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自分が好きになる曲をつくる方法【DTM初心者向け】


僕は音楽を作るのが結構好きだ。

普通に働いて帰ってきてPCの前に座って作曲をする。作曲をすることで得られる物理的なものは本当に何も無い。
ただ、精神的な側面で言うと代え難い充足感がある。

今まで自分が作ってきた曲リストを眺めて「気付けばこんなに作ったんだなぁ」と感慨にふけるのも大好きだ。こんなに、と言っても人から見れば大した数では無いが。

そんな僕だが、少し前は作曲がめっちゃ嫌だった。自分の納得するような、例えばKing Gnuだったりadoだったりあいみょんの様なクオリティにならなかったからだ。
もちろん今でもなってない。

けれど、作曲のやり方や考え方を少し変えただけで見違えるくらいに楽しくなったので、今日は「自分が好きになれる曲」を作るやり方を書く。
クオリティが高い曲の作り方では無い。あしからず。


①コンセプトを重視する

やり方のその1にして究極は正にこれだ。
音楽を作る時に「手法」ではなく「コンセプト」をしっかりと意識することである。

僕も作曲を始めたての頃、YouTubeのチュートリアルを見まくって真似しまくった。
「バズる曲の作り方」「YOASOBIみたいな曲の作り方」「アイドルソングの作り方」などなど引くほど見た。泣き腫らすくらいは見た。

で、真似する。上手くいかない。意味が分からない。でも他に寄辺が無いから真似して作る。上手くいかない。

とにかくこのサイクルを繰り返した。それでようやく出来たものは、なんだかモヤモヤしてて低音質で聞きにくい上に自作曲って実感すらも湧かないような全身借り物ソングだった。

最初はそれでも「なんかオモロいかもしれん」となってはいたものの、3曲目くらいからキツくなって辞めた。自分だけのオリジナル曲だ!と胸を張って言えない2.5曲くらいだけが残った。

さて、この時の僕の間違いはズバリこうだ。
人の手法を血肉にするのでなくて、まるまんまコピーするような方法を取ってしまった事である。

音楽制作の素晴らしいところは世界に一つの曲を作れるところなのだから、そこを大事にするべきであったのだ。

「作った結果人の物に似てた」なら全然良いのだ。
「人の物を並び替えただけ」なのが良くないという話なのである。
これは結果として全く同じ曲が出来上がったとしても前者の方が圧倒的に好きになれる。

作曲の充足感に他人がどう思うかはあまり関係が無い。自分がどう思うかが一番大事。


とはいえ、僕ら初心者は足がかりが無いと曲が作れない。チュートリアル内容を即血肉に出来るような知識体系も無い。

そこでYouTubeの講座ではなく自分のやりたいコンセプトを足がかりに曲を作ろうよ、という話なのだ。
注釈を入れておくがYouTubeの講座を見たり真似したりするのが悪い、ということでは無い。
あくまで自分が好きになれる曲を作るという観点に於いての話である。
僕は今でも講座見て真似してたまに泣いてるよ。


コンセプト、とざっくばらんに話したが言い換えれば「その曲が表現したいテーマ」である。

例えば嫌な思い出についての話とか、未だに仲良くしてる友達についての曲とかでもいい。X上では『深夜の2時間DTM』というお題に対して曲を作る企画を定期的に開催してるアカウントもあるが、そこのテーマを使っても良い。

とにかく『この曲が伝えたいこと』をちゃんと固めよう。
ちゃんと固めれば、メロディに行き詰まった時やどの楽器を入れれば良いか分からなくなった時に、設定したコンセプト自身がヒントをくれる。

このコンセプトだが、手法に関するテーマは基本的に控えた方がいい。ドラムがカッコイイ曲とか、シンセサイザーがいっぱい鳴ってる曲みたいなテーマのことを指す。
そういうのは中・上級者の遊びだ。初心者の自覚があるならばやめた方がいい。理由もある。

手法をテーマにすると、評価する対象がどうしてもクオリティになってしまうのだ。「カッコイイリズムの曲」の第一評価基準は「どれだけリズムがかっこいいか」になる。文字にすれば当たり前の話だ。
クオリティ向上を心がけるのはとても正しいが、やはり心の力を消費してしまう。

雰囲気や思い出をテーマにすれば、目標は『如何にテーマを表現出来たか』になる。そこにクオリティは一切関係なく、徹頭徹尾自分だけの主観の話だ。だから精一杯テーマを表現しようと頑張れたなら必ず満足出来る。


もし今これを読んでる人で「SNSウケするBPM160-190くらいのエレクトロ系のパワーポップで〜」みたいに細々考えつつ疲れたり病んだりしながら作曲をしてる人が居るなら、一旦この方法を試してみて欲しい。
すっごくラクで楽しいから。

疲れが取れて前向きに音楽と向き合えたなら、またクオリティとか手法とかバズとかをストイックに狙ったらいいのだ。

音楽にしろ私生活にしろ、やりたいことが出来てない状態が一番ストレスなのだから、まずはやりたいことをしっかり固めよう。


②ストーリーを先に練る


これもとても大事なことだ。

なんとなく誰かに言われた通りイントロは綺麗なピアノで始め、バンドが入ってきて、シンセがピコピコやって、拍頭でベルを重ねるみたいなことを先に考えてるなら、一旦やめよう。

先に考えるべきは①で書いたコンセプト、それを表現する為のストーリーだ。

ストーリーというのは何も叙情的でドラマチックな歌詞を書け、ということでは無い。
もっと根本的に1曲のダイナミクス的な展開を考えろという話である。これもなんか言い方が難しいな。

要は、
イントロ(静か)→Aメロ(少し前向き)→Bメロ(ちょっとマイナスなこともあるよね)→サビ(ハッピーに楽しく!)
くらいのことを先に考えようってコト。

こういう流れが無いまま手なりで作曲を始め、何処かで聞いたような展開をなぞってもちっとも楽しめない。

先にコンセプトを表現するための流れをイメージし、それを導線にして曲を作れば結果ありきたりなものでもとっても楽しめるのだ。ホントだよ。

この流れを練るという作業が無いと、僕らはとにかく無難でどこかで聞いたようなものを作ろうと躍起になってしまう。だってゴールまでの目印が無いんだもの。いつどこに着くか分からない場所へ旅をするなら、そりゃ手厚く行くに決まってる。

なら先にゴールまでの旅のしおりを作ってしまえば良いのだ。
そうすれば一見ヤバそうな展開を作ったとしても最後には勝ちが約束されている。危なげな展開も狙ってやってるなら問題は起こりえない。

皆も自分語りは好きだと思う。結局、作曲という行為はちょっとオシャレな顔をした自分語りなのだ。ならば話として最低限オチまでは構成を練ろう。
じゃないと自分自身も何を言いたいか分かんなくなる。三次会の僕みたいだな。


③自分ルールを自覚する

①と②の内容を経てもまだ自由になれなかったり、息苦しい人がすべきことは自分ルールの把握だ。
本当に難しい話なのだけれど、自分に無意識のルールが適用されていてそれによって苦しめられているパターン。

いくつか実例をあげよう。
『コードは何かしらの楽器でずっと演奏しなきゃいけない』
『リズムはハイハット、スネア、キックを中心に構築しなきゃいけない』
『メロディはスケールから外れてはいけない』
『ベースは居なきゃいけない』
『MIDIデータは全て規則正しく完璧であらねばならない』
『曲の構成内にはA,B,サビが無ければならない』
『2番か3番まで作らなきゃいけない』

などなど。
だいたいこんなのの中にあるか、近い内容のルールに自分自身が強制力を持たせてしまっていることがある。

そのルール、実は法律じゃないんです。
ただの『よくある手法』のまとめなんです。

そんな「必ずこうやってしまっている」部分を一度見つめてみると自分の中で発展が生まれる。今まで出来なかったりやったことのなかったサウンドが急に飛び出すことも多い。

この無意識下の自分ルールだが、打破しろと言ってる訳ではない。「アタイにゃこんな癖があるんだな」と分かるだけでいいのだ。
分かっていれば、そのルールを使うか使わないかの選択が出来る。ルールを把握していなければそもそも使用、不使用を選べない。

僕はこの世の嫌なことの大体は『自分に選択の余地が無いこと』だと思っているので、無意識ルールを把握して選択する権利を手にしよう。



ということで、ここまで『自分が好きになれる曲の作り方』を書いてきた。
もちろんこの記事の内容を試してみるのも試さないのも選択の自由だ。

とはいえ、皆が何かに縛られず楽しくのびのび作曲出来たら素敵やね、と僕は思うのです。

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