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余計なことをしない

「余計なことをしない」
2017年に朱で書いたもので、その時もある事柄に対して余計な口を出してしまったことを後で反省をした。

それから7年。またも、またしても余計なことをしてしまったようで、結局自分の気分が恐ろしく悪くなってしまうのだ。途中興奮して上品とは言えない言葉が登場するのでそれが嫌な人はここで読むのをやめていただきたい。何だか本当に申し訳ない。

「魔はさすものだ」と昔々同じような目にあった誰かが言って、それにそうだそうだその通りだと納得する人がめちゃめちゃ沢山いて、しかもそれが全く途切れることなく居続けた結果、科学の進みに進んだ現代社会になっても未だにそれが言い継がれている。何年たっても何代入れ替わっても人間自体はまったく進歩しないという証拠になるだろう。論文を書こうと言う人がいたら書くとよい。マージンは要らない。

ささったときにどんな音がするのかは残念ながら分からない。”ぐさっ”だか”ぶすっ”だか、それとももっと高い音なのか低い音なのか、確かに鳴っただろう音を思い出せはしないが、とにかく魔は正式にしっかりと俺をさした。しっかりさされたのに血はまったく出なかった。不幸中の幸いとはこのことなのだろう。勉強になる。

さて今回の事件?!はこうである。
好きでいつも楽しみにしているYoutubeのコンテンツがあって、その動画の中で外国人が箸でつまんだ物同士を”乾杯”とばかりにちょんとくっつける場面があった。つまり「箸合わせ」をした格好になったわけだ。ご存知の通り日本人の食事のマナーに照らせば「箸合わせ」は行儀が悪い。

それで俺はコメント欄に「箸合わせ気になります」と書き込んでしまった。やめときゃいいのに、である。これが今回俺にぶっさりささった魔というわけだ(そうなのか?)。

さあ、これにすぐさま反応する輩がいた。常にその辺をうろうろパトロールしていて、動画に対してちょっとでも否定的なコメントをしようものならすぐに飛んでくる気持ちの悪い連中だ。

俺「箸あわせ、気になります」(いいね8件)
輩「誰から見ても完璧な人間なんていません。自分が周囲に許容されて生きていることを認識すれば、他人にも寛容になれますよ」(いいね1件)
俺「子供の頃祖母に注意されたので「気になる」って書いただけなんですけど気にしても書いてもいけなかったんですかね。とても怖いです。」(いいね3件)
輩「寛容になれますよと書いただけなのに怖いと言われる方が怖いです ヒステリック」(いいね1件)
俺「怖いと書くのも許さないんだ。怖すぎる。」

これを見て皆さんはどうお感じになるだろう?
誰とも知らないこの輩のこの最初の言い草は何だろうか。俺は「気になる」と書いただけだ。それが良いとも悪いともどうしろともこうしろとも言ってはいない。気になっただけである。

俺のことをどこの誰だか何一つ知らず、俺の言葉の背景に何があるのか、全く何の知識も情報もないのに、大上段から「寛容になれ」とはいったいどういうことだろう。どうしてこんなことを言い放てるのだろう。

そして「子供の頃祖母に注意されたので「気になる」って書いただけなんですけど気にしても書いてもいけなかったんですかね。とても怖いです。」と反応した俺の言葉の問いの部分は”完全に無視”して「寛容になれますよと書いただけなのに怖いと言われる方が怖いです」と話をそらし「ヒステリック」と罵声を浴びせる。根拠もないのに否定だけし、論破されたらキィーってなるあっちの人と全く同じではないか。

もしこいつ(←「彼」とするのが正解なのだろうが、それはちょっと無理だ。申し訳なく思う)が最初の書き込みで俺を諭して良いことをしたと思っているとすれば、それはとても恐ろしいことだ。「怖いと言われることが怖い」と感じているということは、俺がどうして怖いと思っているのか分かっていないということになるだろう。

気にしてもいけない。気になったことを書いてもいけない。怖いと思ってもいけないし、それを書いてもいけない。とすればこいつがやっているのは明らかに言論の封殺である、にもかかわらずそれを良いと思ってやっているんだとしたら(分かってやっているにしても分からないままやっているにしても)自由主義の社会では怖い以外の何物でもない。

日本人は反対意見を言う人を許さない傾向にある。そう感じることはよくある。敵とみなすと言ってもいい。阪神ファンは巨人軍のことが大嫌いだしその大嫌いなチームを応援している巨人ファンのことも嫌いだ。決して相容れない。「あの人は巨人ファンだけど、とってもいい人だよ」なんて話を阪神ファンがするところを聞いたことがない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のである。

自分と意見が違うものの言い分は一切聞く耳持たず、ものを言うことさえも許さない。それを正義の行為と思い込み信じ込んでいる人間がうじゃうじゃいるっていうのは、俺としては何とも気持ちが良いものではないのであるのである。

ただ、「気になる」という書き込みをして次から事態が改善されればという思いが俺にもあったのなら、”見方によっては”、こいつとやっていることは変わらないのかもしれないと、またもや胸糞が悪くなってくる。

結局のところ俺はバカなのだと再確認する。困ったことにそうなのである。
つくづく余計なことはしないに限るのである。

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