『わたし』に成る。

わたしは自分で言うのもどうかと思いますが、会社では優等生と思われていて、何でも出来ると思われていて、色んなお仕事を任せて頂いたり、沢山の上司や後輩に頼って頂いたりしています。

けれど、たまに、いつも助けて貰える人、それを許されている人が羨ましいとも感じでしまうことがあります。 

わたしが同じ事をしたら、きっとがっかりされてしまう。呆れられてしまう。

でも優等生なら周りを助けるのは当然で、出来る人だから面倒を見なくていい、と思われるのも当然で。

だから、自分もたまには、小さなことでも助けてほしい、甘やかされたい、とはとても口にできません。

それがたまに、辛くなるのです。

人に頼るのが上手くて、その部分も含めて愛されていて、そんな人を、妬ましく感じてしまったり、隣にいるのが辛く感じてしまう時があるのです。

でも本当は、わたしが考えてるよりずっと、わたしの周りの人達は優しいです。懐が深いです。

だからきっと、甘えて泣いても、許してはくれると思います。がっかりだって、きっとしません。そんな人達では無いのです。

わたしが怖いのは、信頼できていないのは、『優等生でいないとみんなから嫌われてしまう』という自己肯定感の低さを持ってる、わたし自身なのです。

がっかりするのも、周りではなく、わたし自身。

わたしはこの会社に転職して、しばらく経って、尊敬する今の上司に出会いました。

この人の助けになりたい。頼られたい。
カッコいいと思われる社会人になりたい。

そう思ったから、元々何のスキルも持たなかったわたしは自分なりに沢山努力して、出来ないことも出来るようになって、皆がやりたく無いことも率先してやって、どんな仕事も絶対手は抜かないで、身だしなみもいつもキチンとするよう心がけて、全て当たり前の事だけど、その当たり前を常に行うことを意識してきました。

だからこそ、尊敬する方にも、先輩にも、後輩にも、信頼して頂けている今があります。

今更『甘えたい』という理由で、できないフリをしたり、怠けたりしたら、一瞬は安堵しても、きっと後から自己嫌悪で死にたくなる。

頑張って頑張った自分を、自分で傷つけることになる。

『なりたかった自分』を、自分で否定することになる。

それこそ負けで、それこそ悔しい。

本当に素晴らしい人は、自分の仕事をきちんとこなしつつ、周りにもきちんと頼る事ができる。
頼ることは、信頼でもある。

わたしも、尊敬してる人に頼られたら嬉しい。それは、その人に沢山助けられたからでもある。

だから、わたしも『湊さんに頼ってもらえて嬉しい!』と思われる人になりたい。
その為に、困っている人には、手を差し伸べられる人でありたい。

妬みとか羨ましいとか、そういう気持ちを消すことはできないし、隣にいるのが辛くても、仕事だから離れられない人もいる(離れられるなら離れるのが一番だと思ってます)。

そんな気持ちに負けそうな時は、目指した自分を思い出して、負けずに、踏ん張りたい。

妬みも、羨みも、負の感情を、わたしは悪いこととは思いません。多分、それは、様々な人間同士、お互い様であるから。

けれど、それに囚われたくはない。

人や、物や、固定概念や、感情。
何かに囚われると、自分で自分を囲う檻を作ってしまう。動けなくなってしまう。

囚われ続けると、外に出るのがどんどん怖くなって、いつか、檻の中にいることこそが、自分を守ることだと思うようになってしまう。

そして自分を守る為に、色々な人やモノを傷つけてしまう。そうなりたくない。

囚われさえしなければ、自分だけは、自由に変わっていける。

他人は変えられない。
自分は変われる。

だから、少しだけ落ち込んだり、叫んだりして、大きく息を吐き出したら、今度は大きく息を吸ってその全部をエネルギーに変えて、勇気を出して立ち上がって、檻の外に出たい。

変わることは、自分に『成っていく』こと。
自分が、かたちづくられていくこと。

いつか、自分で自分が誇れるように。
少しずつでも、そんな自分を好きになれるように。

そんな風に、今日も不器用に、なりたい自分に、なっていきます。


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