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サウナと転職とファイティングポーズ

先日サウナに行き「自分に合った入り方」を見つけた。
それは「サウナ→水風呂→外気浴」をそれぞれ5分ずつと、短く回す入り方だ。これまでは「耐え続けることが美徳なんだ」と長時間灼熱に自分をさらしがちだったが、体力が奪われ、疲弊感があった。
そこで先日、素直に熱さがきつくなったら出るようにしたところ、整う気持ちよさを得られた。
帰り道では、そよぐ風が心地よかった。

サウナと同じように、人生も自分らしさを見つけたほうが良いのでは?
最近そんなことを思い始めている。
前職から転職しもうすぐ2年。
次の転職を考えている。

前職はかなりの大手企業で、新卒入社時は、一生安定の安心感、そしてその企業の一員になれた高揚感があった。
しかしそれもつかの間、その後の数年間、複数の上司からのパワハラに悩まされ、異動も叶わず、最後は転職をするに至った。
手厚い福利厚生は苦しいときの助けにならなかった。高い有給取得率と充実した住宅補助は、私の悲痛を和らげてはくれなかったし、それは産業医についても同じだった。
「会社に行こうとすると動悸がするんです」との私の訴えに彼女は「あなたは若いから、朝気持ちがたかぶってそういうときもあるのよ」と相手にしてくれなかった。ストレスチェックで引っ掛かり、設けられた産業医面談でだ。
私は無力感にかられて、このまま辛い環境で病むよりはと別会社へ転職を果たした。人へ優しい会社はヤバい人へも優しいのだと学んだ。私はあぶれてしまった。

そこから2年。確実に状況は良くなった。資料修正が至らなかったと2時間立たされることはなくなったし、若い女性社員を飲み会にアテンドしないからと怒鳴られることもない。一人の人間として働けている。
一方で、業務量が多い職場で私も負担を感じている。子供が生まれた際に、父として対応できるのか。不安がある。その他、理由もあり、外を見てみたくなった。

転職で全てが好転するとは思っていない。一方で「転職はチューニング」と聞いたことがある。
自分の専門性を活かしつつも、楽をする方向へ、チューニングしてもいいんじゃないかと思う。

社会人になってから辛いことのほうが圧倒的に多かった。昔、私はどちらかというとふざけるタイプでよく冗談を言う人間だったが、性格も変わり、ため息をつくことが増えた。これは私の「頑張り」であり、同時に「怠惰」の表れなんだと思う。
置かれた場所で咲こうともがいてきた「頑張り」と、自分を活かせる環境を創る、または探す努力を行ってこなかった「怠惰」。
どちらも不器用な私らしい。
雨だれで石を穿つ思いで業務に励んできたが、雨は雨。ただただ雫が伝うだけの毎日に、学習的無力感が生まれつつある。

「もういいじゃないか。十分頑張ったよ。楽になろうよ」そんな言葉とともに自分へタオルを掛けてあげたい。まだ試合終了じゃない。何ラウンド目かが終わったまでだ。しっかり汗を拭き、水を飲み込み、目をかっぴらき、ファイティングポーズで、自分を活かせる場所を探そうと思う。

※フィクションを多分に含んでおります。