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12月15日『観光バス記念の日』違法バスに揺られてベトナムを旅した記録

大正14年の今日、日本初の定期観光バスが運行を始めたそうです。その名も「ユーランバス」。ここれは「はとばす」の前身だったようです。
当初のコースは、皇居前—銀座—上野 だったそうです。THE 東京観光!というルートですよね。


正直私自身は、日本に居て観光バスに乗る機会というのがほとんどなく…
それこそコロナ禍になる前は年に1,2回の海外旅行が趣味だったので、異国の地での移動手段として観光バスを重宝していました。

一番印象に残っているのは、ベトナム ダナンからフエという遺跡の街に向かうバス。観光バスと言って良いのかわかりませんが、バスターミナルに向かうと、下調べしていた相場よりもうんと安い金額でフエまで連れて行ってくれると二人組のおじさんに言われついて行くと、案内されたのは10数名乗りのロケバスのようなバスでした。

乗っているのは私たち以外、現地のお客さんばかり。補助席も出してまぁ12,3人が乗っていたでしょうか。

そのままバスは出発。冷房もそこそこの効きでしたが、まぁ2時間は我慢できるかなという程度でした。

しかし、数十分走るとバスはバス停でもないところで停車しお客さんを乗せます。それを繰り返すこと数回、2シートに4人がすし詰め状態で座り、補助席が付いていないシートとシートの間にはお手制クッションを挟みこんで座席を作り、人は増えに増え、最終的には30人くらいの乗客が乗っていました。

空調も効きがイマイチな上に圧倒的な人口密度。ジワジワと汗をかきながら、窓を全開にして外の景色を見て気を紛らわせていましたが、さすがの状況に数名の現地人もリタイアして途中下車していました。
しかし、我々は降ろされたところで自分たちはどこにいるのやら、一方で本当に目的地まで連れて行ってくれるのか?という不安も抱えながら、降りたいという意思表示もできずに、ただじっと2時間半の道のりを耐えました。

そしてついに、それらしきバスターミナルに到着。やっとの思いで下車すると、街の中には石造りの堀や壁がそびえ立っていました。

グエン朝の王都として75年くらい前まで首都が置かれていた街。仏教であるにも関わらず、ところどころヨーロピアンな造りの寺院や色鮮やかな王宮は、スマホの画面からは想像できない迫力で、帰りには行きに味わったバスでの苦い経験も笑い話に変わっていました。

たくさんの乗客の期待を背負って走る観光バス。
今思えばあんなギュウギュウで熱気ムンムンのバスも、私にとってはこんな風に明るい光を放って走る観光バスたのかもしれません。



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