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自己中に生きていんじゃない?

人付き合い・人間関係って
たぶんいつの時代も苦労があったと思う。

この世に生まれ出て何の心配もなく
母親に抱かれていられる時期はほんのわずかだ。

一歩世の中にでればそこには
他人との関わりが待ち受けている。

今では育ってきた時代や教育によって
随分考え方も違うと認識している。

自分は子供の頃から昭和の時代を生きてきた。
当時は人に優しく自分に厳しく的な
他者優先の倫理観が良しとされていたように思う。

だから我慢しろとか、
辛抱強くなれとか、
学校や社会に属するために
自分を合わせなくちゃいけないと感じていたし、
それが当たり前なんだと思っていた。

他人に迷惑を掛けてはいけないと
頑張ることがでエラいねと褒められた。

そして無理してでも必死に回りに
歩調を合わせる癖がついてしまった。

そんな自分が大人になって学んだことは
「機嫌を取る」「顔色を覗う」「察する」
「忖度する」「気をまわす・使う」そんなことばかりだった。

そうすることでうまくいく人もいたかも知れない。
自分のそれは結果的に何の変化にもならず、
無駄に疲れただけだった。

自分の人生なんだったんだろう?
と情けない気持ちになった。


先日遅ればせながらテレビドラマの
「不適切にも程がある」を観た。
阿部サダヲはキャラ立ちしてるなーと感心しながら、
平成と昭和の対比を興味深く観ていた。

知人は腹抱えて笑うレベルと言っていたが、
自分は笑うシーンがなかった。
個人差があるのかも知れない。

興味深かったのは「ハラスメント」だ。
パワハラ・セクハラ・モラハラ・マタハラなど、
他にも幾つかあるようだ。
これをテレビ局の倫理委員会みたいなとこで。
「これダメ」「ここダメ」「それ無理」
などとダメ出ししている。
これじゃもう何も放送できないよと思った。

物語の中でちょいちょい
ミュージカル調で替え歌を歌っている。
なかなかうまく出来た歌詞だった。

その中で気になったのが
「同調圧力」という言葉だった。
恥ずかしながらこの言葉を知らなかった。
何度か歌のシーンを巻き戻して書き取ったのが次の内容だ。

*断りずらい空気
*帰りずらい空気
*休みずらい空気
*強制じゃないよと言いながら逆らえない空気

なるほど、心当たりがありすぎる!と思った。
自分が会社にいた頃まさにこんな感じだった。

会社の飲み会は断れずほぼ強制参加だったし、
上司や社長が残っていると定時を過ぎても帰りずらい。

でも昭和育ちの自分は「そう思う自分がいけないんだ」
「上の人が言うことは絶対なんだ」とかたくなに思ってしまった。

でもドラマを観ているうちに、
昭和と平成どちらも極端なんじゃないかと思った。

昭和の根性精神論だってすべてが悪ではない。
体罰が悪いと言うことも分かるが
意欲を高めたり
ハッパを掛ける程度はありじゃないか?とも思う。
怪我したり倒れたりするようなことがあるのは
行き過ぎだしそれこそ監督不行き届きだ。

次々とハラスメントを訴える平成は
少しは目上を敬って
聞く耳を持ってもいいのではないかと感じる。
ハラスメントに怯えながら言葉を交わすのもしんどい。
年取っているから考え方が違うわけではない。
脈々と続く技術や知識や経験で培ったものに意味はある。

世の中、不変ではない。
常識も社会通念もゆるゆると常に変わりゆくものなのだ。
昭和だから平成だからと割り切れるものではない。

ドラマの着地点として
お互い「寛容」になったらいいじゃない?
とまとめていて、
あー正にそう!「寛容」なんだよと思った。
線引きせずに歩み寄ったら
もっといい世の中になるような気がする。

今の時代、
昭和も平成も融合し自分で選ぶことができる。

だったらもっと自己中でいいんじゃないか?と思った。

自己中というとなんだか自分勝手な悪いイメージのようだが、
自分を中心に考えて何が悪いんだ!と言いたい。

まずは自分という主体をしっかり持ち、
自分の基準ものさしでブレることなく
自分の幸せを考えてから
自分の持てる力の範囲内で他人に目を向けたらいい。

「思いやり」とは
損得なしで自分の手を貸し、力を貸すことだ。
自分の持てる力の範囲を見誤らないことだ。

簡単に言えば「無理をしない」こと。

あなたの世界は「あなたが中心」であっていいのだ。

今日も読んでいただいた方ありがとうございます。

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