貧困家庭はそもそも活字を読まないbyさて、皆さんはどう考える?


 国語力、という話なんだが、若い子とか語彙が少なくてヤバいんだが、まぁ、本を読まないからね。おいらは本を読むのが好きで、小学校の図書室にあった本格的な「マーク・トウェイン全集」でかなりマニアックな小説まで読んだりしたんだが、あれは面白かった。自伝的なエッセイで、「ミシシッピの生活」というのが面白かった。トムソーヤの探偵・探検とか。
 こうしたことから、親が意識を持って国語力を磨かせようとする家庭と、そうでない家庭では、育った子どもの国語力に明確な差が現れます。私はこれを国、語力をめぐる「家庭格差」と考えています。 家庭格差の上層の子どもは、豊饒な言語空間で育ち、豊かな想像、思考、表現が可能になり、複雑な社会を生きる力を身につけることができます。グローバリゼーションの中を生き抜ける若者は、そういう者たちです。 一方、下層の子どもは、適切な言葉が身についていないために、さまざまなところで壁にぶつかります。現代を象徴する問題――コミュ障、陰謀論、ヘイト、孤立は、そういったところで起きています。今の子どもたちが直面しているのは、こうした生きる力としての国語力の脆弱さなのです。
 江戸時代以降の小説だったら、原文でじゅうぶん読めるので、ずいぶん読んだな。特に戦前の、「変格探偵小説」のたぐいとか、牧逸馬とか大好きで、もっとも自分で書くようになると小説はめっきり読まなくなって、興味を持った分野の専門書ばかり読んでいる。陶芸とか、お茶とかコーヒーとか、どんな分野でも、とりあえず「自分の背丈くらい」専門書を読むと、概略、その分野は理解できる。本を読まない人というのは、興味も関心もないんだろう。
【社会】家庭環境で差がつく「子供の国語力」...下層階級は本を読む機会もなく、コミュ障、陰謀論、ヘイト、孤立に陥りがち
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お前らか!
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ネトウヨのことか。教養もくそもねーからな、あのジジイども
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どんなに貧乏な家庭でも一切努力しません、でもお金は欲しい。望むのは自由ですが無理ですね。
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家庭環境悪くても図書館で本ばっか読んでる子普通にいたが、今は居ないんか。小学生が学校で、スマホばっかいじってるとかあるの?まさにスマホ脳だな。
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貧困家庭はそもそも活字を読まない、だから貧困という。知り合いのシンママは、自分の名前以外の漢字をほぼ書けない(おそらく軽度知的)し、その子供が活字に触れる機会なんてないよね。ほんまかいな。これは重症だろ。
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大人でも句読点が使えない、長文読めない奴が増えた。
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↑ ネットの長文は、横書きだから詠みにくいよ。小説読み慣れている人は、目の動きが縦に動くのに慣れている。俺も速読で訓練したのは縦読みだけ、あと、行間のスペース狭いだろ。
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↑ 江戸時代の研究でもしてるのかww会社の報告書、資料その他書類、縦書きなんて存在しないんだが
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本を読まないじゃなくて読めない、ってのがあんだろな。
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うっせぇわ
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共働きで、爺さん婆さんに面倒見てもらってる甥っ子は、古い言葉や方言使って話すな たまに会話すると知らん言葉話してビビる
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朝日新聞の購読層は高い知性を持ち高収入、高学歴。自称エリートだからな
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↑ そりゃまあ統一の機関紙の産経読む層よりはそうやろうけど、あんなん、便所紙だからな。おじさん世代は受験のために必須な新聞だったし
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インターネットの普及で文字列文化が浸透して、文語と口語の境目が無くなり略語しか身につかないのだろう
さぁ今すぐインターネットを切断しよう!(笑)
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そういや統一とあべちゃん自民がズブズブだって話、半年前だったら陰謀論扱いされてたな。わかんねぇ世の中になったもんだよ
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↑半年前どころか選挙前にN国の黒川が話したのをみんな笑ってた
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普通の公立の小中に通ったが、それなりの大学に行った連中はよく本を読んでいたと思う。自分は大学生からよく読むようになったが
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貧困層は基本的に親が低学歴だからそもそも家に本がない。遊びに行ったらまず本棚を探せば、その家の知的水準がわかる。見せかけもあるが。親がバカなのに子が読むわけねーわ。高学歴高収入の家庭とは、趣味も生活スタイルもまるで違うから二極化はさらに進む。こういうところで差が開く。
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世界名作全集とか百科事典とかどこの家にも普通にあるものだと思ってたからなあ。社会に出てからびっくりした今はもっと減ってるんだろうな
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↑世界名作→青空文庫:辞典→wiki
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読解力が致命的にない障害者だと思ってたけど、単純に頭が弱いだけだった。
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昔の小説家の国語力が高いなどとは、思えないけどな。明治、大正時代の小説は、けっこう、誤字、脱字多いぞ。
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↑ネットも辞書も使わずに長い文章書いてみ。そう考えると凄さがわかると思うけど。今は文字文章校正システムがあるからな。
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なんせ白河の関の意味も知らんやつばかりだからな。中学の時に奥の細道の序文暗記させられただろうに
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誤解を招くかもしれないけど、保育園に預けるのはいけない。昭和の保育園児の自身の経験から言わせれば、
『保育園は幼稚園と違い教育機関ではない』ため、読み聞かせはもちろん、読み書きも教えないため、私は小学校に上がってから必死に読み書きを覚える羽目になった。正直、保育園は子供を疎む親が利用する収容所でしたよ。(ちなみに両親は会社経営者で、それぞれ早稲田・学習院卒)
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↑現代の保育園は預かり時間が長いのを利用して別料金だが園内で体操やピアノ教室をして、外部のスイミングへの送迎もしてくれる。地元の図書館より絵本の蔵書量は多く、就学時の読み書きに関しては幼稚園と大差ないよ。まったく勉強しない幼稚園もあるし、結局経営方針次第。そこはよく見学で話なり聞いたり、内情を調査した方がいい。企業内保育も意外と充実してるもんだ。安いしな。
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金持ちは9割ぐらい読書家だけど、底辺は9割ぐらいが本読まない。これは世界の常識というか事実上の問題。
身の回りみても、Forbesの長者ランキング見ても割とハッキリしてる傾向だわな。いい本棚にいい本、高級雑誌に高級新聞、おもちゃも色々。
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だいたいあってる。ウチの近所のアルファードwwwwに乗っている家族にいたっては、親ですらまともな会話ができていない。関東に住んでいるのに時々、大阪民国語が炸裂する。
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この石井という人の話は俺には該当しないな。親父が無類の本好きで、家にはかなりの蔵書があり、子供の頃から六法全書を手に取ってみたり、買い与えられた本も図鑑とか教育に資するものだけで、漫画も買い与えて貰えない生活をしてた。小中では受験の対策として名作と呼ばれるものは一通り読んだ。夏目漱石とか森鴎外とか遠藤周作とか芥川とか志賀直哉とかね。国語力だって未だにそこらへんの人よりは上だという自負がある。けど、俺は反ワクの陰謀論者だよ。教養のあるものは、陰謀論者や反ワクチンにはならないという何の根拠もない誘導にはレベルの低さを感じざるを得ない。あのしょうもない言説には辟易した。
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毎日5ch見てるから1日でざっと10万文字学習してる、本一冊ぶん。新聞朝刊もそのくらいの量と情報量はあるがね。ものは使いようだ。
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【悲報】ネトウヨ下層階級出身だとバレる
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底辺は、ヤバイよ、キモい、だいたいこの2つの言葉だけでコミュ取っている。
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学童保育で働いてたからわかるわ。親見たら、あっ(察し)だから・見た目が9割というのも穿ってはいない。
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漢字すら読めない宰相が続く愚かな国、、、わかるだろ
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他人の話を聞ける人間になりたいならまず「黙る」ことを覚えようって昔の人が言ってたよ。なるほど、感情の大ダダ漏れの俺にはいい言葉だな。ネットで自分の言いたい事だけを延々とわめいてるやつらには無理だわな。黙ることを知らん。
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今までは陰謀論を鼻で笑ってたんだけどね。つい最近、陰謀論だと言われていた、「安倍は統一教会と繋がってる」、「岸はCIA」、「日本は在日に支配されてる」が真実だと知ったばかりなので、陰謀論だと馬鹿にせずきちんと検証する必要があると思う。良心ある誰かの告発が、陰謀論だとレッテル貼られて相手にされない世の中にならないように。
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コミュ症が教室の隅で本読んでる
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学校にも図書室あるし地域にも図書館あるし最悪スマホで青空文庫も読める。読書の有無に経済力はそこまで関係なくね?
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↑貧乏な地域だと学校の図書室が充実していない(いろんな地域を転校した人はわかると思うけど)田舎ほどしょぼいというが本当か?都会でもしょぼい図書館はいくらでもあるがな。いかに文教面に予算配分してるかがわかる。そして、小中学生が気軽に行ける範囲に、図書館がある奴が一部しかいない、あっても本棚一個とかw子供が誰でもスマホ持てるわけではない。高いんだから。タブレットの学校配布も厳しい。高いんだから。とにかく経済力大切(´・ω・`)。本大量に帰るだけのな。
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確かにこのスレで言われてるように高学歴の方が友達1人も居ない気がするな
読書せずにパチンコしてるくらいの方が友達たくさん居る気が..参ったぜ.
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国産品が満足に食べられない国なんて終わってる。自衛隊に夏は機械使わずにトレーニングとして、農業やらせるべき
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インターネットのない時代と比べて、情報にアクセスするのが異常に容易になって、何でもすぐに答えが出るような気がするんだが、人間、その想像力や知識、経験のないものはググれないw検索能力に差がでる。
 インターネットを使うにしても、基礎的な知識力というのは必要だ。物事を探求するためには、天才以外はある程度の知識の詰め込みも必要。ようはハイブリッドがちょうどいいのさ、パンピーにはな。
飯餅乾焼 | 2022年8月27日 16:32 | 返信
卒中やってしまった時にただでさえ多くなかった語彙力が1/10まで減ってしまって軽く絶望したわけなんですがそれどころでなく、語彙以前に50音すら書けなくなっていて、しかも小学校入る前になかなか書けなかった文字が、今回もやっぱり書けない、というどーでもいいことを思い出して泣き笑いで、語彙がまだ4割程度しか回復してないんですよね。困ったもんです
海底戦車 | 2022年8月27日 16:35 | 返信
千葉県人からnonameへの返信 | 2022年1月18日 18:43 | 返信
▼▲山峡ダム▲▼コロナは発症前後2、3日が最も感染力強いです。私は母と妹で食事してたんですよ。発症の二日前。。。。「うわー、しまった!」と後悔しましたね。ところが幸いにも二人ともセーフ。母と妹は二回のワクチン接種を完了していたのです。ワクチンが感染を防ぐとは限りません。ただ私の家族は感染しなかった。ワクチン接種の目的は自分の感染阻止だけじゃない人に感染させない社会人としては当たり前の事だと思います。お馬鹿なネトウヨにもう一回言うね人に感染させないために俺達はワクチンを打つの
山 峡 ダ ム 最 高 !ぎゃはははははははははははははははは★千葉県人はおかしくなったのか?
茱萸 | 2022年1月18日 18:50 | 返信
ワクチンは感染予防にはならんとこれだけいわれてるのになにゆーとるんや。
 弦巻町 | 2022年8月27日 16:41 | 返信
 知り合いの兄ちゃんが、いまは建築関係の一人親方だが、勉強嫌いだったのか高卒どまりで何となくボキャ貧だが、30になって、いろいろ勉強したくなった、どっか通信かなんかで大学かどっかで勉強したいといっている。 べつにそれで仕事にプラスになるわけではないが、仕事でいろいろ本とか読まざるを得なくなって読んでいるうちに、だんだん本を読んだり勉強したりするのが面白くなってきたらしい。 15、20で本を読まない、言葉を知らない、そのときはしょうがないが、大人になって、いろいろ本を読んだり、勉強したり、できる世の中になれば、それでいいと思う。多少時間はかかるがなんとかなる。
 全然関係ないが、ガキと話しるうちに、こういうのがでてきたので、おまけw
(囚人183号 囚人189号)https://pbs.twimg.com/media/EUFBwdCUEAAvO7X.jpg
(網走刑務所囚人服)https://sampokatze.exblog.jp/31943845/
 のら太 | 2022年8月27日 17:02 | 返信
>グローバリゼーションの中を生き抜ける若者
「グローバリゼーション」アメリカナイズドとやらが過去のものになりつつあるのに、未だにドヤ顔で使うのは貧困な語彙力ではないかとwで、アジアの田舎で煮染めた様なパチもんTシャツ着てる少年少女がコミュ障か?と。因果は別のとこにあるかと。というかその「家庭格差の上層の子どもは、豊饒な言語空間で育」った世襲議員が白痴丸出しで話してるがw
海底戦車 | 2022年8月27日 17:08 | 返信
新鮮の対義語は陳腐
海底戦車 | 2022年8月27日 17:12 | 返信
このトピックを見て何故かTSUTAYA図書館なるものを思い出した。海老名図書館が噴飯物だった気がする。誰だよあんな草加に依頼したばか行政は。
ジジババ書店 | 2022年8月27日 18:59 | 返信
個人的な感想では、ぐりとぐら がワカルかどうかで、だいたい判断デキるな~
猫トイレ清掃係 | 2022年8月27日 19:22 | 返信
 ワシの妹や弟は、ワシの部屋にあった神秘主義哲学とかの本に深刻に頭を犯されていたようであるw 変な本などよまずにまじめに学校の勉強をしたほうがいいのは間違いない。日本社会で、社畜としてまっとうに生きるには、余計な本などよまんほうがある意味幸せだろう。変に読みすぎると俺みタイにバカな社畜にはなれない。本も毒と薬の使いわけが肝心か
メビウス | 2022年8月27日 19:52 | 返信
三代にわたる限定職の貧乏職人の家系ですので、生まれてから実家には一冊も「書籍」と呼ばれるものなどなく、私も20歳近くになって東京に出て独り暮らしするまでは、本などというものには縁も興味もなく、まったく読みませんでした。
 義務教育時代の国語の成績も大体5段階評価で、2がせいぜいで、中学の1年か2年の時の国語の授業で、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の授業の時に運悪く当てられて、「犍陀多が登っている蜘蛛の糸が何故突然切れたのか」という教師からの質問に、「自分だけ助かろうという欲望を持った、その欲の重さで糸が切れた」と返答して、当時の女性教師に呆れられたこともありました。その通りのような気もするけどな、だめなのか。
ということで、
十代で東京に出てきた最初の頃に買った本が、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』とか、モーリス・ブランショの『至高者』とかの本で、こんな訳の解らない本を抱えながら、毎日土方仕事に通っていたことから、もっと訳の解らない転落一途の変態人生を送ることと相なりました。その後、まさか(わずかな期間であれ)原稿用紙を鉛筆文字で埋めて生活費を稼ぐ様になるとは、中学の時の通知表評価2の状況からは、チ〇コの先の露ほども思い至りませんでした。それが、今ではほとんど「積ん読」ながら、床が抜けるほどの本の腐海を抱えることになってしまい、基地外の人生の行く末などわかったものではありません。大変だな。ところで、その本の腐海ですが、小説などはあまりなく、ほとんどが批評や評論などのものばかりなのも、理屈っぽい信州人の変な特性を受け継いじゃったものと思われます。
 反対にかあちゃんの方は、ここ一年ほどでも小説ばかり百冊以上も積み上げていて、しかもすべて完読しているらしく、いったい何が楽しいんだろうと、私は不思議に思うばかりです。まぁ、ひとつ言えることは、本など読まなければ、こんな貧乏で馬鹿げた行き当たりばったりの人生を送ることなどなかったかも… ということで、どうやら、私にとっては抱えている本のページ数と、抱えているビル(札束)の数は反比例するらしく、本さえなければもっと人間らしい生活が送れていたと夢想するに、あちこち寒いじじいとしては、そこそこ悔やまれたりします。
通行人(HN変更検討中) | 2022年8月27日 20:55 | 返信
中学高校時代に週に1回、個人経営の塾に通っていた事を思い出して、本日30有余年ぶりに武蔵藤沢を訪れたんですが、徒歩20分弱の間にかつては2軒本屋があったのが、どちらも跡形もなくなってました。経済力の格差ももちろん大きいとは思いますが、それ以上に「本屋に立ち寄って本を買う」文化が失われているのではないかと、ネット通販で買えるといってもPCにしろスマホにしろ、興味のあるサイトにしかアクセスしない事を思えば、わざわざ本の通販サイトを訪れるヒトなど希少種なのでは
積雲 | 2022年8月27日 20:59 | 返信
高島俊男氏だつたと思ふのだが、氏の小さかつた頃、學校でよく苛められてゐた同級生の家に遊びに行くと、父親の藏書だらうが、盛大な量で驚いたなどと書いてゐた氣がするのである。苛められつ子の父親は地元の有力企業(確か造船會社)の幹部だつたさうだが、識字能力が出世の條件であると、共に識字能力は遺傳するものであり、從つて藏書の量も社會的地位も遺傳する、といふやうな内容だつたか。
お勉強の出來ない同級生の家には、藏書どころか本が全く無いといふ例もあつたさうな。組織管理能力といふのは言語性IQによつて決まる部分が多くあり、言語性IQが遺傳するやうに、本を愛好する程度も遺傳し、藏書の量も高い收入も遺傳すると、理解したのである。
まあ所謂コミュも重要なのであるが、”行間” に隱れてゐる無言の前提を、言語化し、異星人に對してであつても、意思の疎通を實現する能力、あるいはマニュアル策定能力とでもいふか、さうした言語化能力が、現代社會にあつて、高い收入をうる爲に必要、といふ話である。
食べられる草の生えてゐる場所を、探し當て、また毒草と見分け、あるいは獲物を捕まへる。また氣流や海流、天體の運航を讀んで、出漁するなども必要な能力ではあるが、現代社會にあつては多くの人には不要とされてゐる能力だらう。
 いや高島氏の死を先程知つたのである。昨年のことであつたやうだ。子供が本を讀まないのは親が、讀まないから。子供の藏書が、少ないのは親の藏書が少ないから。親の稼ぎのゆゑといふのは、半分アタリで半分ハズレだらう。
本が少ないのは、貧困の結果ではなく寧ろ原因である。今ならば公立圖書館でも何でもある譯だ。IT化の果てに、反政府分子として當局に把握されて仕舞ふ危險も多分にあるが、夫れはアマゾンで購入したとて同じこと。各位 ”毒書” に勵むのである。
バカもキチガヒも收入も社會的地位も、藏書の量も本の蟲ブリもみな遺傳するのである。
猫トイレ清掃係 | 2022年8月27日 21:50 | 返信
 若い女の子がさえずるようにペチャクチャしゃべっているのをよく見かける、よくあんなにしゃべることがあるのか、とか思っていたのだが、、あれはしばしば、誰も人の話を聞いていなくって、しゃべりたいことばかりを勝手にさえずっているダケである、などと聞いたりするのだが、本当のところはよく分らないのである。 世の中には情報が溢れている訳であるが、その大半は自分にはどーでもいいことである訳だが、こーいうテーマを歌にしたのがボサノバの名曲 Samba de Uma Nota Só (One note samba)である、↓の演奏は、この曲の曲想を大変コミカルに表現しているのであるがhttps://www.youtube.com/watch?v=AuEv942wOZs
 暇があったら、ポルトガル語を勉強して、ポルトガル語でこの曲を味わってほしいものである。 さて、別にマーク・トゥエィン全集など読んだ所で、何か役に立つことなどほとんどないだろうし、どーでもいい語彙を誇るのは頭の中のゴミの多さを誇るようなものである。
最近の研究では、無用な知識を頭の中に溜め込んでいると、頭の動きが鈍くなる(個々の問題を解決するのに時間が余計に掛る)ということが解明されているのである。
 無駄に長くいきていると、語彙もゴミのように溜ってくる訳だが、その分頭も鈍くなっていることを実感しているのではないかなw。嬰児老人のように無駄な語彙を誇るなど、なんと愚かなことだろうかw
メビウス | 2022年8月27日 23:04 | 返信
ということで、今日は監視カメラを見に、カインズホームとかコメリとか、綿半とかの郊外にあるホームセンターを廻ってみたのですが、その前に手元に転がっていた、醤油で煮締めたような吉本隆明の『共同幻想論』をパラパラと捲って、昨今の状況に照らし合わせて色いろ考えてみました。
というのも、少し前にブックオフでたまたま見つけて220円で買って便所に置いてあった、(ここの某コメントではT-one臭いといわれている)あの飯山一郎の本に、この『共同幻想論』をもとに、「がんを怖れることは共同幻想である」というようなことを述べた箇所があって、ふと、この「がん」(恐怖)の流行と治療の状況、および当時そのがん発症の最大の起因現象とされた、311の福島原発事故(テロ)との状況が、今のコロナとコロナワクチン、そしてその医療を巡る状況に似ているような気がして、ちょっと興味を持った次第です。
 まぁ、311放射能がもたらす恐怖心とコロナウイルスがもたらす恐怖心というのは、ともに個人の責任・対処能力の限界を超えたものとして、一般の多くの人たちは共通して、「共同幻想」的に恐れを抱き、またその現実の対応・対処においても、放射能忌避で、国を挙げて騒乱したり、ウイルスを嫌ってワクチンやマスクをヒステリックに希求したりと、こちらも「共同幻想」的な国民意識の集成としての、暴走・妄想的な行動実態が目につきます。
たとえば、その辺のところを、『共同幻想論』の中の「規範論」に、(強引に)当て嵌めて当て見るとすれば、「宗教」といった曖昧で形而上的なもの(天つ罪)と、「法律」という厳格でテクニカルなもの(国つ罪)の間にある、はっきりと規程されていない、不文律や習俗のような曖昧なものとしての、「規範」という概念が、「宗教」と「法律」を横断する形で重複しながら横たわっている… つまりはそんな感じだろうと思われます。
そして、その曖昧な感じが、農耕定住を原則とする日本(人)の社会的ベース意識として、目に見えない形での「規範」、つまりは世間体とでもいうような集団的な自制的雰囲気(空気)として、このコロナの状況下においても隠然と影響を及ぼしているように感じます。
 その辺が、日本がいつまでも、(世界的にみて特異な集団的自粛意識やワクチンおよびマスク、消毒等の防御依存への過剰適応的な状況のまま)一連のコロナ騒動からなかなか、脱却できない一因でもあるような気がしています。
 まぁ、がんは自己発生・自己完結型の独立した疾病であるのに対して、疫病としてのコロナは他者に影響を及ぼしたり他者から及ぼされたりする分、より日本人の特性としては社会的集団意識・行動としての、「規範」に縛られやすくなっていそうです。ところで、この『共同幻想論』には、私には読めない漢字が多々あって、たとえば章の題名でもある「巫覡論」の「巫覡」などは、私はまったく読めませんでした。また、本文における「清祓」などは、「清祓」と単独で訓読みするのと「清祓行為」と熟語として音読みするのとでは言い方が違っていたり、「梭に陰部をつきさして死んでしまった」の「梭」なんて字もまず読めませんでした。
まぁ、この辺りの国語の教養のなさも、貧困家庭で育った故のことと痛感しています。飯山一郎に関しては、311の直後あたりは面白がってブログを覗き、米のとぎ汁飲料などを適当につくって飲んだりしていましたが、晩年の壺っちゃまくん評価ですっかり関心を失ってしまいました。(たぶん、北とめ〇みさんの関係とか、福一原発の放射能処理アイディア関係のことで、結構脅されたんじゃないかと推測されますし、突然のタヒに関しても何となく怪しさを感じています)、でも、今のコロナ騒動の中でもし生きていたら、ある種の変態的な発明家・アジテータとして、どのような発言とか行動を展開したのか、いささか興味のあるところです。
ただのり | 2022年8月28日 01:06 | 返信
国語力というより言語力なんだよね。文字がない時代は野蛮か?って言うと文明・文化も文字なしから始まってる訳だし、寺子屋が始まる前の江戸中期以前は農民はほとんど文盲だけど十分文化的生活はあった訳なので。言語ってのは、大家族内で問題を起こさないための、猿みたいに見たまんまを叫ぶアホから、5W1Hを整えて時制を考えて論理化して対処法を伝えるためにある訳で、生活を崩壊させないための、全世代との会話が大量にあれば情緒は発達する訳です。
 では文字の力とは?というと「時空を超えてノウハウを伝える」訳です。何千年も前の心情や地球の裏側の見たことのない、オッサンの大発見や揺るぎない公理を伝え標準化を行い、大家族の爺さん婆さんの俗信迷信を排除してくれる。文字があるからこそ叡智の積み重ねが出来る訳です。読書猿がいう「巨人の肩」とはよくいうものだ。
この記事で言う「活字を読まない」とは、核家族の弊害を含みます。字がなくても、育つ情緒が、核家族閉鎖空間のために育たない。核家族閉鎖空間であれば、時空を越えたノウハウを文字情報から得られない。それらは貧乏で、時間を取られ隷属化する資本主義によるもので、イザベラ・バードの日本紀行の「クソ汚い貧乏人のガキがなんで満面の笑みで歓迎してくれるのか?」で現されます。
 「活字」は知識・教養のアイコンですが、日本語の特色として、大陸から書物を輸入するごと増える音読みがあり、その当時の「用語」が増え読み方を増やします。儒教・科挙文化の弊害として、無分別な知識至上主義があり読み方を知らないと、門前払いをするという悪弊があります。それも破綻してるが。通読して、理解した唖は書いて表現しても無価値でしょうか?読み方と、知識で止まっている人は書生です。高校国語の読解問題で止まってます。対象は文章の向こうです。
 自分の生活環境と、テレビに映る他国の自然を比較して何を思うか?更に双方の積み重ねを、伝えてくれる「活字」が文章の向こう側を表現してくれる訳です。想像力とでも言おうか。
翻訳者は、自国になく熟語で表現できないものを文章で、文脈で意訳:表現してくれています。筆者の、視点観点を主体にして、物質・現象の文化別言語化を比較しながら日本語にしてくれてます。
「俺も俺だって俺なら」を越えて、文章の向こう側を見る気になりませんかね?猪木ですら「バカになれ」って言ってたでしょ?wマーク・トウェインで一番好きなのは「投資に適しない月」かな?学校も碌に出てないのにアメリカ文学の祖となった、矛盾と粗野で出来上がった国の、悪い意味の田舎者がフィルターなしで見た物を、脳髄までストレートで受けて、その反動を文章にした感性は、現代の矛盾と現代のガキの無力感を、全部表してますね。帰ってきたハック・フィンのトム評は衝撃且つ深淵でした。
積雲 | 2022年8月28日 08:28 | 返信
生まれ乍らに全盲の視覺障礙者に對し、赤、緑、青などといふ色に關する知識を多數詰め込まうとしたところでまあ無意味なことである。「赤信號の赤は血の色だ」「郵便ポストの色であり、消防自動車の色と同じだ」などと無理矢理覺えさせたところで意味などない。
同じやうなことは生まれながらの、聽覺障礙者、嗅覺障礙者に對しても成立する筈だ。知識とセンスは、異なるのであり、語彙を教へられても 、”習得” まで行かず、單なる丸暗記となつて仕舞ふとすればセンスが(足り)ない爲に過ぎないだらう。
光を知覺する能力があつた上で初めて、色を見分ける能力や、ランドルト環の空いてゐる方を識別する視力が問題になるのであつて、太陽光が顏に當たつてゐることを ”あたゝかさ” でしか知覺出來ず、”明るい””暗い”といふことが、全く判らないヒトには、視覺に關する語彙は確かに無用かも知れない。
多くを占める健常者の中で、生きて行く爲に、視覺に關する語彙が、多少は必要かも知れないが、當人にとつて 、”血肉” となる言葉ではないだらう。ハゲのヒトに、他人の毛根を植ゑようとしても、容易に根附くものではないのである。
壯絶な拒絶反應も豫想されゝば、抑も毛細血管すら死んでゐる可能性もある。頭皮への血流量が減るのは、加齡ゆゑだらうが、血流は頭蓋骨の中身への方こそ優先といふもの。砂漠に植物を無理矢理植ゑても、水分や養分の供給がない以上、枯れるのが道理であるし、人爲的な作業で植生を維持させるのも、弊害ばかりが目立つことになると思ふのである。
語彙が頭の働きを鈍らせるか否か。さうした問ひに解答をこゝろみたつもりである。語彙が知識の詰め込みにとゞまるとするならば、センスの不在といふ話であり、確かに無駄な知識だらう。
CPUの負荷が、無駄に高まつて判斷が鈍るといふのも、分からない話ではないのである。だが、我々は世界を言葉によつて、認識してゐるのである。
セクハラといふ言葉があつて初めて、セクハラといふ行爲が廣く知られるやうになつたのである。五〇年前にはセクハラなどといふ言葉はなかつたと思ふのだが、別にセクハラ行爲自體がなかつた譯ではない。
セクハラといふ言葉がなかつた爲に、今のやうにはセクハラと認識出來なかつたダケの話である。いや語彙こそが、認識の射程を決めるのであり、セクハラといふ言葉が丸暗記にとゞまり、セクハラを働いてゐることが自覺出來ないのは、全盲の障礙者と變はらないのである。それを認識できるかどうか。
鏡は悟りの具にあらず、迷いの具なり。
 異なるのは障礙の方向性と程度に過ぎないのである。要らないと、判斷した語彙は、まあ捨てれば良いのである。豐富な語彙は、こゝろをも豐かにして呉れるとは思ふが、腦にとつて重荷であるならば、センスがないといふことで仕方がないのである。
たゞし、セクハラといふ語彙を捨てゝ仕舞つた際の、法的リスクは、少なくとも知識として、蓄へておいた方が良いだらう。無用とは思ふが、敢へて言及しておくのである。
センスもないのに、語彙の量ダケを誇る。また語彙の量で他、人をマウントする、などといふ行爲は、無論つゝしまねばならない。つゝしむなどといふ意圖的な選擇事態が間違ひであり、マウントなど、自然に行なはないのが普通 = あるべき姿なのではあるが。
いや嬰兒を論ふのも、不要に刺激して病状を惡化させるダケと思ふのであまり氣がすゝまないのであるが。


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