観た。2020/02/01『クリシェ』2020/02/04『レ・ロマネスク節分&立春リサイタル』2020/02/05『ウエスト・サイド・ストーリー』2020/02/06『少女仮面』2020/02/08『メアリー・ステュアート』2020/02/13『モーツァルト』2020/02/13『メアリー・スチュアート』2020/02/17『八つ墓村』2020/02/19『少女仮面』2020/02/21『HUNDRED DAYS』2020/02/22『天保十二年のシェイクスピア』2020/02/26『愛と死のローマ』

2月って、意外と観ていた。
稽古は無く打ち合わせばかりだったし、まだ自粛も無かったからかな。
何だかツィッターで書いたことの焼き直し的なのですけれど。
まぁ、自分の覚え書なので。

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あうるすぽっと、『クリシェ』。
チラシを発見して、絶対に観ようと心に決めた公演・笑。
怪「女」優さん御二人の、奇怪なまでの美しさよ。
第三エロチカの川村毅さんの劇作家40年&還暦の記念上演。
失礼ながら、まだ60なのだと驚いた次第。
加納幸和さんと二人、「女優」として姉妹役。観たいでしょ?
「何がジェーンに起こったか」を思わせる設定、役割。
グロテスクでおぞましくて、奇天烈で愉快。そしてエネルギー値、異様に髙し。やりたいことやるって(語弊のある表現)、気持ちよさそうで、観ているこちらも何だかホッとする。
終盤、何かが舞台に落ちて来る(今回はテープ状の何か)感じが、小劇場のスペクタクルって感じで良いわぁ。
「クリシェ(使い古し)」というタイトルも、内容を的確に表しつつ、ナナメにおどけていて素敵でした。

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憧れのレ・ロマネスクさんのリサイタル、場所は渋谷ユーロライブ。
ずっとyoutubeで拝見しておりました。
大好きなあの曲もこの曲も歌って下さった!
つー、とか。かー、とか。盛大に祝いたい気分!
ひゃっほう。
言葉遊びと音の遊び、リズムの遊びが楽しくってナンセンスでクレイジー。
でも、愛らしくお行儀のよい感じ。
通いたい(笑)。
会場は渋谷は円山町、ランブリングストリートにあるライブハウス。猥雑な街中にあって、清潔でスタイリッシュな建物。色々と混在して、めくるめく。

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ぐるぐるシアターことIHIステージアラウンド東京へ。
ぐるぐると上演されている『WEST SIDE STORY』の Season2。
1999年(20世紀!)の宝塚星組版では演出助手に付いていたので、譜面やキッカケが浮かんでくる。
映画はテレビでしか見ていないけれど、後にレーザーディスク(!)も買い、何度も何度も観た。「ミュージカル」というジャンルにおいては、一番好きな作品では無いけれど、一番完成された作品だと思っている。いや、もう、本当に。ただただ名作ですよ。名作以外の何物でもない。ちなみに一番好きなシーンは体育館のダンス、そしてその前後。
宝塚以外にも、劇団四季さんやら、少年隊さんやら、嵐さんやら。
色々なver.を拝見したけれど、今のところ、日本人版では少年隊さん版が白眉です。
そして、今回。
ぐるぐるしてました。
セットは素敵ですが、個人的にはバイクは要らなかったのと、ドクの店でのトニーの居どころは地下室が良かったなぁ、と。
あと、やっぱり、トニーの御遺体はジェッツとシャークスが協力して担いでほしかった。そしてマリアは、その後を毅然と歩いてほしかったな。
同世代の宝塚版マリア、風花マリアも星奈マリアも、終幕の、高潔にして厳然とした悲しみが絶品だった。
リフに同じ事務所のぐっちゃんこと上口耕平。鬱屈したエネルギーと不思議なレトロ感が良かったな。
アニータは宮澤佐江ちゃんで、これが素晴らしかった。
マリアよりもほんの少し先輩なだけで、無邪気に弾ける少女性が残る。
彼女はほんの少し背伸びをして、戸棚に手が届きかけている。戸棚の中には、アメリカという夢が入っている。
アニタもまた、アメリカでの豊かな暮らしに夢と希望を抱く、あどけない娘なのだ。
その夢は愛する男と共に在る。
恋人との甘い夢の中にいるからこそ、彼女は自信と勇気に輝いている。
未来への希望が彼女を女王にするのだ。
大人ぶって洒落ていて誇らしげで艶やか。
それが。恋人を失って。心細く儚い幼さが顔を覗かせ、負の感情が込み上げて来る。これが哀しさ。
だが、生来の真面目さや気丈さ、彼女の善人である部分が蘇り、誠実であろうとする。それがまた踏みにじられる。
これが絶望。
つまり、やはり、「ウエスト・サイド」はどうあっても名作なのだ。

*まさかの、客席で、前日拝見したレ・ロマネスクのTOBIさんにお会いすると云う奇跡!

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シアタートラムにて『少女仮面』。
ほぼ同時期に、同じ演目が別団体で上演される……意外と「ある」事だ。
さて。
戯曲は知っていたけれど、実際に上演されているのを観るのは初めて。のパターンです。超有名戯曲なのにね。
初演は、1969年の10月とのこと。
異次元の話だけれど、劇中で語られる『嵐が丘』の宝塚での上演は1969年の5月、新宿コマ劇場(東京が先だったようで、大劇場は奇しくも10月)。
唐さんは御覧になったのか、噂を聞いたのか。
「かーぜが吹くー あらしーがおかにー」です。主演は古城都さん。
所謂3K時代の宝塚ですね。
ただし、異次元に投影された「ヅカガール」。
この「ヅカ」をどう表すかは、千差万別なのだろう。
別に「ヅカ」が「ヅカ」である必要もない世界ですからね。
今回の「春日野」さんは、黒燕尾に羽根を背負っての登場。
羽根はね………ちょっと……でしたけれど。。。
しかし。あくまでも。それはそれで。なので。
そして。
物語の中心を彩るのは、
美しくておぞましくて憎らしくて甘美な「肉体」という呪縛。
移ろいやすく風化しやすいのに、記憶の底にこびり付いて毒づく「時代」という怨念。
「満州」へと「春日野」は回帰する。分断された歴史が、彼女が「亡くした顔」なのかも知れない。
ちなみに『WEST SIDE STORY』の宝塚初演は1968年で、鴨川版『ハムレット』は1969年。
「オルレアンの噂」が発生したのも1969年。
50年も前。
でも。50年前の演劇を観てみたい。切に。

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『メアリー・ステュアート』、赤坂RED/THEATER。
台本は違えど、これもまた同時期に別プロダクションが「メアリー・スチュアート」をやる。
シラーの劇作を基に、ダーチャ・マライーニが書いた戯曲。
濃密な二人芝居。
途轍もなく英雄的で、途方もなく平凡な、おんな二人の物語。
大好きな、大好きな作品。
むかし近鉄アート館で、麻実れいさんと白石加代子さんによる日本初演を観た! 1990年! 30年前!
その後も別キャストで拝見したりしたけれど、今回は演出も主催も変わり、
霧矢大夢さんと保坂知寿さんが御出演。
霧矢さんがメアリーとエリザベスの侍女、保坂さんがエリザベスとメアリーの乳母。このように二人が、それぞれ二役をやって関係を逆転させていく妙味。
これぞ、演劇でしか出来ない事。
そして、それを客席で分かち合う尊さ。
スコットランド女王メアリーの人生は興味深く、自分でも『不徳の伴侶』と題して朗読ミュージカルをやったけれど、奇しくも同じ劇場。
メアリーの義妹に当たる王女マルゴ(沢樹くるみちゃん!拙作の『マルゴ 王妃にして王女』のマルゴ!)も罪深くて素敵なのだ。絢爛たる波乱の女たち。

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博品館劇場、『モーツァルト』。
大天才作曲家モーツァルトを、東山のよっ君が演じて踊る作品。
評伝的な作品は枚挙にいとまの無い「モーツァルト」。
その中でもかなりぶっ飛んだ部類だと思います。
いや、モーツァルトで良かったのか?(笑)
全編破調のドタバタで、素っ頓狂なキャラクターや風変わりな設定が宇宙規模で広がり、かつ洪水のように溢れ、客席の精神的堤防は決壊しておりました。
いや、面白かったですよ。
いや、ホント。ミラクル。
ド・ミ・ソの精とか……本当にド・ミ・ソ?と突っ込まれたいのだろうな☆
いや、面白かったんですって。
さて。
東山さんのモーツァルト、よっ君の両面である、自由気儘で軽やかなイタズラっ子的部分と、生真面目で律儀な生徒会長的な風情が程よくブレンドされておりました。
植木の豪ちゃんが、これまた素晴らしく。
あんなゲーテ、後にも先にも、30世紀になっても無いだろうな。豪ちゃんは基礎体温高めで、且つクールに舞台上の空気を見事にさばく。舞台にいてくれると、心底ホッとする。しれっとした可笑しさとパワーが楽しくて頼もしい限り。
ベートーヴェンのHomerさんは、何だか異様に可愛い。風大左衛門っぽい(ってわかる人少ないだろうな……)のだけれど、その垢ぬけなさと屈託のなさがツボにはまる。
あと、パンフの風海がキマリ過ぎてヤバい☆舞台上の実物もヤバい☆なんだ、そのオールバックと髭と特別出演枠(笑)。
馴染みの座組なので、もはや気分はブルーシートを敷いて応援する父兄です。失言お許しを。

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世田谷パブリックシアターの『メアリ・スチュアート』。
赤坂で拝見した『メアリー・ステュアート』と同じく、シラーの劇作を下敷に、スティーブン・スペンダーが上演台本にしたもの。
重厚な史劇っぽい重さと暗がり。
移り気な人の心の愚かしさと惨めさ。
削ぎ落されたような静謐の中の緊張感。
ただ、シラーの戯曲にはエンタメ成分も多いので、もう少しドタバタとしても良かったかも。です。
圧巻は何といってもエリザベス一世を演じたシルビア・グラブ。
独特のメイクや衣装のパワーもあるけれど、それよりも微細にして大胆な演技の波状攻撃が素晴らしい。
拙作『不徳の伴侶』でもエリザベス一世を演じてくれたシルビアですが、同じ人物なれど違う作品、違うキャラ。此の度も本当に凄まじい存在感と凄い吸引力でした。
物語としても、エリザベスが牽引役なので、彼女が舞台に現れると世界が前進する。
多彩な出演陣なのですが、印象的なのはベテランお三方。藤木孝さんに心震え、鷲尾真知子さんにほだされ、山崎一さんに感動しました。

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新橋演舞場、劇団新派『八つ墓村』。
『犬神家の一族』に続いての、新派meets横溝正史。
閉塞感とねじれた愛情が狂おしい「犬神家」に比べて、こちらは華麗なる凄惨さが際立つ大河ドラマ。
ワタクシは昭和後期のコドモなので。子供心に1977年版の映画・松竹配給のTVCMが凄まじく怖かったのが印象的。映画本編も、とても禍々しく怖ろしかったけれど、いまやmyfavoriteな一編です。
他にも映画化は数度に渡り、コミカライズもあったり、その都度原作から多少いじられているようです。
今回も、新派さんならではの改変が幾つか。
陰惨な感じはかなり軽減され、寧ろほのぼのとした印象さえ受ける(特に幕切れあたり)。あれ?
でも、タジミ家とか、モリミヤコとか濃茶の尼とか、大好きワードが連発なので、とても楽しめました。
八重子&久里子(敬意を払っての呼び捨て御免)の小竹と小梅なんて最高過ぎるじゃないですか!

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中野、テアトルBONBONにてmétro『少女仮面』。
シアタートラムで拝見したのと同じく唐十郎さんの戯曲。
主たる登場人物は「春日野」。
こちらの「春日野」役はmétro主宰の月船さららさん。
元ジェンヌが「春日野」を演じるのは初めてだそうです。
素晴らしい、迫真の演技でした。
魂そのもののような輝きをまとって声を震わせた姿は壮絶でした。
白いブラウス風の衣裳も当を得ておりました。白薔薇のプリンスですからね。古き宝塚の甘き薫りです。
そう。
白薔薇のプリンス、「春日野」。
ここまで象徴的な名前を他には知りません。
あくまでも唐さん描くところの幻惑の「宝塚」なれど、我らにとっては畏れ多いお名前です。たとえ本物のよっちゃん先生では無いとわかっていても。です。
戦前・戦中・戦後を通して宝塚歌劇を支えた大スター。他界されるまで現役であり続け、宝塚100年の歴史の中軸となられた方。もちろん我らとしては天津乙女先生もいらっしゃるのですが、宝塚そのものを体現する名前となれば、やはり「春日野」なのでしょうね。
そして、唐さんが宝塚に材を取った当時、古きスター「春日野」の名前が、戦前からの伝統を継ぐ旧体制を想起せしめ、或いは形骸となった過去の亡霊を語るに良いと思ったのかも知れませぬ。
決して宝塚の歴史を問う訳ではない、異形と異境の異聞なのですけれど。
「春日野」の名前には、ぬらりとして昏い畏怖があるのです。
ねじれた空間で描かれるのは欲望と孤独と喪失と。狂おしさ。
「春日野」は、自身の経営する喫茶店「肉体」に迷い込んできたファンの少女に『嵐が丘』の手ほどきをして稽古をつける。
それは空回りする人生の時計のようだが、繰り返されるうちにゼンマイが狂って弾け飛ぶ。
混乱する一人称が表わすように、「わたし」を失ったワタシの自分語り。
何かの為に自分を犠牲にして、身も心も捧げて失くして、擦り切れて痩せた墓標となってしまった人間の呟き。
喪失は、彼女の中に凄まじい渇望を生み、生贄と代償を求めるようになる。眠れぬ青ひげ公の城に彼女は棲んでいる。
喪失は、しかし彼女にとっては誇りでもあり勲章でもある。だから、喪失に至るまでの時間を哀惜を込めて追憶する。同時に恨みと悲しみも巻き戻されてしまうのに。
彼女が追憶する風景の地図はかすれて読めず、荒野、つまりは嵐が丘に迷い込む。嵐が丘にこだまするのは、時間の止まった幽霊の声ばかり。
嵐が丘とは、失った幻の國マンチュリアなのか。マンチュリアには失った恋の記憶もあった。
中空に浮いた幻の國のまやかしの思い出が、彼女に痛みを与え続けている。
幻肢痛、Phantom Painの物語かな、とも思いました。既に失ったものを悲しみ憐れむ、女とも言えない狂おしいほど女な女。
いや、その逆か。
いま此処にある肉体を、喪ったと思ってか、現実と感じられぬか、女として、人としての欠落に痛み続ける、裏返しのファントム・ペイン。
命を真っ直ぐに見られなくなった人間の、無様な愛おしさ。かも知れない。
ただし、命あるものは人とは限らぬ。国も文化も同じ。
歴史の中で落穂ひろいの虚しさを繰り返す、怖ろしいお話しでした。

 *この公演、月船さんからお誘いを受けてアフタートークのゲストとかに出てしまいました。さららん、ありがとう。

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新宿のシアターモリエール、ミュージカル回想録「HUNDRED DAYS」。
御縁のあるconSeptさんのプロデュース作品。
ライブ仕立てで綴られるミュージシャン夫婦の愛の軌跡。
これ、実話だそうで。音楽ユニット「ベンソンズ」の作詞・作曲家である夫妻が、自分たちに起きた出来事、愛と苦しみを吐露していくのです。
それがコンサートのMCで語られる、という体。そして彼らの楽曲が力強く演奏され、爽快な歌声が貫いていく。
シドとナンシー、或いは桑名正博とアン・ルイス。
音楽家の恋は、いつだって高らかで痛烈だ。

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日生劇場『天保十二年のシェイクスピア』。
むかし観たことのある演目です。でも、相当に久しぶり。
シェイクスピア・オールスター全員集合。
もしくはシェイクスピア・オールスター丼、シェイクスピア全部乗せ。
シェイクスピアの全作品を愉快に散りばめて、舞台を日本に再編した一大叙事詩。
ちょっと牽強付会な詰め込み感はあれども、やはり井上ひさし戯曲は精緻にして巧緻。
エピソードの細い流れが何時しか大河となって、轟音を立てて滝と迸り、海に注ぎ込んでゆく。
そしてイアーゴーとリチャード三世は、やっぱりとても魅力的なのだ。
総じて悪人枠に魅力があり、またほぼ悪人しか出てこず、そこも痛快。みんな、ひどい。ひどくて愛らしい。
賑やかに大勢での長尺もの。なので、「観たぞ!」感もたっぷり。
ちょっと年末年始の長時間時代劇のような趣もあったかな。オールスター総出演的な。
あと「農村の奔放にして大らかな性」みたいな部分もあるけれど、それもまた庶民を描く時代劇(にしては、少々皆さん身ぎれい過ぎたかも。ですが)としても、シェイクスピア劇(沙翁、わりと下品なので)としても、当意即妙というべきでしょうかね。下々の生活をエネルギッシュに描いて、常に体制の支配に批判の目線を投げかけていた井上作品らしい。のかも。
女性の役割など、些か現代の潮流とは異なる部分にややモヤモヤしたりするのですが、それは書かれた時代背景を考慮して。というところでしょうか。
ちなみに。まったく関係ないけれど。
シェイクスピアと言えば、ワハハ本舗さんの『シェイクスピアだよ!全員集合』が大好きなワタクシです。あれは本当にシェイクスピアまったく関係なかった(笑)。

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近鉄アート館でのOSK日本歌劇団『愛と死のローマ』。
わずか2日で公演中断を余儀なくされた作品です。
打ち合わせで来阪した際、運良くゲネプロを拝見。
本来ならゲネプロで観たことを公に語るのは憚られるのですが、少しだけ。
ガリア遠征に赴いていたシーザーがルビコン川を渡りローマに帰還、政権を掌握する……というところから、ブルータスらによって暗殺されるまでの物語。そして運命の恋人として登場するのは、勿論エジプト女王クレオパトラ7世。
楊くんのシーザー(←英語読み。ラテン語でカエサル、イタリア語ではチェーザレ)は美麗にして壮健。静かに運命と対峙する。
舞美ちゃんのクレオパトラは激しく大胆。懸命に生きて、愚かしくて愛おしい。
ダンスも鮮やかな歌劇らしい美しき青春群像劇。皆さん、奮闘されておられました。
退団されるお二方も八面六臂の御活躍。
スタッフ、キャスト、お客様。皆様に幸いあれ。

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