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[記録] トーク「京都 水と船の話」 出演=松田法子、小川智彦

「立誠高瀬舟」完成記念のトークイベントおよび乗船会が、高瀬川沿いで開催されました。トークには、都市と水辺について研究される松田法子さんをお招きしました。

立誠高瀬舟づくりの話を入り口に、水域+船という水の大動脈が古くから大都市・京都を支えたことを確認しました。また、淀川水系で使われた3種類の船についてや、それらとも異なる特徴をもつ京都北部で使われた船について紹介しました。その中で、淀川の舟運で使われた船が、古い刳り(くり)船の特徴をうけついだ可能性を推察しました。終盤には参加者のみなさまから熱心な質問が寄せられ、充実した時間となりました。
トークのおよその内容を以下にご紹介します。

トーク「京都 水と船の話」
日時:2023年4月2日(日) 15:30~17:00
出演:松田法子(京都府立大学大学院 生命環境科学研究科 准教授)
   小川智彦(船大工、アーティスト)
場 所:立誠自治会館大会議室(京都市中京区備前島町310-2)

|松田法子(まつだ・のりこ)|
京都府立大学大学院 生命環境科学研究科 准教授。博士(学術)。建築史・都市史・領域史。「汀の人文史」などをテーマに活動。著書に『絵はがきの別府』、『危機と都市──Along the Water』、『熱海温泉誌』、『変容する都市のゆくえ──複眼の都市論』、『渋谷の秘密』、『東京水辺散歩』など。
http://www.matsuda-lab.net/

立誠高瀬舟づくり

2022年に立誠ひろばで造船した際の写真をまじえ、造船のためのやぐら、アイバズリ、船釘、チキリなどの工程・工法を抜き出して紹介しました。


今回制作した「立誠高瀬舟」と従来使用されていた高瀬舟の大きさ比較。
中央が「立誠高瀬舟」

依頼主である立誠高瀬川保勝会と相談し、現在の高瀬川の幅や使い方を考慮した大きさになっています。長さでいうと、往年の高瀬舟の約1/2です。


水との接続が支えた都市・京都

続いて松田さんより、大坂~京都~日本海がひとつの大きな水の大動脈で繋がっていたことが俯瞰して説明されました。船の特長はなんといっても、重いものを小さな力でたくさん運べる効率の良さです。

大坂とは淀川水系で、日本海側とは琵琶湖水系+陸路で物資が運ばれた

山間部を通る舟運にも目を向けます。大井川(いわゆる桂川)は、平安京や長岡京を築く木材の運搬経路でした。また、たくさんの人が住むには欠かせないエネルギー(炭や薪)、食糧(米)、塩を調達するためにも、舟運は重要です。

こういった、水を介したネットワークのなかで京都という大都市が運営されてきたのです。


淀川水系には3タイプの船があった

京都周辺で古くから使われていた船は、船首の構造に依ると3種類に分かれるようです。

①一本水押し(みよし)、②タテイタ水押し、③二枚水押し

ここで、「洛中洛外図どの船クイズ」。客席のみなさんに、絵図に描かれている船々の構造は①~③のどれに当てはまるか考えていただきました。


京都府各地で見られた船

京都府下では高瀬舟のほか、三十石船、剣先船 、トモブトなどの多様な船が、その土地の需要や地形にあわせて成熟し活用されていました。明治期に先人が残した絵図や実測図、現存する船は貴重な手がかりです。

松田:淀川沿いでは昔から都市がさかえ、その活発な経済活動には船が不可欠でした。そんななか、日本の他地域ではみられないような独特の船の作り方がなぜ淀川周辺にだけ残っていたんだろうと、想像がふくらみます。

(畫圖)和漢舩用集 12巻 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013439
巨椋池の漁船 久御山町

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海の京都の船

これは、日本海側の京都の「トモブト」です。

先にお話した一本水押し、タテイタ水押し、二枚水押し、とは全く異なります。大きな角材を積み上げて彫刻するように船首を作る方法は、琵琶湖の丸子船、富山のドブネにも見られる方法です。

松田さんからは、京都府宮津市でのフィールドワークより2事例を見せていただきました。

①明治期の絵

画像:Karl Walser 画,1908年
Neues Museum Biel(スイス)所蔵 
松田法子氏提供

都会や特別な観光地でない場合、当時の風景は、写真や絵はがきに映っていることも稀です。史料としてのスケッチの重要性を感じます。 

②現在も行われるお祭り
宮津では故人の霊を弔う行事で船が使われます。海に浮かべたトモブト2艘を繋げて、そこに畳を置き女性が舞います。夕暮れに幻想的な風景が広がります。

画像:京都府立大学ACTR製作映像より  松田法子氏提供

実際にトモブトに乗った松田さんは、少し怖いくらい大きく揺れることに驚いたそうです。これは実は、但馬地方の丸子舟も同じなのですが、ロールしやすい形状に設計されているためです。当地の漁の仕方に合わせた船の性能です。

・ ・ ・

松田:今日のトークは新しく作られた立誠高瀬舟にはじまりましたが、京都の都市の成り立ちや運営法にも視界が広がりました。
加えて、浮かびあがってきたのが、木造和船といえば一本水押しと思われがちですが、どうやら実際は複数の種類が、しかも京都のまわりにあったようだということです。その1つがが二枚水押し(剣先船)、もうひとつがタテイタ水押し(高瀬舟)系統。二枚水押しは淀川水系にあり、より古い刳り船の面影を濃く残しているのではないかというのが小川さんの推察ですね。」

小川:もう1点面白いのは、和漢船用集に描かれた船たちと、40年くらいまで使われてきた木造の船が、同じ形だということです。設計図は船大工の一家相伝という時代はおわり、人間の知恵として共有し保存しなければいけない時代になっていると感じます。

木造の船があると、風景が変わります。蓮池に船を浮かべてゆっくり眺める、こういった遊び方が今もあっていいのになと思います。

客席からの質問にはこのようなものがありました。
・船大工は海の船と川の船、どちらも作れるのか
・船の持ち主ってどんな人だったの?
・船大工が憧れる、つくってみたい船の種類は
・断面が丸い船と平底の船、どう違う。川には合わないの?

立誠高瀬舟に乗ってからトークに参加した方も多く、うれしく思います。舟は今回の高瀬川桜まつり以後も地域の活動や観光で活用されることになっています。ふだんはザ・ゲートホテル京都高瀬川byHULICのロビーに展示され、どなたでもご覧いただけます。



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トーク、舟あそびともに「第37回高瀬川桜まつり」(主催=立誠高瀬川保勝会ほか)の一環として開催されました。



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