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どうせ2日で終わる日記-60-(絵についての一考察)【7/4-7/17】

 今日noteを更新するまで本当に先週更新し忘れていたことを忘れていた。
忘れていたことを忘れたのだから、もう思い出しようがない。

 加えてここ最近色々と私事が増えてきたこともあり、週末もnoteで日記をつけることに時間を割くことが気分的にも面倒臭くなってきつつあった。
別にここで蒸発してもいいのだが、それはなんだか体が良くないというか、そもそも本活動しているTwitterアカウントとこのnoteのアカウントが紐づけられているのだから、Twitterは毎日チェックして散々っぱら呟いているのにもかかわらずnoteを書く時間は週一も取れないという訳の分からない状況になってしまう。

 蒸発で思い出したが、以前はそれなりにやっていたのだが、ここ最近ニコニコ生放送をしていない。
これにはいくつか理由があるのだが、大きな理由としては机の前にずっと座りっぱなしで二時間も三時間も絵を描くことがつらい、というのがある。
これは恐らく僕の座高と椅子の高さと机の高さが絶望的に合っていないせいなのだが、机の上に物を無限に置いていることもあり、高さ調節なども面倒くさく、結局数十分に一回席を立ったり寝っ転がったりしながらなあなあで過ごしており、生放送ではそれができない。

 それがメインの理由であり、あとは話しながらの作業が遅いとか、集中力・体力が持たない等々色々あるが、まあそういう訳で別に嫌になったとかそういう訳ではないのでご理解いただきたい。
良い机か良い椅子が買えたらまた始める……かもしれない。

 まあ日記でこんなことを言ってもしょうがないので、この話はこれくらいに。
とにかく日記については完全に先週分を失念していた。
こればかりは申し訳ない。
何回か忘れたことがある、というかここ最近はそれが多いが、以後気を付けたい所存だ。

 ……とまあ口だけならなんとでも言えるが、忘れる物は忘れるし、そもそも気分で日記を書いており、自分で決めた締切を自分で厳守する必要もないと思うので、まあ今後もなあなあでやっていこうと思う。
それくらいゆるゆるでやった方が結果的には継続する、というのが僕の経験則だ。

絵についての一考察

 ここ最近絵を描く時に一つ気付いたことがある。
それは、自分の描いた線が視覚情報としてフィードバックを与えているのではないか、ということだ。

 何を言っているが分からないと思うので、順を追って説明する。
 つい最近、どうしても上手いこと脳内でイメージしている構図が書けなくて、何度もラフを描き直すということがあった。
何回か描き直し、やはり納得がいかなかった僕は、一度「何故描けないのか」を立ち返って考えてみることにした。
原理的に言えば、人に描けない線と言うものはない。なぜなら情報は全て二次元に落とし込んでいるからだ。ある平面上への射影であるという関係上、いかなる図案でも同じ手順を踏めば再現が可能だ。
 ではなぜ描けないのか。
ここで「練習量が足りないから」という結論に至ることも勿論できるが、それは根本的な解決にはならない。殆ど全てがそれに帰着可能だからだ。
 ここで問うているのはつまり、何故脳内ではイメージ出来ているはずのものが紙面上に出力されないのか、という点だ。

 これは少し思想的な話になるが、僕は絵の上手さを左右する要素は、
①構図や人体構造などの、絵に説得力を持たせるための知識
②これから描く絵の明確なイメージ
③イメージを出力するための正確な操作(=筆の運び)
だと考えている。
つまり、①が欠けていれば見栄えのしない絵が生まれるし、②が欠けていれば手癖に引っ張られた絵ができるし、③が欠けていれば下手な線や色づかいとなる。
あくまで僕が勝手に思いついて、今のところそうだろうと思っている仮説に過ぎないが、ある程度は正しいだろうと推察している。

 さて、基本的に①はインプットである程度は事足り、②はお風呂でも練習可能なため問題ないが、③に関しては完全に練習量がモノを言うと思っている。
勿論その練習の中でも、効率化することは可能であるが、その量にも限界があり、どちらにせよある程度は努力しなければ成長しない。

 僕は基本的に絵を沢山描くタチではない。描きたいな~と常に思っている訳ではないので、その気分になった時だけ描いている。
したがって、基本的には③が不足していると思っている。

 こうした前提を踏まえて、僕は納得のいく構図が描けないのは自分の描いた線に引っ張られているからなのではないか、と考えたのだ。
つまり、脳内イメージを筆の運びから紙に抽出する際、③が不足しているので僅かにイメージと誤差が生じる。
そして、それを視覚情報として得た僕は、その情報とイメージが融合してしまい少しずれたイメージを持つことになる。
それを繰り返すと、誤差はやがて大きくなり、元あったイメージとは違うイラストになるのではないだろうか。

 恐らく僕の症状になる人はさほど多くないと勝手に思っている。
何故ならちゃんと練習量があるため、③の段階で生じる誤差など微々たるものだからだ。
下書きの段階である程度上手くまとまっていれば、あとはそれがずっと視覚情報として入力され続けるので、その後も大きく逸れる可能性は低いだろう。
一方、下書きの段階で変だと、もうどうすることも出来ない。
つまり、一言でまとめれば自分の描いた線からのフィードバックを受けているのではないか、そう考えたのだ。

 という訳で一度ほぼ目を瞑った状態でラフを書いてみることにした。
結果、想像以上に上手くいった。
今までどうしても上手く描けなかった構図が、一発で脳内のイメージ通りに描くことができた。
これをもって仮説が証明されたとは言わないが、一つライフハックを得たような気分になった。
もしこれを読んでいる中で、同じような悩みを抱えている人がいたら、一度試してみるのもありかもしれない。成功は全くもって保証しないが。

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