実生活での指導(5)平等と調和ある人材「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第31回

平等の会員たち
 池田にとって学会員はすべて平等であり、共通の目的に向かって全員の団結が何よりも大切である。
 創価大学、創価学園は人材育成の面で、池田から将来へ向けてより大きな期待をかけられることは間違いない。しかし、創価学会員の膨大な人口からみれば、ここに入れる子弟は極限されることになる。だから池田は「若い人は創価大学の通信教育をやりなさい。そして男も、女も、全員大学を出なさい」という。そういう一方「人間として鍛えられているのは中卒だ。一番仕事ができるのが高卒だ」と大学を出ること、必ずしも人生の幸不幸を決定するすべてでないことを強調する。
 かつて、私は池田から、「現実の社会通念からいってエリートはそれなりに活躍の場が与えられる。しかし、ホンモノは必ずしもそのなかにはいないものだ」という趣旨の話をきいたことがある。
 将来、彼のあとをうけて創価学会をになう会長は、恵まれた環境に育ったエリートではなく、経済的にも恵まれない環境にうち勝って育っていく人物に違いない。池田の言業から私の脳裡には瞬間的にそんな感じがよぎった。それはともかく池田自身、夜学に通った体験からも、環境的に恵まれない青少年に対しては、環境に負けずに頑張れと強く励ますのだ。

調和をはかる
 最近の本部幹部会の席上、アトラクションとして創価学園高校生と、定時制高校生のコーラスなどが行なわれた。いわばエリートの創価学園生に対しては、女性から花束が贈呈されたが、定時制高校生のコーラスに対してだけは、池田みずから花束を渡した。滅多にないことであり、彼らの感激は想像にかたくない。それも創価学園生に対する彼らの微妙な心情を察してのことと思うが,このへんにも池田の細かい心つかいを私はみる思いがした。
青年を中心とした指導体制にしても、その一方で池田は自分につぐ理事長のポストに高齢者を据え、壮年組を元老として厚く処遇する。そして双方に、調和を説く。
 まず壮年組に対しては、
「青年をつぎの舞台で存分に活躍させるための舞台づくりが壮年の役目だ。人生経験の深い先輩がいないと、思いのままに生きていく青年が失敗してとりかえしがつかないことになる。未知の世界に進もうとする青年たちに、自分の経験からつぎの創造をどうするかを考えてあげる立場にならなければならない」
 一方、青年に対しては、
「よい意味で先輩を大事にしないものは鎌われるし、邪道になってしまう。それでは人間としての大成はない」と指導する。

老人と平和革命
 
池田自身、敬老会の会長をつとめるというが、会長としての彼の誇りは「先輩会員を一人も落していない」こと。そして、彼は日本でも、将来の大きい問題とされている老人問題を真剣に考えるのである。
「老人をどう満足させるか、生き甲斐を与えていくかが、これからの最大の問題だ。青年がこれを考えないようでは、偏頻なことになる。
共産革命、建武の中興、明治維新、すべて二十二、三歳の青年からはじまった。しかし一方で、どれほど大勢の老人が犠牲になったかわからない。その点でも暴力革命はいけない。唯一人の老人も犠牲にせず、平和革命を 達成せねば 」
 将棋でいえば、「飛車」、「桂馬」「歩」などそれぞれの駒の特性を発揮してこそ勝負に勝てる。同じように、池田は男も女も、老人も、青年も、そしてあらゆる層の人たちをかかえ、こうしてつねに相互間のパランスをとりながら迎動を進めるのである 。