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「空」

なにかしらの理由があってトラウマになってしまった事に対して驚くほど呆気なく封印が解けることがある。

今がまさにそんな時期。これまでどうしてそんなに意固地に過去の自分や周囲を否定し続けてきたのか今となっては苦笑するしか無いのだが、当時は本当に辛くて苦しくてもう二度とやるもんか!と心を閉ざしていた。

きっと誰かに辛辣な批評でも言われたのだろう。あるいは当時の自分の理想が高すぎて自分も周囲もその高みに至れない不甲斐なさが主な理由なのではないかと経験上推測する。

微かな記憶の中におそらくそれがトラウマの原因だろうと思われるものが浮上した。

「生徒作品とプロの作品を混ぜたらそれは『公演』ではなくてただの『発表会』でしょ?そんなものであんな料金を取るなんてどうかしてるんじゃない?」

終演後にどこからか聞こえた声。

生徒の皆に対して誇りを持って送り出した作品だったが冷静に見れば確かに素人芸だったかもしれない。でもその素人芸を鼻で笑わずにパートナーを始め沢山の人達が全力でサポートしてくれた。それはもう『公演』だろうが『発表会』だろうが僕にとってはどうでも良かった。しかし、世間の目は厳しい、それが現実だ。

ある友人は「あなたの作品はバカみたいに分かりやすいからパンフレットに説明なんて要らない。そんな事に体力使ってる暇があったらもっと研ぎ澄まされた世界を見せてほしい。」と言う。察するにコンテンポラリーなどというジャンルに足を踏み入れた僕に対して当時流行りだった抽象的で無機質なカッコいいコンテンポラリーを過剰に期待していたのだろう。期待に胸膨らませて折角劇場に足を運んでくれたのに見せられるものは宴会芸ギリギリの余興ダンスや研ぎ澄まされていないなんちゃってコンテンポラリーばかり。そりゃあ落胆するのも今なら理解できる。

そんな事を旗揚げ公演で経験したら次回からは高級な喜劇だったりド真面目なコンテンポラリーへと路線変更するのかと思いきや、本当に久しぶりに全ての公演を見返してみるとどの作品も見事に同じようなテイスト。

僕の中ではたとえトラウマになろうとも心底では「ナンダコノヤロウ!イマニミテヤガレ!」と悪態を吐いて自分の信じる道を突き進んでいたのだなぁと驚くやら納得するやら。

きっと、先述の感想を聞いて「ああ、僕の世界観はそういう風に受け取られてしまうのか…」と落胆し自分にフィルターをかけてトラウマ化していたかもしれないが、根っこの部分では全身全霊で僕の世界観に寄り添ってくれた仲間達のダンスを宴会芸だとも思わなかったし、西洋人のプロポーションとセンスだからこそ成立する洗練されたコンテンポラリーをそのまま大和民族がやったら借り物でしかなく逆に滑稽だと感じていたので其処には着地しなかった。

しかし、例外が一つだけある。2011年に上演した作品だけは未だにトラウマのままだ。喪失感が達成感を大幅に上回り思い出す度に関わってくれた全ての人達に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

いつかこの公演も素直に楽しく観れる時が来るのか来ないのか、今はまだ分からない。

数日前から始まったアーカイブス鑑賞会が2005年の旗揚げ公演の順番になった。「あぁ、懐かしいなぁ、こんなに皆んな頑張って踊ってたんだなぁ、意外とどの作品も良いなぁ…」などとのんびりと観ていたら、公演前にマスコミに働きかけるために作ったプレスリリースに「第一幕のハイライトナンバー」と書かれた「空」というナンバーで不意打ちを喰らって涙腺が決壊した。それまでの僕の煙たい気持ちを軽く吹き飛ばしてくれて有り難う、とかそういう余計な感傷的な感情はどうでもよくて、画面の中で全身で喜びを表現している14名のメンバーに只々感動したのだ。このナンバーはその頃多忙を極めていたパートナーが「この曲には希望と喜びしかないの。その曲の衣装がショボかったら公演全体が失敗に終わるのよ。だから私が病気になろうがこの曲の衣装は妥協せずに作らせて!」と言って作ってくれた正に「ハイライトシーン」に相応しい衣装と僕がずっと好きだったスペインの歌手Alejandro Sanzの爽やかな曲調がマッチした傑作だった。

そんな大切な事すら忘れていた。いや、色んなものの巻き添えを食って意識下に埋められていた。良い記憶までもそうやって閉じ込めてしまう脳の機能は恐ろしい。

大切なことを忘れないためにも、関わってくれた人達への感謝を常に心に充満させておくためにも、絶対必要なことなので一気に一公演分の動画データをYouTubeにアップロードした。

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