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丸子舟の復刻 ー 知恵と技の亡失、舟が浮かんだ情景

2017年から翌年にかけて、京都府の日本海側、但馬地方で使われていた丸子舟(マルコブネ)の復刻の機会があった。二枚棚構造の木造和船で、漁労にも使われていたが、それよりも移動の足として特に久美浜湾内では都合が良かったようである。

写真 2018-08-07 14 04 56のコピー

▽ 一連の造船記録写真はこちらからどうぞ

完成直後に久見浜湾に実際に浮かべて子供たちを交え乗船体験会をすることもでき、感慨深い体験だった。制作を終えて感じたことや、造船技術の継承について常々感じていることを、少しまとまった文章にした。
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丸子舟復刻に寄せて

但馬から丹後にかけて広く使われていたという丸子舟は、独特の構造と姿を持っている。初めて見たときにはとても驚き、魅了された。作ってみたいと思う一方、自分はこの舟を作れるだけの技量を持っているだろうかと不安になった。


私は美術作家と並行して木造和船の制作に取り組んでいる。船づくりに関しては、手を動かして大きなものを作り上げていくおもしろさももちろんだが、それ以上に使命感にかられているように思う。

伝統的な日本の木造船の制作方法は室町時代にほぼ確立されたといわれている。それから大きな変更はないまま1970年代まで受け継がれた。やがて、強化プラスチック製(FRP)の船が使われるようになると、伝統工法を知る多くの船大工は廃業し、弟子を育てることもなく老いてしまった。そもそも手入れが必要で、FRP船に比べ耐用年数も劣る木造の船は、日々の生活の中での実用品としてはもはや使い勝手の良いものではなくなってしまったのだ。

長い長い時を超え、徒弟制度によって伝えられた日本の造船にまつわる技術と知恵は、失われつつある。
今、実際に船を伝統工法で作るという行為は、忘れ去られようとしている、先人達が紡いできた試行錯誤の痕跡をなぞることだ。そうすることで、ひとまずは自分が記憶媒体となり、また後世に伝える時間稼ぎが出来る。

プラスチックは便利だし、私だってその恩恵に浴している。人の暮らしにとっていいものだと思っていたプラスチックが、私たちの生存環境を今になって脅かしつつあるのは皮肉としか言いようがない。なによりも、プラスチックの主原料である原油だって、無尽蔵に使い続けられるものでもないのだ。

作り手と共に失われてしまった手技を掘り起こすことは簡単なことではない。ましてや、生活の道具である船は、風土と用途によって地域ごとに設計も異なっていたのだから。
和船を作る技術が臨場と口伝で伝えられてきたのは、それが理に叶った方法だったからだ。
実際に木で船を作ってみればそのことがよく分かる。木を曲げ、鋸で板と板の接合面を整形するちから加減は言葉で指南できるようなものではない。材料を前にして、やってみるのが一番だ。


人間が茫漠とした空間を移動することを「船」が可能にし、富ももたらした。
だからこの先も、人間は船を作ることをやめたりはしないだろう。
新たな船をこしらえなければならない時、忘れてしまった技術を再度必要とすることはないだろうか - せめて自分は覚えておいたほうが良いのではないか、と警戒しているのだ。
こんなことは和船に限ったことではない。同じような「知恵と技の亡失」はあちこちで起きつつある。


人力でゆっくりと進む丸子舟が当たり前のように浮かび、エンジン音も聞こえなかった久美浜湾は今よりもっと長閑で美しかったことだろう。滞在中に地元の年配の方々から聞いた、子供時代の久美浜の思い出話からはそんな情景が見えてくる。
「現在」が「過去」と「未来」を繋ぎ留めているのなら、「現在」を梃子にして「過去」の豊かさを「未来」にまた叶えることもできるだろう。この丸子舟の復刻はそんなことを考える時間でもあったように思う。

最後に。
この丸子舟の復刻は、「わくわくする久美浜を作る会」から一艘分の材料を提供していただいたこと、かつて久美浜で船大工として丸子舟を作り、この舟のことをよく知る吉岡光義さんが高齢でありながら大変お元気で、風変わりで難しい丸子舟の制作について様々な助言を下さったこと、東稲葉家には船を作るための小屋があり、ここでの作業を快く了承いただいたこと、これらの幸運が揃わなければ到底実現できませんでした。また、かつての久美浜の暮らしぶりを聞かせてくださったり、久美浜での日々の生活と制作を支えて下さったみなさんに感謝申し上げます。

2020年4月25日 小川智彦

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上記の文章は、丸子舟実制作の機会を与えてくれたアートプロジェクト、ART CAMP TANGO 2017「音のある芸術祭」を振り返るにあたり先ごろ書いた。人が長い時間をかけて手に入れた知恵を手放すことを躊躇しない現代への戸惑いや、船の浮かぶ風景によって思いを馳せることへの興味は、今回の調査と通じている。 
手漕ぎの木造船は、現代の船と比べると便利ではないかもしれないが、観光や娯楽に使われることを想定すれば便利さや効率は求められてないとも思う。ゆったりした時間を過ごしたり、特別な体験をするのが観光や遊びが求めるところなのだから。
京都東山の人力車にエンジンがついてたら興ざめでしょ。

例えば、広々とした水面に、ギイギイと櫓(ろ)の音だけが響き、夜には電灯ではなく蝋燭や篝火の灯だけが映る、というような風景が100年前にはあったのだと想像してみてほしい。今ではそんな光景をしつらえるのはなかなか難しいだろう。そして、そんな水辺で夏の夜を過ごすのはきっと素敵だろう。

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新造丸子舟は、わくわくする久美浜をつくる会が過去に作られた丸子舟たちとともに保管されている。もうすぐ乗船体験会にうってつけの季節だけど、今年は難しいかな...また多くの人に乗ってもらう機会が来るのを願っている。

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