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どうせ2日で終わる日記-68-(仮説未満の山)【9/19-9/25】

マナ

仮説未満の山

スマホのメモ帳あるある:雑多なアイデアの走り書き溢れがち
そういう話。

昨日シャワーを浴びながら日課である記憶のザッピングをしていた時、ふと「舌打ち」という文化について疑問に思った。
舌打ちは勿論誰もがご存じのように悪態をつく時に自然と出てくるものとして扱われている。
日本に住む我々にとってはこの行為の示すところは負の感情一択であり、ありとあらゆる作品においても同様の意味で描写される。

僕はそんな行為に対して考えを巡らせながら、ふと海外ではどうだったか、と首を捻った。
洋画で舌打ちをするシーンをあまり見たことが無い気もする……が、一方でイライラした時に舌打ちをしていたような気もする。
YouTubeか何かを見ていた時に、英語圏の配信者の人が発音の合間に舌打ちをし、それを日本人の視聴者がイライラしていると勘違いしているようなコメントを見たことがある気もする。
日本と違い完全に負の意味だけを持つのではないことは知っているが、では負の意味をもって使うことはあるのだろうか。
もしその場合、果たして舌打ちの起源とはどこになるのだろうか?英語と日本語は言語的には遠いイメージがあるが、そうなるとどこかで文化の輸出入が生じたのだろうか?明治に海外からやってきたのだろうか?別々に発生したのならそれは人間の持つ特性のようなものなのではないだろうか?

――などなど、色々な考え、感想以上仮説未満の何かが大量に生じた。
まあ結果としてはどうやら文化ごとに意味合いは大きく異なるようだった。ちゃんと調べた訳じゃないのでソースは怪しいが、ともかく共通する何かがある訳じゃない、らしい。

まあ正直これはこれで気になるトピックだが、今回話したいのはこれではない。
日々生活するうえで、ほぼ常時何かしらの情報に我々は晒されている。
そんな状態だからこそ、数えきれないほどの仮説未満の何かが生まれる。
仮説では無く仮説「未満」と付けているのは僕のただの拘りで、何ら社会的な合意に基づいた表現という訳ではない。仮説にしては前提となる知識が乏しすぎるので「未満」と付けているだけに過ぎない。

寝つきの悪い僕は、布団に入ってからふと研究のことを考えては色々な仮説未満を連想してしまう(恐らくこれが寝つきの悪い原因)。
もしかしてこういう方法があったらあれが解決できるのではないか。あの現象とはつまりこういう視点から説明できないだろうか。それに解答を与える既存の研究があるかどうか、明日起きたら調べよう。こういうモデルを作ればアレを簡単に説明でき、モデリングするだけで簡単な結論を得られるのではないだろうか?そういうモデルは既にあるのだろうか……
こういうことばかり考えては結局布団に入ってから寝るのは二時間後になる。
何か調べ物をしていても、大学の講義を受けていても、電車に揺られていても、ふと何か頭をよぎる。これはどうだろうか、そのアイデアは面白いのではないか。集中力が散漫なので、こんなことを考えては大事なことを聞き逃したりする。

そして、こういう羽化したアイデアはものの数分もすれば僕の神経細胞から飛び去ってしまう。
だから、僕は綺麗だと思ったアイデアは乱雑にメモしている。
そして、後で読み返してみて「あぁ、これはここがダメだ」と仮説を否定しては、その否定を未来の自分が否定することを期待して追記する。

僕は僕以外の人の生活を知らないが、僕の見立てでは誰しも大小アイデアをメモする、というのは行っていると思う。
何故ならば、アイデアは常に流れているからだ。普通に生活していても、あれはこれで説明できるのではないか、あれはそれのレトリックに持ち込めるのではないか、こんな検証をしたら面白い結果が得られるのではないか、そんな考えが支配する瞬間が多くある。
だから、アイデアこそが重要と言われるような風潮もあるが、実際のところアイデアの存在自体が重要ではない。何のレトリックかと思うかもしれないが、良いのは良いアイデア、というだけだ。
もっと言うならそれを実行できる知識なり能力なり、そういった想像上の物を実物にするための工程こそが最も重要だとは思うのだが、今回の話からは少し逸れるのでそこは割愛する。
ともかく、良いアイデアが良いのだから、こうして日々数多く生まれては泡のように消えていく凡庸なアイデアたちを、その中でも光りそうなものをいくつかピックアップして保存しておくのは、それ自体に価値があるかは怪しく、ある種の先行投資に過ぎない。
それでも、僕は全ては単なる知識でしかないと思っているので、そうしたごく平凡なアイデアも、ある知識を注入してやると途端に良いアイデアに変貌することがあると考えている。
そういう意味があって、僕はメモ帳に雑多な、形も怪しげなアイデアをとりあえず放り込んでいる。
まあ、それで実際役だったアイデアがあったかといえば、今のところは首を傾げてしまうが、それはそれとして、何事も準備が大切だとは思わないだろうか?


僕はこの手の自身の思想のようなものを公の場に書くのが苦手だ。
今回だって、今週何か特筆すべき活動があればそれを書いた。
別に自分の意見を言葉にして表明することが苦手な訳じゃない。言語化は比較的得意な方だとは思っている。

それよりも、僕は単純に対外的な体面のことを気にしている。
つまり、僕は何となく色んな人が「アイデアこそ最も大切にすべき資源だ」と言っているように思えるから、「本当にそうだろうか?」という疑問を抱いた上でこれを書いた。
そして、こうした意見を僕はあまり見かけたことが無いからこれを書いた。
しかし、もし僕が今しがた書いた話が既に誰もが目を通したことのあるような当たり前すぎる話だったらどうしようか。
本当に、本心から、ただ純粋な書くことが無い時の埋め合わせとしてこれを書いた訳だが、「こいつ、こんな凡百な意見を誇らしげに書いているよ」なんて思われたらどうしようか。
そんな、他人からの目をいつも以上に考えてしまう。
ボケることで「ああ、そういう記事ね」と思わせようかとも思ったが、面白いオチを作れなかったので辞めた。
僕は他人からの評価を何よりも恐れているので何本も予防線を張るが、決して僕は僕の意見をさも誰も思いつかなかった、そして僕だけが思いついた視点であるかのように書きたい訳ではない。もしそう見えたのだとしたら、それは僕の文章が下手だ、というだけだ。
この日記を始めたころにも書いたが、ゆるく共感されそうなことを書き続けるのがこの日記だ。今回だって、一応それに則って書こうとした、という僕の意思だけでも留意して欲しい。

何度でも言おう。僕は他人からの評価が怖い。

だとしたら、なぜ僕は全世界にこんな日記を公開しているのだろうか……?
今日も寝つきが悪くなる予感がする。


それでは

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