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香箱蟹・セコガニの魅力を語る

香箱蟹・セコガニの魅力を語る。
寒くなると店先で見かけるようになる、山や湖に生息するカニのようにこじんまりとした可愛らしい海で採れるカニ。
呼び名は地方によってちがう。
このnoteではセコガニで統一させてもらう。

高値でとりひきされるカニにくらべると、セコと名前をつけたくなる気持ちは十二分にわかる。
セコガニの足は、割りばしよりも細く、カニカマとくらべても細い。
カニの爪は、海藻をむしるぐらいしかできないであろう貧弱さ。
外敵から身を守るには、あまりに頼りない。

カニといえば、ふとい足をわり、むきむきと起きあがる白く濡れそぼった果肉。
けれども、その白い果肉のお値段は、ギョッとさせられるほど高い。
また、あまりに純粋な旨さと塩分は、一~二本ほど食べればあきてくる、いや、お金の問題からあきたと思いこみたい。

その点、セコガニは安い。
漁が解禁されしばらくは高い。
千円ほどすることもある。
セコセコと高い時分のセコガニを買う必要はない。
毒蛇のように強者はいそがないものである。
じっと海底にひそみ、目だけをキョロキョロとうごかし、セコガニの値段が落ちてくるのを待つ。

500円、ワンコインほどのお値段になればマァよしとする。
「セコガニの季節がきたな」とでもつぶやきながらセコガニをぽいっとカゴにいれ会計をすませる。
うきうきとわきたつ心をおさえながら家にかえる。

家にたどりつく。
こまごまとした用事をすませ、目のまえにセコガニを置く。

売られているセコガニは茹でられていることがおおい。
ただ、ごくまれに生のセコガニが売られていることがある。
生のセコガニを見かけたときは、大枚千円をはらってもおしくはない。
脱兎が逃げだす速度でセコガニを買う。

生のセコガニを蒸す。
日本酒や紹興酒をかけて蒸しあげてもよい。
お湯に栄養が溶けだしていない。
もっともおいしくセコガニの食べられる調理法だ。
たよりない色をしていたセコガニを蒸すと、鮮やかな赤色にかわる。

セコガニのどこを食べるのか。
それは、セコガニの甲羅のなか。味噌や卵などを食べる。
黒いビラビラした山羊の角のような部分は食べてはいけない。
おいしく食べられてなるものか、とセコガニが一矢むくいてやろうと研ぎすまされた人類への抵抗である。
黒いビラビラした部分だけでは、丁寧にむしりとる。

蒸しあげたセコガニを無心で食べた。
セコガニについて書こうと決めていた。
けれども、言葉をなくし、あぁ、うん、と無心でむしり、しゃぶる、なめとる、しがんでいると消えてはてていた、セコガニが。

というわけで、別のセコガニを買ってきた。

セコガニを食べるとお手手と口まわりが汚れる。
清潔な布巾やティッシュを用意しておく。
指をあらうための水も用意しておくとよい。
お酒をたしなむかたは、辛口のお酒を用意しておくと人生がたのしくなる。
冷凍庫にいれておいたウォッカをセコガニの横におき、セコガニを食すならいだ。

セコガニのハサミや足をむしりとる。
チープなオモチャを壊すようにハサミや足はとれる。

セコガニをひっくりかえす。
ちいさくとも、しっかりとカニの形をしている。

暗赤色のちいさいカニのタマゴ。
魚卵のようにふくらんでおらず、プチッと硬質的な歯ごたえ。
タマゴひとつひとつが、分子であり原子であり、こうばしい風味がある。
丹念にタマゴをしゃぶりとる。
シーモンキーとよばれる商品があった。
そのシーモンキーとカニのタマゴの姿かたちはよく似ている。
カニの子どももシーモンキーのような見ためだったなと思いだす。

タマゴをくるんでいる部分をフンドシとよぶ。
フンドシにくるまれたタマゴを食べるという、なんとも淫靡な響き。
志賀直哉が、どこか遠くでとれたカニと形容した女性とはセコガニだったのではないだろうかと静かに考えこむ。

セコガニのハサミや足にも果肉はつまっている。
奥歯でバリッと殻をわれば天然の果肉を採取できる。
ちいさい果肉だが、ミネラルをふくんだ塩分が舌にのり、淡い甘味がしっかりとひろがる。

セコガニの目の反対側に指をいれ甲羅をむく。
セコガニの味噌やら内臓やら白いビラビラがみっちりとつまっている。
白いモヤモヤとした部位は食べられない。
モヤモヤした部位をきっちりとはぎとる。

セコガニのなかにどのようなお宝が眠っているのか、それは宝箱をあけるまでわからない。
バレンタインデー当日にくつ箱をのぞきこむようなワクワク感がある。
そして、くつ箱にチョコレートがいれられておらずにガックリする男がおおい。
けれど、海の慈母神たるセコガニは期待をうらぎらない。
味噌やら内臓やらの多寡はあれども、ちいさい宝箱のなかにみっちりと夢と希望、愛がつめこまれている。

甲羅の部分にも味噌などがついている。
この甲羅を炭火にかけ日本酒などをいれる。
日本酒と味噌が混ざりあい、なめらかで雅な香りにつつまれる。
お箸で味噌と日本酒を混ぜまぜ、そのお箸の先についたものを舐めなめしていると、ホホがゆるみ、口角があがる。
白い膜は食べられる。
湯葉のような口当たりであり、豆では作れない深海のように濃い幽玄な旨味がある。

雲丹にすこし似た色をしたセコガニの味噌。
雲丹を食べたときに感じられるミョウバン臭はない。
ねっとりとした優雅な口あたり。
清雅に溶け、淡泊なものに感じられる。
生臭さのひとかけらもない。
アンコウやカワハギの肝よりも少しお上品で柔らかい旨味がひろがる。

セコガニのなかでもっとも美味だと思われる、桜色とも朱色、紅色と形容できる部分。
お箸が刺さらないほどの密度がある。
こつこつと化石をほるようにお箸でつつく。
ボロリと崩れたり、ホロリと落ちたりする。
密度の高い果肉を口にのせる。
くりかえしになるが、生臭などひとかけらもない。
タラコやイカスミなど魚卵を乾燥させたような手ごたえのある口あたり。
歯で噛むと、ほろりとはかなく崩落する。
崩落した部位からは、花のような魅惑的な香りがたちのぼる。
スズランのように控えめなれど人を魅了する香りにちかいものを感じられる。
しっかりとした果肉に、とじこめられた旨味がこんこんと湧きでてくる。
チーズの脂分を除去したような清潔な風味。
しっかりと乾燥させた魚卵のような高貴な旨味。

このセコガニの赤い果肉を日本酒だけをいれ煮つめると上等なオツマミができるのではと考えている。
商品化されたら、おそらく眼が飛びでるようなお値段になるのだろうなと考え、パンドラの箱の底に考えを封印する。

セコガニを割る、折る、手をなめる、酒を飲む。
俗世から切りはなされた無上のけらく。
その時間のお値段500円以下。

もろもろとこぼれた赤や橙色の果肉をあつめ、白いご飯のうえにのせる。
できれば白い湯気をたてる温かいご飯がいいね。
白い湯気を、赤くそめられるほどのセコガニの香りがたちのぼる。

そして、あなたはセコガニをのせた白いご飯をお箸でつかむ。
鼻にちかづけばちかづくほどセコガニの風味と香りは厚く濃くなる。
白いご飯の甘い香りも混ざりあっているだろう。
あなたは、なまつばをのみこむ。
おおきな口をあけ、ゆっくりと赤い果肉と白いご飯を口にいれる。
あなたは口をとじる。


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