がっているのか?、またその奥には何が広がっているのか?、その奥はどうなっているのか?を根拠を持って考えるみたいなイメージです。

ちょっと何を言っているかわからないですよね(汗)



例を挙げると、下の写真を見て、
何人住んでいるのか、どういう人が住んでいるのか、どこの地域なのか、世帯年収どれくらいなのか、部屋の内装はどんな感じか、
そもそもこの写真は何なのか?なぜわざわざ夜に撮られた写真なのか?
なぜ他の家は電気がついていないのか、家の前はどうなっているか、
などを深堀って考えるみたいなイメージですかね。

例えば、屋根が平面状やから、雪が降らない地域なのかな?
タイヤのドラフトの跡が両面にあるから、車2台持ちなのかな?
2台持ちやったら、共働きかな?
それやったら、世帯年収は高いかな?いや、でも田舎で車が必須だから、2台持ちなのかな?確かに土地が大きいから、田舎の可能性高いかな?
じゃあ、田舎で雪降らないところかな?
これは秋から冬に撮られた写真かな?
葉っぱが枯れてるよな?他の家が電気付いていないのは、まだ仕事から帰宅していないからかな?冬くらいやったら、6時くらいでこれくらいの暗さかな?じゃあまだ仕事から帰ってないよな?
でも、なぜ車が無いのに電気ついてんねんやろ?
などなど・・・



上記の内容が合っているかは定かではないですが、
こうやって自分で考えることの回数が少ないので、
上司に「もっと、考えて!」と言われてしまいます。


物事を真剣に考えた経験について、思い返してみれば、
情けないことに自分の進路をどうするかくらいです・・・

私は高校までサッカーをやっていました。
そのため、どうやったら、試合に出れるのか、自分に何が足りていないのか、などを考えて、練習することはありました。
しかし、熟考するレベルで考えたことはありませんでした。

そのため、現在苦労しているのが頭がもげるくらいしっかりと考えることです。

では、熟考することが大切だと言いましたが、
頭で考える力、(発想力?と表現するでしょうか)
この力はどうやったら身につくのでしょうか?地頭なのでしょうか?

先に答えを言うならば、これは訓練で、どうにかできる問題です。
と言いたいです。(笑)

そして、もし本当に地頭を良くしたいのなら、訓練をして脳へ負荷をかけ続ける必要があります。

日々、物事について深く考える癖をつけるのが良いです。
例えば、先ほどの例を挙げると、街中を歩いているときに、この家の人はどんな人なのかを深堀って考えてみる、ご飯を食べに行ったときに、店の売り上げを考えてみるなどです。

これは私が尊敬している経営コンサルタントの人が言っていた訓練の方法ですが(笑)

熟考する、これが私がぶち当たった3つ目の壁です。


体育会という武器を活かすために

日常生活から「なぜ」を深掘る

学歴が高くなくても、仕事で求められる人はいます。

そのような人に共通していることは、考える力があるということです。

逆に考えることができない人、考えが浅い人は、頼りにされる機会が少なくなります。

頼りにされない=信頼されていないことの表れです。

信頼されないというのは、非常に悲しいですよね。

そうならない為にも、日頃から考える「なぜ」を深堀って考えることが大切になります。


行動力×熟考力=?

スポーツをやっていた人、今やっている人は、普通の人よりも行動力があります。馬力があります。
それは間違えなく言えます。
それに加えて、熟考力を鍛えることで、誰にも真似できないような人になれると思います。

そのためには前述したとおり、日頃から、考える癖をつけることが大切になります。
より高いレベルを言うのであれば、考えるに加えて、考えたことを他者へ伝える機会があれば、もっといいです。


まとめ

今回は「体育会系はもはや武器ではない」というテーマについて自分の独断と偏見を書き綴りました。

なぜこのテーマにしたかと言えば、私が現在この壁にぶつかっているからです。

しかし、実はタイトルに「体育会系」という言葉をつけることには少し躊躇していました。

なぜかと言えば、本当の体育会系の人に失礼かと思ったからです。
大学4年間という自由な時間をスポーツに捧げ、高みを目指す。
自分の時間を惜しみ、日本一を目指して日々精進していく。
それは価値があり、素晴らしいです。

それにも関わらず、自分のように高校までしかサッカーをやっていない分際が「自分は体育会系だ!高校の時には全国大会に出たぜ!しかも一般入試で関関同立にも受かったぜ!」
みたいな低俗な事を偉そうに言っていいのか、失礼ではないかと思っていました。

しかも正確に言えば、私は大学の体育会系の部活には所属していないので体育会系ではありません。
ですので、不快に感じられた人に謝罪させてください。

ではなぜ体育会系という言葉を使ったのかと言えば、
それは、興味を持ってもらえるタイトルにしたかったからです・・・
(ホンマにすいまへん😢)

しかし、私が伝えたいことは一つ。
体育会系の人のポテンシャルと、もっと考える力を養えば、
みんなが羨ましく思う、素晴らしい人間になると思います。

偉そうに言って申し訳ないですが、
今回取り上げたことは、本当に私が苦労していることです。

もっと高校時代に勉強しとけばよかった笑・・・

今回は以上です。ありがとうございました。

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